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次々と生まれる小頭症児、9割は貧困家庭だった ブラジル、ジカ熱流行の現場

World Now
ブラジル北東部で生まれた小頭症児と母(左端) photo: Ogawa Yusuke

■オズワルドクルス大学病院医師 マリア・アンジェラ・ホシャ(69) =ペルナンブコ州レシフェ

医療に携わって45年、AIDS(後天性免疫不全症候群)など多くの感染症患者への対応に関わってきましたが、ジカ熱のアウトブレイクには、驚きを隠せませんでした。当初は、何をどう考えればいいのかもわかりませんでした。収入に余裕がある層の一部が米国のマイアミに避難するなど、パニックが起きました。

この病院では158月に最初の小頭症の患者が確認され、出生のピークは1011月ごろでした。数多くの重度小頭症の乳幼児たちを目の当たりにし、今後いったい何人の小頭症児が生まれてくるのかと途方に暮れました。心理的にも大きなストレスを感じ、無力感を覚えました。医師であるのに、問題を何も解決することができないという無力さです。

小頭症患者の家族のうち、約90%が貧困層でした。そうした人びとの家は上下水道が整っていなかったり、周囲に捨てられたごみが回収されないままになっていたりします。屋外に水をためて使うので蚊が増殖します。小頭症児を産んだ母親たちは子に付きそうために仕事を辞めなければならず、父親が家族を置いて逃げるなど、家庭が崩壊してしまったケースもありました。精神的な負担から多くの母親がうつになるなど、ただでさえ苦しい暮らしに追い打ちをかけました。ジカウイルスが広がった背景には、社会的な問題があります。

ペルナンブコ州では、以前も年間に9例ほどの小頭症児の報告がありました。それが、15年は8月からの3カ月間だけで約80人に増えました。そこで私たちが思い当たったのは、1546月に「デング熱」と思われる患者が多数出たことでした。当時は「(デング熱として)軽症患者が多くてよかったね」と話していたのですが、あれがジカ熱だった可能性があります。ほとんどの症状は軽く、発疹もかゆみがある程度。45日ほどで治っていました。当時はジカ熱かどうかを確かめる医療機材はなく、そもそもジカ熱という想定すらありませんでした。その後、妊娠初期にジカウイルスに感染すると、小頭症の子どもが産まれるリスクが高まることがわかりました。「デング熱」と思い込んでいた感染症が流行した時期と小頭症児の母親たちの妊娠初期がちょうど重なっていました。

どうやってブラジルにジカウイルスが入ってきたのか、はっきりとはわかりません。14年ごろにウイルスが入ってきたと聞いています。感染が広がったブラジル北東部ではそのころ、サッカーのW杯やコンフェデレーションズ杯の試合があり、近年アウトブレイクがあったタヒチの人たちも訪れました。レシフェは蚊の発生も多い都市なので、こうした大規模なイベントと媒介蚊が感染拡大につながったのではないかと考えられます。ジカウイルスは、感染しても8割の人は症状が出ません。小頭症児を産んだ母親の約40%は、ジカ熱のような症状が出たことはなかったと言っています。感染した人がそうとは知らずにブラジル入国し、その人を刺した蚊を媒介して広がった可能性が考えられます。

小頭症児の問題が明らかになると、短期間にほかの病気とは比べられないほど多くの関連論文が発表されました。世界中の医師や研究者が連携し、様々な研究結果を次々と発表するというのは初めての経験でした。今のところ研究されている約40種類のワクチンのうち、今後3年間で34種類が実際に使われるかもしれません。こんな短い期間にワクチンの研究・開発が進み、実際に使われるようになるとすれば素晴らしいことだと思います。

私たちには小頭症の子どもたちの成長を見届ける義務があります。小頭症児は、理学療法士や聴覚、話し方、体の動かし方などの専門家の助けや専門的な機材がなくては成長が困難です。子どもの成長とともに、私たちも新しいことを学んでいく必要があります。

日本では20年に五輪があります。ジカ熱は感染しても症状が出ないことも多く、健康でもウイルスを持った人が入国することもあります。蚊の種類によってウイルスが広がる可能性は大いにあります。重要なのは、ジカ熱がどんなものか、どう広がるのかを理解しておくことです。アウトブレイクの当時、私たちはどう感染を防げるかすぐにはわかりませんでしたが、今は感染の拡大防止、予防法がわかっています。感染拡大が起きたときにパニックに陥らないよう、みんながウイルスについてよく知っておくことが大切だと思います。

■カンジダバルガス産婦人科病院医師 ジュリアーナ・アラウジョ(40) =パライバ州ジョアンペソア

この産婦人科では、ジカ熱が流行した159月から翌年1月までに、210人の小頭症の子どもが生まれました。当時はみなが驚きました。そして、職員全員で何かできることはないのか、動き始めました。専用の診察室をつくり、どうやったら親子を診察できるかを考えました。資金はなく、手当もありませんでしたが、働きました。政府は(対策に)資金を出したと言いますが、私たちのところにまでお金は回って来ませんでした。一部の機関には新しい機材が届いたようですが、私たちの産婦人科には何も届きませんでした。ジカ熱のアウトブレイクが起きて12年が経ちましたが、最近になってようやく、患者がジカ熱にかかっているかどうかを確かめる迅速診断キットが届いたところです。

この病院では1511月から、頭囲が32センチ以下で生まれてきた赤ちゃん全員の血液を採取して保管するようにしました。これを1週間に1度、サンパウロの大学などに送って遺伝子検査にかけてジカ熱かどうか調べてもらっていました。ただ問題は、あまりに量が多いので全検体は送れなかったことです。1週間に送れる検体は三つと決められていました。最終的には、子どもの症状や父母の健康状態を見てジカ熱かどうかの診断を下していました。今も、すべての検体で遺伝子検査ができているわけではありません。

重度の小頭症の子どもは座ることができません。足を伸ばしたりとか手を伸ばしたりすることがなかなかできず、触られると体を縮め、丸まってしまいます。健常児ならこうした動きは生後23カ月のころになくなりますが、小頭症児はこうした出生直後の体の反応がなくなりません。体は硬直しがちで、立つこともできません。目に障害がある子どももいます。