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マイナンバーというゾンビ 新型コロナで義務化を仕掛ける政府が隠す過去

小笠原みどりの「データと監視と私」 更新日: 公開日:

新型コロナウィルス対策として支払われる1人10万円の給付金申請手続きで、マイナンバーがもたらした混乱が止まらない。原因は、人口の16%にしか普及していないマイナンバー・カード(個人番号カード)を政府がオンライン申請に必要としたからだが、オンライン申請を中止・終了したり、「郵送申請の方が早い」と呼びかけたりする自治体は増え続けている。オンラインの方が早いという政府の宣伝を信じ、混雑する役所で長時間待たされた挙げ句、あまりの手続きの煩雑さに断念した人も多い。緊急事態の最中で「三密」と不必要な負担を生み出した政府への不信は高まっている。

ところが政府・与党は、マイナンバー・カードの失敗を認めるどころか、普及のために、マイナンバーと銀行口座のひも付けを義務化しようと動いている。給付金をエサに人々に身分証を持たせ、個人口座の把握にもつなげようという衝動は、実は国民総背番号制という政府の古ーい夢から来ている。そのために過去40年間繰り返してきたICカード実験が、ことごとく失敗したことは隠しながら、身分証で人々を見張ろうとする亡霊が、ウィルスとともに徘徊しているのだ。

全員が国民身分証を持ち歩くユートピア

1970年、現在のマイナンバーにつながる一冊の本が出版された。『一億総背番号』(発行・日本生産性本部)。著者は元衆議院議員で医師の中山太郎氏。コンピューターが導入された60年代に、日本の政財界は「生産性の向上」のため、技術をフル活用した人間の管理を提唱し始めた。その理想郷とは――。

自動操縦の車に乗っていた主人公N氏は、前のトラックが積んでいた人工肉が突然崩れて、緊急ブレーキを踏み、気を失った。車からSOSが自動発信され、30秒後に救助ヘリコプターが到着。データ係がN氏の個人番号が入った身分証を読み込み、病院と警察へ通報。警察は事故を家族や保険会社に通知し、事故に巻き込まれた外国人もパスポート番号から病歴が判明し救出される。事故処理の裁判やN氏の再就職まで、すべてが個人番号と身分証のおかげでスムーズに展開する――という筋立てだ。

当時の行政管理庁(現総務省)は、パスポートや年金、運転免許証など各省庁の持つ個人情報を「統一個人コード」でまとめる構想を発表。「行政対象としての国民個人の正確な把握」を目指す姿勢には、政府の「お上」意識が丸出しで、人々にとっての必要性はどこにも見当たらない。そこで、中山氏が描いたような、もっと魅力的な「国民保護」の物語がつくり出されたのだろう。しかし、この話は裏を返せば国が、誰がどこで何をしているかを監視できるということ。身分証はむしろ歴史的に、人々の行動を制限する管理や動員に使われてきた。今なら携帯電話が身分証以上の監視機能を果たすだろうが、こうして統一番号と身分証によって人々の動向を把握する夢物語が、日本の政治に登場した。

失敗続きのI Cカード事業

番号制を実現する手段として、政府は80年代から、大量のデータを保存できるICチップを搭載したカード事業を各地で推進した。私が取材した島根県出雲市では、91年に写真付きのICカードを市民に発行し、当時の岩國哲人市長が「現代のお守り札」として携行を呼びかけたが、どれも惨憺たる結果に終わった。

65歳以上を対象にした「福祉カード」は、緊急連絡先や薬の副作用歴を医療機関が書き込み、患者情報を共有するはずだったが、既往症を知られたくない患者や、手間がかかると記入しない医師が相次いだ。6年間に7700人に発行し、救急医療に役立ったのは何と1件。「お守り」だからと、タンスにしまい込むお年寄りもいたという。

続く「児童カード」は子どもの生育歴を書き込み、「市民カード」にはキャッシュカード機能をつけたが利用されなかった。6億円を注ぎ込んだ岩國構想は破綻した。当時の自治省や郵政省(ともに現総務省)、厚生省(現厚生労働省)、通産省(現経産省)などが様々な事業名で助成金を出し、岡山市や静岡市など各地で似たような実験をさせたが、大半が根付かず、助成金が切れるとともに廃止された。

