トランプ政権の遅すぎた取り組み
筆者周辺の米軍関係者(多くは情報分析担当者など)はすでに昨年末から、中国で新型インフルエンザらしき病気が発生しているらしいとの情報を取り沙汰していた。ただし、確定情報ではなかったため、米軍指導部が公式に取り上げ、米政府当局が本腰を入れて取り組むまでには至っていなかった。
いよいよ1月下旬の春節の時期になり、中国で新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大が公になると、ようやくアメリカ政府も関心を示し始めた。しかしながら、武漢で爆発的に感染が拡大していたとはいうものの、1月下旬の段階では、トランプ政権にとっては中国、香港、タイ、シンガポールといった「東アジアでの出来事」にすぎなかった。
何といっても、今年はアメリカ大統領選挙の年であり、アメリカ国内でインフルエンザも猛威を振るっている。そんな時に「武漢ウイルス」(初期段階ではそのように呼ばれていた)に本気で向き合おうという姿勢を、米政府当局に見受けることはできなかった。
そのため、中国との行き来を大幅に制限してしまえば「アメリカにはさしたる影響は生じないだろう」という「無関心から生じる楽観的推定」にトランプ政権首脳や多くのアメリカメディアなども支配されていたようだ。ただし中国との往来の制限は、政府当局においても民間航空会社においても素早く実施され、武漢や湖北省に限らず中国全土への渡航の大幅制限措置や、中国全都市との航空便の全面的運休などは2月初頭には開始されていた。
このようなトランプ政権の新コロナウイルス対策に、感染症対策専門家や軍関係者たちの間から「トランプ大統領は1918-インフルエンザ・パンデミックの事例と教訓を思い起こし、素早く本格的な対策を実施しなければ、アメリカ国内でも新コロナウイルスの流行を招きかねない」との警告が投げかけられ始めた。
結局2月下旬に、大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号からアメリカ市民を「救出」することになった一方で、中国、韓国、日本といった東アジアだけでなくイタリアでも感染者数が急激に拡大し始めた。トランプ大統領は2月26日、ペンス副大統領を新コロナウイルス制圧の責任者に任命し、アメリカ政府による本格的な対策がスタートしたのだった。
ところがその3日後、アメリカ国内で初の死亡事例がワシントン州で発生したと発表された。さらに数日のうちにワシントン州を中心に死亡者数は10人を越えてしまった。要するに、上記のような「1918-インフルエンザを思い起こせ」という警告に素早く対応しなかった米政府は、水際対策に失敗したのである。
1918-インフルエンザ=スペインかぜの経過
米軍関係者や感染症対策専門家たちが取り上げる「1918-インフルエンザ・パンデミック」は、第1次世界大戦末期の1918年春にアメリカやヨーロッパで流行し、引き続き1918年秋には世界中で流行、さらに1919年春以降にも世界中で流行した3波に渡る世界規模でのインフルエンザ大流行を指す。
この「1918-インフルエンザ」は「スペインインフルエンザ」または「スペインかぜ」とも呼ばれ、世界中での感染者数は5億人前後と推定され、死亡者数は4000万~1億人とも見積もられている。記録が確かな範囲での人類史上最大のインフルエンザによるパンデミックとされているのだ。
スペインインフルエンザの感染は、以下に述べるように、第1次世界大戦に参戦したアメリカ軍と密接な関わりを持っていたため、現在も米軍内部ではインフルエンザ対策には重大な関心と努力が払われている。そのため、今回の新型コロナウイルスに関しても、当初から米軍情報関係者たちは深刻な危惧を抱き、トランプ政権のスローテンポな対策に強く警鐘を鳴らしたのだった。
1917年4月、アメリカ政府は第1次世界大戦への参戦を決定。当時の米軍兵力は陸軍、海軍、海兵隊を合わせてもおよそ37万8000人だった。そこで、兵力(とりわけ陸戦力)を増強するために6月から徴兵が開始された。徴兵に伴い、全国32カ所に、それぞれ2万5000~5万5000人の新兵を集めて教育訓練するための比較的大規模な訓練駐屯地が設置された。
1918年3月、米国内でインフルエンザが発生しはじめた。すると、カンザス州の米陸軍訓練駐屯地だったキャンプ・ファンストンで100人以上の兵士がH1N1型インフルエンザウイルスに感染。1週間と経たないうちに500人以上の兵士の間に広まった。これが、アメリカ国内でスペインインフルエンザの大規模感染発生の最初のケースとなった。
ただし、この大感染の発生源については、上記カンザス州とする分析以外に、フランスだったとする分析や、中国だったとする分析などがある。
