卑屈な宥和政策の象徴であるミュンヘン会談にたとえ、「第二のミュンヘン」とも呼ばれるヤルタ会談。東西冷戦のすべての問題はヤルタで始まったというのが歴史家たちの評価だった。しかしながら、フランクリン・ルーズベルト米大統領(当時)の健康状態が良ければ、そして2ヶ月後にこの世を去らなければ、ヤルタについての歴史的評価も大きく異なっていたかもしれない。このように自由世界の指導者の健康も歴史に多くの疑問符を残したが、独裁体制の指導者の健康は歴史を根こそぎ変えることもあった。
ちょうど2年前、金正恩が板門店の北側の板門閣を出て、軍事境界線をまたいで南側の平和の家まで歩いた距離はわずか200メートル余りだった。そのくらい歩いただけで、金正恩の顔は赤くなり、芳名録に署名する時には息が切れて肩まで揺れていた。文在寅大統領と「徒歩の橋」で対談を終えて戻って来た時には汗びっしょりだった。金正恩の荒い息を近くで聞いた韓国側の当局者は「金正恩の健康状態は大変だな…」と、その頃から嘆いていた。
その年の9月、平壌での南北首脳会談の時にも、金正恩の健康状態について話題になった。白頭山のケーブルカーの中で金正恩は息を整えながら、文大統領に「まったく息切れしていないですね」と言うと、文大統領は「まだこの程度では…」と答えた。これに対し、金正恩の妻李雪主(リ・ソルジュ)は「本当に憎いですね」と笑い、拍手までした。金正恩の不摂生についての遠回しの批判でもあった。それ以前にも、李雪柱は韓国側の特使団と会った時に金正恩に禁煙を勧めたが聞き入れてくれないと話していた。
金正恩が公式の席上から姿を消して半月がたつ。重体説から植物状態説、死亡説まで様々な憶測が飛び交っているが、北朝鮮からの消息は聞こえてこない。これまで何度も核ミサイルで挑発してきたが、これほど関心を引いたことがあっただろうか。金正恩が元気であれば、この状況を存分に楽しんでいるだろう。金正恩の健康について心配するのはむしろ周辺国の役割になったようだ。韓国政府は「特異な動向は見られない」と繰り返し、米国の大統領は「報道が不正確で、昔の文書を根拠に書いたらしい」と、フェイクニュースと受け止める発言をしている。
一昨年の板門店宣言は、米朝シンガポール宣言、南北平壌共同宣言につながったが、昨年2月の米朝ハノイ会談決裂ですべてが事実上原点に戻った状態だ。南北間では7.4共同声明(1972年)から南北基本合意書(1991年)、10.4首脳宣言(2007年)など数々の合意があったが、主役が変わり、対話が再開すれば、それらは参考資料となるのみで、紙切れと変わらないのが現実だった。板門店宣言は、今、一方の署名者の行方すら定かでない状況で2周年を迎えた。この宣言の寿命はいつまでだろうか。
(2020年4月27日付東亜日報 イ・チョルヒ論説委員)
(翻訳・成川彩)