私は、手を変え品を変えしても普及しないIC身分証にしびれを切らした推進派の出雲市議が、ふともらした言葉を今もよく覚えている。「カードは全員に持たせなければ成功しない。国が携帯を義務化すればいい」。どれだけ利便性で覆い隠しても、身分証を強制することが推進派の本音なのだ。

住基ネットへの抵抗

こうした津々浦々でのカード事業の失敗をすべて隠して、政府が99年に強行採決したのが住民基本台帳ネットワークをつくる法案だった。住基ネットは、市区町村にある住民基本台帳に登録された一人ひとりに一元的に番号を振り、個人情報を電算化して国と接続、共有する、まさに初めての国民総背番号制だった。私が新聞記者として監視問題を取材するようになったきっかけだ。

住基ネットに最初に鋭く反応したのは自治体だった。というのは、市区町村は住民票や戸籍の個人情報を長年取り扱ってきたので、個人情報が外部に漏れたり、悪用されたりした場合、深刻な被害が及ぶことを住民たちが訴えてきた。80年代から福岡県春日市などで、住民基本台帳のサーバーを外部と接続したり、本人の同意なしに外部に提供したりすることを禁じる個人情報保護条例ができ始め、住基ネット法案成立前夜には、全国の約半数に上る市区町村に及んでいた。国への情報提供を強要する住基ネットによって「私たちのつくってきた個人情報保護制度が崩れていくようだ」と語った春日市職員の言葉も、私は忘れない。

住基ネットもマイナンバーも、自治体ごとに分散保護され完結していた個人情報を、中央集権的に再編成しようとした(だから今回のように、マイナンバーに対応することは自治体にとって余計な仕事でしかない)。こんなトップダウンのやり方に、抵抗が起きたのは当然だった。2002年に稼働した住基ネットには、福島県矢祭町など不参加を表明する自治体が現れた。11桁の番号には自然発生的な反対運動が巻き起こり、本人通知書を返却したり、捨てたりする人が何万人も出た。一方で、全国で操作端末1万台以上といわれる巨大ネットワークは技術上のトラブルにも見舞われた。住基ネットをプライバシー侵害として国を訴えた住民裁判は、全国で17件を数えた(詳しくはこちら)。

さらに、03年から発行された住基カードは、過去のICカード実験の失敗を地で行く不人気ぶりだった。人口の6%にも普及せず(総務省の資料には、恥ずかしそうに小さい文字で書いてある)、15年に終了した。

それでも続くIT公共事業―― 税金の無駄遣いでは済まない危険

信じがたいことだが、住基ネットが強力な反対によって無用の長物と化していった最中にも、ICカード実験は続いた。森政権下での「電子政府構想」、その後の「社会保障カード実験」――こうしたIT公共事業で、日立、NEC、東芝、 NTTデータといった大企業が、何億円という契約金を受け取り続けた。あたかも失敗することで、実験を継続できるかのように。しかし、私たちはこんな高価なゾンビに生き血を吸われ続けて、いいのだろうか?

私たちが吸われているのは、血税だけではない。個人情報というデータは、私たちの分身であり、時に私たちの生き死にを左右するほどの影響を持つ。多くの人は国民身分証を必要としていないだけでなく、監視の危険性を直感的に感じ取り、持たずにきたのだろう。だからコロナというショックを利用して、安倍政権はマイナンバー・カードを押しつけ、銀行口座に手を伸ばしている。

が、人のいのちを守らなければならない時に、これ以上失敗している暇はないはずだ。前回述べたとおり、マイナンバーやカードを使わなくても、オンライン申請も、素早い振り込みも可能なのだ(日本でもそれを始めた自治体がある)。どれだけ税金を浪費し失敗しても誰も責任を問われなかったICカード40年の歴史は、現実と向き合いましょうよ、と言っている。空疎なユートピアから来たゾンビに、付け入るスキを与えないために。