イギリス軍をはじめとする連合国軍側の大規模な病院施設を含む軍事拠点が設置されていたのが、フランスのエタプル駐屯地だ。そこには毎日10万人以上の将兵が出入りしていただけでなく、豚や鳥などの家畜が食用として大量に飼育されていた。その鳥の間で増殖したH1N1型ウイルスが兵士に感染したのを大感染の起源とするのが、フランス起源説である。
中国起源説とは以下のようなものである。世界中で大量の人が感染して死亡したスペインインフルエンザだったが、中国での死亡者数は極端に少なかった。ただし、中国では1917年にはすでに軽度のインフルエンザが大流行した。そのため、多くの中国人にはそのインフルエンザによってH1N1型ウイルスへの抗体ができていたと考えられる。そして、H1N1型ウイルスに感染していた多数の中国人労働者たちが、ヨーロッパの軍事施設の建設現場などに送り込まれたため、米軍をはじめ連合国軍将兵や、敵対するドイツ軍将兵の間にも感染が広がっていたとみられている。
隠蔽されたインフルエンザの流行
ウイルスや感染症対策などの専門家によると、インフルエンザウイルスや今回の新型コロナウイルスなどの発生源を明確に特定することははなはだ困難という。上記のように、スペインインフルエンザの発生地域に関してはアメリカ起源説、ヨーロッパ起源説、中国起源説と大まかな発生地すら明らかになっていない。
その主たる原因は当時の主要政府・軍機関による情報隠蔽・情報操作にあったと指摘する声は少なくない(John M. Barry著「The Great Influenza: The Story of the Deadliest Pandemic in History」参照)。
発生源がどこであったにせよ、第1次世界大戦の主戦場だったヨーロッパと、第1次世界大戦に参戦しヨーロッパの戦場に将兵を送り出し始めていたアメリカでは、将兵の間でも民間人の間でもインフルエンザが猛威を振るい、莫大な数の感染者と死亡者が出た。
しかしながら戦場となっていたヨーロッパでは、連合国側・同盟国側いずれの政府とも、戦争を遂行するために高度な情報統制を敷いていた。そのうえ、大量の将兵が病気に感染している情報が敵方に知れると、戦局が不利になるため、大感染に関する情報はイギリスでもフランスでもドイツでも敵味方を問わず、ひた隠しに隠したのだった。
アメリカにおける情報統制
一方、アメリカでもウッドロー・ウィルソン政権は、第1次世界大戦への参戦に際し、米国内の情報を統制し米国民の士気を高揚させるために、プロパガンダ機関としてのCommittee on Public Information(広報委員会)を創設するとともに、Sedition Act of 1918(1918年の扇動罪)を制定した。
これらの諸施策によって、政府への忠誠を欠いたり、不敬、中傷的であったり、無礼な表現や論調、戦争遂行努力を妨害するようなあらゆる行為を犯罪として取り締まることになった。
そのため、アメリカ軍や連合国軍内でのインフルエンザの大流行も隠蔽されたのだった。実際の戦場とはならなかったアメリカ国内での大流行を公表することすら、米軍や連合国軍の士気を低下させ、敵を利する行為となりかねないとして、正しい情報が政府機関やメディアによって公表されることはなかった。
とはいっても、数多くの人が苦しんで死に至る状況や、棺の数が不足して死体が収容しきれなくなってしまう状況を、政府の情報隠蔽や情報操作だけでごまかし通すことはできなかった。やがてスペインインフルエンザの大流行は公然の事実となった。
こうして感染症の大流行を押さえ込むために決定的に重要な初期段階に、アメリカ政府のみならず主要国政府が情報を隠蔽したため、第2波そして第3波の大流行へと発展し、史上最大のインフルエンザ・パンデミックとなってしまったのである。
皮肉なことに、第1次世界大戦に参加しなかったスペインでは、国王もインフルエンザに感染したため、インフルエンザ大流行の情報を正確に公表した。そのため、1918-インフルエンザ大流行のニュースは、スペインが発信源となってしまったので、「スペインインフルエンザ」「スペインかぜ」と呼ばれるようになったのである。
最大の教訓
スペインインフルエンザ・パンデミックから100年経過した現在、ウイルス研究や感染症対策をはじめとする医療技術や公衆衛生対策は飛躍的に進化している。ただし、感染症対策や軍事史の専門家たちは次のように指摘している。
スペインインフルエンザ・パンデミックから現在にもそのまま適用可能な(適用されるべき)最大の教訓は、「パンデミックを押さえ込むには、絶対に事実の隠蔽や歪曲を避け、真実をありのままに語る」ことである。