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水際対策は限界 日本が考えるべき感染症対策は

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デング熱を媒介するヒトスジシマカ=米CDC提供
デング熱を媒介するヒトスジシマカ=米CDC提供

2014年8月、約70年ぶりに海外渡航歴のない人にデング熱感染が確認され、東京・代々木公園の利用者を中心に約160人が感染した。

デング熱はデングウイルスを含む患者の血を吸った蚊が、別の人を刺すことで感染する。潜伏期間は214日。症状は発熱や頭痛など。ワクチンや特効薬はないが、中外製薬の研究が治験の前段階に入った。

最初に感染に気づいたのは、さいたま市の医師だった。当時18歳の女性が全身の痛みと高熱を訴えて救急車で運ばれたが、原因がわからない。女性の両足に蚊に刺された跡があり、6日後の検査でデング熱と判明した。女性が蚊に刺された代々木公園でほかにも感染者がいることが追跡調査でわかった。前年の13年夏には、日本を訪れたドイツ人旅行者が帰国後にデング熱を発症しており、以前からウイルスは国内で広がっていた可能性も指摘されている。今年6月にもデング熱を発症した人が東京都世田谷区で蚊に刺され、区が蚊の駆除作業に追われた。ほかにも、日本からはなくなったと2年前に宣言されたはしかが、東南アジアなどからの別型ウイルスによる「輸入症例」で到来している。

ブラジルのジカ熱でWHO事務局長に早期の緊急事態宣言を進言した専門家委員長のデイビッド・ヘイマン(71)は「どんな国もアウトブレイクを防ぐことはできない。感染拡大の兆候にいち早く気づいて対応するシステムを築くことが大切だ」と話す。

「絶望的なまでに人材が乏しい」

日本の備えはどうか。134月、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が施行され、危機管理の枠組みが整理された。緊急事態が宣言された場合、政府や都道府県知事に強い権限が与えられ、外出の自粛などを決められる。多くの国民が免疫を持たないタイプの新型インフルエンザが流行した場合、政府の行動計画では、死者は最悪で64万人に上ると推計されている。

だが東北大学教授(ウイルス学)の押谷仁は「国内には絶望的なまでに人材が乏しい」と話す。日本では1999年から、感染症の現場で対応する人材を養成する実地疫学専門家養成コース(FETP)が始まっている。米CDCをモデルに、国立感染症研究所で2年間、感染経路の特定などの実地指導を受ける。昨年度までに自治体職員や医師ら約70人が受講した。大規模なアウトブレイクが起きた際に各地の「卒業生」が対応の中核を担うという想定だ。

しかし複数の専門家は、そうした人材が活躍できていないと指摘する。そもそも専門家コースに職員を送り出せる余裕がある自治体は限られ、帰ってきても関係ない部署に配属されることが少なくない。エボラ危機の反省から、国際的な感染症に関する関係閣僚会議が立ち上げられ、人材強化などを加速させようとしているが、具体性に乏しいとの指摘もある。

押谷は「日本では、SARSは流行せず、09年の新型インフルエンザでも被害が小さかった。水際対策と医療体制が整った日本では、甚大な被害は起きないという『安全神話』が生まれているのではないか」と話す。

検疫には限界がある。新興感染症の潜伏期間は長いもので23週間ある。押谷は「検疫は感染症の侵入を遅らせることはできても、完全に防ぐことはできない」と指摘する。「福島第一原発事故のとき、次々と起こる『想定外』の事態に政府と関係機関は混乱に陥った。感染症でも同じことが起きないか、危惧している」

「リスク情報、共有を」

■岡部信彦・川崎市健康安全研究所長

新興・再興感染症をすべてひとくくりにして考えるべきではない。大事なのは、その重症度とうつりやすさ、うつるタイミング。例えばエボラ出血熱は重症を招くが、接触感染が基本なので広がりにくい。ジカ熱そのものは軽症で周囲に蚊がいなければ拡大しないが、妊婦の感染は胎児異常の危険が伴う。それぞれのリスクを評価して、対策を考える必要がある。

未知のウイルスに対しても、マスクや手洗いなどの標準的な対策が基本だ。2003年のSARSでも、感染した医療スタッフの大半がマスクや手袋を着用していなかったとの報告がある。手洗いやうがいの習慣は無駄ではない。具合が悪いときは、職場や学校に行かないことも大切。感染症は人が集まるところで広がる。受診する病院では、海外渡航先や時期、どこで蚊に刺されたかなども積極的に知らせてほしい。早期治療と感染拡大防止につながるヒントとなる。

09年の新型インフルエンザでは感染者が出た学校に非難の電話がかかった。しかし、学校や感染した人には落ち度はない。こうしたことが続けば、アウトブレイクの際に感染者が口をつぐみ、かえって感染を広げることになりかねない。プライバシーとのバランスを考えながら、リスク情報を共有する成熟した社会でありたい。

情報と備え、あらゆるレベルで 取材を終えて考えた

世界の感染症の現場から見えてきたのは、「都市化」と「貧富の差」が脅威を大きくしていることだ。道路網や航空網の発達で、かつては地域の限定的な病として終息していた感染症が大都市にすぐ到着する。西アフリカのエボラ出血熱は、首都で感染爆発を起こした。

そして病原体は、まず貧困層に襲いかかる。衛生状態が悪く、医療体制が脆く、人員も予算も不足している地域だ。ジカ熱取材で訪ねた小頭症児エロイージの自宅周辺は今も、下水が垂れ流され、蚊が容赦なく屋内に入ってくる。地元病院では検査が追いつかず、採取した血液を廃棄していた。

「健康への脅威は、いつでも、どこからでも発生しうる。その脅威は国境を識別したりはしない。次のパンデミック(世界的な大流行)がいつ起きるかはわからないが、緊急時の各国の対応能力の格差が世界にとって深刻な弱点となっていることは明らかだ」と、米CDCトップのアン・シュチャットは言う。現代の感染症対応は1国だけではできない。世界が知見と情報を共有し、連携することが不可欠になる。

戦前、物理学者の寺田寅彦は浅間山噴火について〈ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい〉と書き残した。有史以来、人類とともにあり、時に脅威となってきた感染症も同じだろう。

特に、未知のものに直面したとき人は不安をかき立てられる。大切なのは正確な情報と備えだ。政府や専門家は幅広く事態を想定して対策を考える。それをわかりやすく国民と共有することがさらに重要だ。

「自国第一」の潮流が世界に広がっているが、感染症に「対岸」はなくなりつつある。火事が起きた時、自国の備えとともに即座に消火に加わることが求められる時代だ。日本に貢献できる場面は多い。国外の危機対応に積極的に加わることは自国の社会をさらに鍛えることにもつながるはずだ。