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エボラ熱対策、「アフリカは危ない」の固定観念ないか

アフリカ@世界 更新日: 公開日:

常識的振る舞いで多くは感染防げる

 大学の探検部員として仲間と初めてアフリカに渡航した26年前、私は12本の予防注射を打ってから日本を発った。黄熱病1本、コレラ2本、破傷風2本、狂犬病2本、A型肝炎1本、B型肝炎3本、髄膜炎1本。渡航先のニジェールの政府は入国する外国人に黄熱病の予防接種を義務付けていたが、他の注射については任意だった。

 食べ物を十分に加熱すること、ボトル入り飲料以外は飲まないこと、どうしても井戸水を飲む時は十分に煮沸すること、手洗いの徹底、虫刺されに気を付けること、不用意に犬や家畜に近寄らないこと、裸足で歩かないこと、けがに気をつけること、傷口はすぐに消毒すること、見知らぬ動植物に触れないこと、不特定多数の異性と性交渉を持たないこと──。

 後年、アフリカ大陸で家族と暮らし、大陸各地で仕事をするようになってから、そうした常識的な振る舞いを一つずつ実行すれば、多くの病気は予防できることが分かった。今から思えば、26年前の12本の予防接種は、明らかにやり過ぎだった。当時の私は、ひと言でいえば無知。アフリカについて何も知らないにもかかわらず、「アフリカは病気が多くて怖い」という固定観念だけは持っていたのだった。


 恥ずかしい昔話を書いたのは、エボラ出血熱の発生に関するニュースを耳にしたからである。世界保健機関(WHO)は5月12日、アフリカ中部のコンゴ民主共和国でエボラ出血熱の感染者が確認されたことを明らかにした。感染者が出たのは中央アフリカ共和国との国境に近い北部地域で、4月22日以降、住民9人が感染した疑いがあり、うち1人から検査で陽性反応が出たという。WHOは感染の拡大を防ぐための対策を急いでいる。

アフリカ全土に広がった渡航自粛

 エボラ・ウイルスは1976年、アフリカのスーダンで死亡した男性患者から初めて検出された。ほぼ同時期にザイール(現コンゴ民主共和国)でも流行した病気の患者からも同じウイルスが見つかり、ザイールでの死亡者の出身地近くを流れる「エボラ川」にちなんでエボラ・ウイルスと命名された。以来、エボラ出血熱は、アフリカ大陸中央部のコンゴ民主共和国やガボンの熱帯雨林地域を中心にしばしば流行してきた。

 エボラ・ウイルスは非常に感染力が強く、対症療法以外に有効な治療法が存在せず、致死率が極めて高い。高熱に加えて鼻や消化管から出血するため、人々に強い恐怖を与える。

 その名が日本社会に広まったのは、西アフリカのリベリア、シエラレオネ、ギニアの3カ国で、2013年末から15年にかけて感染拡大した時だった。3カ国では対策の遅れによって感染爆発が起き、1万1000人以上が死亡する事態となった。それまでの流行時の死者は数人から数十人、多くても200人を超える程度であったから、この時の感染爆発は前例のない危機的な事態として国際的に大きく報道された。

 エボラ出血熱が恐ろしい感染症であることは間違いないが、この病気は空気感染せず、感染者の体液や血液に触れなければ感染しない。したがって、患者の隔離措置が十分ならば感染拡大を防ぐことが可能である。2013年末~2015年の流行の際は、この西アフリカ3カ国から他の国への人の移動が厳しく管理されたので、ナイジェリア、米国、スペインなどで若干の感染者(医療従事者の2次感染が中心)は確認されたものの、3カ国の外で感染爆発するような状況にはならなかった。

 ところが、この時、厄介な問題が起きた。西アフリカ3カ国でのエボラ出血熱の流行を理由に、アフリカの全ての国への渡航を自粛する動きが広まったのである。
 当時、ナイジェリアの財務大臣を務めていた元世界銀行専務理事のオコンジョイウェアラ氏は、ある国際シンポジウムで、南アフリカ共和国やエチオピアで開催予定だった国際会議が「エボラ出血熱の発生地であるアフリカへの渡航自粛」を理由に中止された実例を紹介し、国際社会に冷静な対応を呼び掛けた。

「アフリカは危ない」固定観念ないか

 南アもエチオピアも、流行地である西アフリカ3カ国から直線距離で5000キロ以上離れている。5000キロといえば、東京からヒマラヤ山脈を擁するネパールの首都カトマンズまでの直線距離に等しい。
 西アフリカ3カ国と南アは、同じ大陸上に存在しているとはいえ、間には広大な砂漠やジャングルが広がり、基本的に空路でなければ移動できず、空港では厳重な検疫体制が敷かれている。にもかかわらず、当時、私の周りにも「リベリア、シエラレオネ、ギニアにおけるエボラ出血熱の感染拡大を受けた安全対策」として、社員に南アなどへの出張を許可しなかった日本の大企業がいくつかあった。

 こうした安全対策がバランスを欠いた過剰反応であることは、次のように考えてみると分かりやすいかもしれない。ネパールの山中で、エボラ出血熱のような血液に直接触れなければ感染しない疫病が流行したとしよう。その時、「同じアジア」というだけで、欧米人たちが日本への渡航を次々と取りやめたら、我々はどう思うだろうか。
 日本の大手企業では、およそ合理的とは言い難い、こうした「アフリカ向け安全対策」を目にすることがある。
 テロや感染症などのリスクがアフリカに存在することは事実であり、備えを怠らないことの重要性は論を俟たない。だが、それは丹念な情報収集と、科学的な分析に基づくべきであり、「アフリカは危ない」という固定観念にとらわれるべきではない。
 問われているのは、自らが固定観念に縛られている可能性を自己省察してみることではないだろうか。