2011年7月22日。多くの人が夏休みを満喫する中、オスロ中心部で大きな爆発音が響いた。政府庁舎での爆破事件では8人が死亡、その後オスロ市から離れたウトヤ島では、多くの若者を含む69人が銃乱射事件によって死亡した。ブレイビクが狙ったウトヤ島では当時、中道左派「労働党」の青年部が夏合宿を行っていた。ノルウェーは若者を大事にする国で、各政党の青年部は優秀な政治家を育てる機関でもある。ブレイビクはその労働党の卵である青年部の10~20代の若者を狙った。
今年は10年目ということもあり、政府主催の記念式典が開催され、大々的な報道が7月頭から22日まで続いていた。
式典には王室一家、ソールバルグ首相、テロが起きた当時に労働党の党首で首相でもあった現在のNATO事務総長ストルテンベルグ氏ら、そして遺族が参加した。
首都オスロでは市民がオスロ大聖堂や政府庁舎の前に、労働党のロゴであるバラの花をたむけた。コロナ禍や夏休みということもあり、現場に花をたむけられない市民や企業はSNSで思いを伝えた。「絶対に忘れない」という言葉と赤いバラの写真がインスタグラムやフェイスブックに溢れていた。
またノルウェーのメディアは7月に入ってから、毎日、テロを振り返り、反省し、議論をしようという報道を続けていた。その中で、大きな議論のひとつとなったのが「ウトヤ島カード」だ。
ノルウェーのテロとの向き合い方は特徴的だと、以前から国際社会は指摘している。「私たちが復讐と怒りに飲み込まれ、社会の形が変わったら、それこそブレイビクの思うつぼだ」という考え方があり、「復讐ではなく、愛と民主主義で返そう」「なぜこの平和で小さな国からビレイビクが生まれたのか。同じ悲劇を繰り返さないために考えよう。忘れないでいつづけよう」という声がこれまで繰り返されてきた。
だが10年経って、悲劇を繰り返さないために話し合おうという空気の向こう側に「お願いだから、この話には触れないで」という別の空気が生まれている。実際に教育現場などでは「話題にしにくい」という声があがっていた。
ノルウェーは人口530万人という小さな国なので、知人は至る所におり、「あの日、大事な人を亡くした」遺族やニュースを見るだけで辛くなるという人が周囲にいる。
ただ、話しにくい理由はそれだけではない。今年注目されたのは、事件が政治対立の「カード」とみられるようになった現実だ。
議論でタブーとなるカード
ノルウェーには事件の日付や現場を指して「22・7カード」「ウトヤ島カード」という言葉がある。例えば労働党が議論の場で犠牲者の立場で語った時に「労働党がウトヤ島カードを出してきた」と言われる、そんな使われ方だ。この言葉に人々は非常に敏感で、もろく、傷つきやすく、怒り、いらだち、感情的になる。
ブレイビクはノルウェーの右派政党「進歩党」の党員でもあった時期があり、海外メディアの報道では今でもそのことが出てくる。複雑なのは、進歩党はいまのノルウェー連立政権に閣外協力している政党でもあることだ。
ブレイビクと進歩党を結びつけることは、国外の人が思っている以上にこの国ではタブーだ。今もソールバルグ首相率いる中道右派政権は進歩党なしで権力は維持できない。そのため首相が属する保守党などはこの議論を曖昧にしたがり、ノルウェーのメディアも「進歩党とブレイビクは違う」「進歩党はそこまでひどくない」「国際メディアはよくわかっていない」という傾向があり、両者をあまり結びつけたがらない。
進歩党とウトヤ島カードがセットになると何がノルウェーを感情的にさせるのか?
そういうデリケートな環境の中、犠牲者となった労働党の青年部が、ブレイビクをテロリストにした背景のひとつである進歩党の責任を指摘したとする。
しかし、そうなるとメディアや政治家たちから、こんな反応が出る。「あなたたちは辛い経験をした。でもお願い。これ以上は挑発しないで」と。
「そのカードを出さないで」
そしてテロをめぐる議論が進歩党に向けられると、批判はさらにこのような方向にいく。「労働党が『テロの犠牲者』という立場を利用して、同情を買い、対立者を批判することに利用し、政治的に使っている」と。しかし一方で、多数の犠牲者を出した労働党青年部に対しての同情や悲しみの気持ちもあるから、責めにくい。「労働党がウトヤ島カードをまた出してきた」と口にした結果、「ひどい」と抗議され、炎上・謝罪した政治家やメディアは多い。まさに開けてはいけないパンドラの箱だ。
国内最大政党で最大の権力者であるはずの政党が、犠牲者の立場という複雑さ。だから公の場で、労働党の青年部がテロの話を持ち出すことを議論のテーブルに同席する者は嫌がる。結果、労働党の青年部はテロ事件の悲劇を繰り返さないための話し合いに参加しにくくなった。移民政策とテロも関連づけにくくなった。
これが10年経った今、ノルウェーで起きていることだ。
「考えてみてほしい。ブレイビクの過去の言葉と彼のマニフェストと、進歩党の政治家の投稿のコメント欄は、一体どれほど大きな違いが果たしてあるのかと。進歩党とブレイビクのつながりを口にする時の不快感は、彼が党員だったからではない、実際にテロリストが受けた政治的インスピレーションは、一部の進歩党の党員と同じ泥の中にあるからだ.......進歩党にテロの責任はない。この話はこれで終わり。テロリストに罪がある。この話はこれで終わり。でもノルウェー社会で起きているこれらの現象に、進歩党がどのような役割を果たしているか話せてもいいのではないか?」
これは現地で話題となっている『ウトヤ島カード』(Utøyakortet)(スノッレ・ヴァーレン著)からの引用だ。
ブレイビクという人を生んでしまった社会構造の問題、悲劇を繰り返さないための教訓を話し合おうという雰囲気はあったのに、『ウトヤ島カードを出してきた』との批判を恐れて腰がひけるようになり、移民議論に異なった姿勢で参加せざるを得なくなった労働党とその青年部。
社会も問題の深堀りを避けるようになった。
これこそがブレイビクが成し遂げた、テロ後のノルウェー社会の変質ではないか。