「新感染者1カ月余ゼロ」
まず、ラオスの新型コロナの現状を見てみよう。ラオスで確認された感染者は15日現在、19人、死者はゼロ。1カ月余りに渡って新たな感染者も発表されていない。1月に中国国境付近で原因不明の死者が出たこともあり、医療体制の不備から感染者を特定できていないだけではないかとする指摘は根強い。ただ、ラオスに住む知人たちの話を聞いてみても、数はともかく蔓延を食い止めていることは確かのようだ。
ラオスの人口は約700万人、国土の面積は24万平方キロメートル。日本の本州とほぼ同じ広さに、東京都江戸川区と千葉県をあわせたぐらいの人々が住んでいる。国土の約8割は森や高原で、働き手の7割が農業に携わる。人口密度が低く、都市化が進んでいない。ビエンチャンに駐在する国際協力機構(JICA)ラオス事務所長の米山芳春さんが解説してくれた。「いわゆる『3密』(密閉・密集・密接)が少ない土地柄であることに加えて、(一党支配の)政治体制や国民性もあり、国民が政府の指示を守っていることも大きい。感染者の数にとりこぼしがないとは言い切れませんが、基本的には抑制できていると思います」。ラオスは5年に一度の党大会を来年に控えて、なんとしても感染爆発を避けたい政治的な意思も強かった。
ラオス政府は、日本人職員もいる世界保健機関(WHO)ラオス事務所など国際機関と連携しながら、対策を練ってきた。1月から国境の管理を強め、武漢へ留学していた若者たちにも帰国を許さず、政府が支援をする代わりに現地にとどまるように指示したという。3月24日に初めての感染者が発表されてからは、トンルン首相が音頭をとるかたちで、物流を除く国境の封鎖や外出禁止を含む都市封鎖など強い規制を敷いてきた。4月半ばから新たな感染者が確認されなくなり、5月に入って外出禁止を解除した。条件つきで工場やショッピングモール、理髪店などの再開を認めた。規制を緩和する方向へ踏み出している。
先進国では最大の援助国である日本も支援している。2月には日本からの拠出金によってアジア欧州財団が備蓄してきた防護服、ゴーグル、検査手袋などを贈った。青年海外協力隊による院内感染対策への支援を含む感染症対策や保健医療分野での人材育成など、長年の協力も生かされている。「日本は、まずは国内での制圧が重要だが、併せてこれまでの経験を生かしてラオスの対策に貢献し、長年の信頼関係を強くしていきたい」とJICAの米山さんは話す。8万人を超える死者を数える米国の政府もマスクなど個人用の医療器具のほか200万ドル(約2億2000万円)の支援を決めている。フランス政府もラオス国立パスツール研究所などを対象に東南アジアの国々に200万ユーロ(約2億3000万円)を贈る。
とはいえ、日本や欧米など先進国は国内の対応に追われている。突出しているのは、中国の援助である。陸の国境を接したラオスでの感染拡大は自国に直結しかねないうえ、「一帯一路」の南進に不可欠な隣国でもあるからだ。
4月24日、首都ビエンチャンのワッタイ空港。赤いひとつ星に「八一」の文字が書かれた中国人民解放軍の航空機が着陸した。医療専門家5人とマスクや防護服、検査キットなど医療物資を運んできたのだ。出迎えたラオス国防部副部長のアイシャマイ少将は「ラオスの医療体制は遅れている。今は蔓延を抑えられているが、いったん爆発したら困難に陥ってしまう。心から感謝する」(中国国営新華社通信)と述べた。習近平政権が掲げる世界統治の理念「人類運命共同体」を実現するパートナーとして、支援を高く評価したという。
ラオスは感染者が確認されていなかった2月、現地の友好協会が中国に対して40万ドル(4300万円)と医療物資を贈っていた。2月下旬に中国たっての希望でビエンチャンに東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国の外相が集まり、コロナ対策を話し合った。「武漢がんばれ」とみんなで声をあげた。
その後、自国の感染がピークを越えたと判断した中国は「発生源」との批判を交わすためにも、世界中で積極的な「コロナ外交」を展開。ラオスに対しても手厚い援助を始めた。軍ルートに限らず、党や政府間でも協力を進める。治療経験のある専門家によるビデオ会議など知的な支援も手厚い。
ラオス研究の専門家、アジア経済研究所研究員の山田紀彦さんは言う。「ラオスはコロナに限らず、中国からの援助に対してさほど警戒心はありません。他の国からの援助同様にありがたいと考えているでしょう」。ラオス政府からみれば中国は、圧倒的な国力の差を抱えるお隣さん。人口もGDP(国内総生産)も、国境を接する雲南省ひとつにも及ばない。巨竜の経済力を自らの利益と安定につなげる関係作りが、外交の基本である。コロナ禍でも変わらない。
その両国の関係を象徴するプロジェクトが、中国とラオスを結ぶ鉄道「中老鉄路」である。雲南省からラオスを通ってタイ湾へと抜けるルートの一部だ。国際輸送の多元化を目指す中国は、海へつながる鉄道を求めている。ラオス内は、中国国境の北部ボーテンと首都ビエンチャンを結ぶ約410キロ。山がちなことからトンネルや橋が全体の6割を占めるが、2006年の着工から5年で開業を目指して工事を進めてきた。この連載でも2019年2月に詳しく紹介した。
「中老鉄路」は、コロナ禍でどうなっているのか。
2021年開業目標変えず
中国の旧正月をはさんで帰国していた中国人労働者が、コロナの感染が拡大するなかで予定通りに戻れなかったり、地元の人々もコロナ対策で現場に入れなかったりして、一部の工区では遅れも出ている。米政府系放送局「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」によると、北部のある工区では、中国の雇用主が突然に姿を消して、ラオス人労働者ら約30人に対して賃金の未払いが発生しているという。
だが、両国とも全線開業の目標日は変えていない。2021年12月2日。ラオスの建国記念日である。「都市封鎖」で外出が禁止されたり工場が休業したりするなかでも、工事は続けられてきた。中国人労働者の住まいは現場の近くにある。私が「コロナ」前に取材した場所ではトンネルに隣接する灰色のプレハブ住宅に住んでいた。旧正月でも帰省しなかった中国人もいたそうだ。
3月に入って電化工事に正式に着手し、軌道の敷設も始まった。橋やトンネルの完成が次々に伝えられている。すでに数百人規模で鉄道専門人材の採用も始めた。中国側は遅れを取り戻そうと力む。国営新華社通信は「企業の信用と国家の名誉のため」、幹部技術者や事務員、運転手も現場に出ている、と報じている。
「中老鉄路」を構想時から追うラオス専門家の山田紀彦さんは言う。「高速鉄道はラオス政府にとっても優先順位の高い事業です。開業日は建国記念日の重要なイベントとして、ラオス側から強く希望して設定されました。工事を円滑に進めるために労働者の移動などにあたって、ラオス側が便宜を図った可能性もあります」
ただ、コロナ禍で世界全体がマイナス成長に転じる見通しとなるなか、ラオス経済への影響は必至だ。「成長は減速し、税収が減るいっぽうで、対策による支出は増える。財政が悪化するなかで、鉄道建設費用に限らず、政府が抱える債務はより大きな問題になるでしょう」と山田さんは危ぶむ。ラオス政府はすでに、中国に限らずお金を借りている相手に対して、今年の返済分について期限の繰り延べを打診している模様だ。
そんな懸念をよそに、投入される車両の入札が始まっている。中国国有企業中国中車製の「CR200J」が採用される見通しだ。中国では旅客と貨物が併走する在来線を走る緑色の「復興号」である。両端に機関車を配した「プッシュプル方式」と呼ばれる列車だ。なぜ、これが投入されるのか。中国の鉄道事情に詳しい「中国鉄道時刻研究会」のtwinrail/何ろくさんにきいてみた。
「日本ではほぼ見ない形式ですが、先頭と最後尾に機関車を配しているので終点でのつけかえが不要で便利です。またCR200Jは新しく開発された車両ですので、車内の居住性は高速列車なみですし、扉の開閉などの自動化も進み、乗務員が少なくてすむなどのメリットもあります」。なるほど。高速鉄道の鳴り物入りで着工したのに、「単線の160キロ?」と思っていたが、車両は走り始めて3年ほどの「新鋭」が投入されるようだ。
明るい緑に黄色いラインの車両で、中国の鉄道愛好家の間では「緑の巨人」とも呼ばれる。コロナの問題からは少し脱線してしまうが、この車両、山深いラオスの景色には人工的で派手すぎる色なのだ。ユネスコの世界遺産に登録された仏都ルアンプラバンも走る。開業日はともかく、「復興号」という名前と色はラオスに似合う仕様にぜひとも変えてほしいと思う。
ラオスに残るタイ幅の鉄路
コロナ禍のなか、タイとの国境も物流など一部を除いて封鎖されている。ラオスにとって、現存する唯一の鉄道であるタイとつなぐ国際列車は運行を停止したままだ。メコン川に架かる道路と併用の「第一友好橋」をはさんで、ビエンチャン郊外のタナレーン駅とタイ北部のノンカイ駅を結ぶ路線だ。その距離、わずか5.2キロ。コロナ対策による規制が始まるまでは、毎日2往復していた。運行は全線を通じてタイ国鉄が担っている。
15分の距離ながら、ラオスとタイ政府が1994年に合意してから2009年の旅客輸送の開業まで15年もかかった。タイバーツの暴落が引き金になったことから「トムヤムクン危機」とも呼ばれるアジア通貨危機の影響で計画は一時凍結され、最終的にはタイ政府の援助で建設した。19年には荷物がある時は貨車を客車につなぐかたちで、貨物の輸送も始まった。最初にタイから運んだのは、ラオス国内でビール醸造に使われるモルト(麦芽)、タイへ運んだのは「ビアラオ」。東南アジアの地ビールのなかで人気が高く、ラオスにとっては代表的な輸出品でもある名物ビールである。
鉄道敷設の意義について、井上毅・バンコク日本人商工会議所専務理事はこう、述べる。「短いとはいえ、内陸国ラオスが鉄道を通じて海につながった。保税制度が整えば、ラオスに港ができるも同然です」。だが、残念ながら目下のところ、保税制度が未整備なうえ、バンコクやタイ沿岸部までの直通列車はない。トラックやバスの便利さには及ばず、苦戦している。車で30分近くかかるビエンチャン市街地までの延伸計画も進んでいない。私が訪ねた時も、ホームにいたのはタイ側へ買い出しに行ったラオスの商人と外国人バックパッカー数人。にぎわいには遠かった。
さて、ひとつ気になることがある。線路の幅の行方である。
ラオスとタイを結ぶ短い鉄道の線路の幅は、タイと同じ1000ミリ。これに対して、「中老鉄道」の線路の幅は、中国と同じ1435ミリ。
2019年5月、ラオス、タイ、中国の間で興味深い協定が締結されている。「中老鉄路」のタイへの延伸にあたってメコン川に新しい鉄道橋を架けるのだが、線路の幅は統一しない。1435ミリと1000ミリの両方を敷設するのだ。中国からの列車はタイ側へ乗り入れる。いっぽう、タイからの列車も引き続き、ラオスまで乗り入れを続ける。ラオス内から1000ミリは消えない。
ラオスでは「中老鉄路」が走るなら「タイとの短い鉄道は不要」との意見も出ていた。しかし、タイ国鉄からみれば、後から割り込んできたのは中国である。日本貿易振興機構(JETRO)ビエンチャン事務所の山田健一郎さんは指摘する。「鉄道の地位向上を目指すタイ国鉄にとって、ラオス・ビエンチャンまでの路線の延伸は、積年の願いでした。計画よりも時間を要したのはタイ国内の政治や運輸業界内の利害調整に時間が掛かったことが要因の一つと言われています。それを超えてようやく延伸した鉄道です」。たかが5キロ、されど5キロ。しかも、タイの援助で造った。タイとしては、そう簡単に手放すわけにはいかない鉄道なのだ。
さらに、線路の幅は、政治的に微妙だ。軍事的にも経済的にも勢力圏のシンボルのように扱われる。前回のウズベキスタン編で触れたように、中央アジアではロシア幅か中国幅かで結論を出せず、中国が希望する新しい国際鉄道の構想は進んでいない。
中国とベトナムの間でも1000ミリが基本のベトナムが、のらりくらりと中国幅の国際新線の敷設を交わしている。
ラオスからタイ湾を目指してタイ国内を走る高速鉄道の建設にかかわる中国とタイの交渉は、コロナ禍の影響で遅れている。5.2キロの貨客の鉄路に四半世紀の時間を費やしたタイである。ラオスまで猛烈にアクセルを踏みこんだ「中国速度」の行方を、気長に注目していたい。