I pushed Xinxin today.
そんな一文で始まるノートの1ページがある。フィリピンのセブ島で親子留学を始めた2018年秋から、ほぼ毎日書き続けていた英語の日記帳だ。
翌年2月からニュージーランド・フィティアンガで親子ホームステイをしながら英語学校に通い始めた私は、当初予定していた授業のコマ数を、現地で少しずつ増やしていた。子どもたちが現地での生活にも、ホストマザーのエリーさんによるシッティングにも慣れてくれていたことが大きかったが、いま振り返ると、直後に迫る「職場復帰」に対する緊張感があったからかもしれない。
4月に仕事に戻る予定だった私は、それまで2年半近く会社を休んでいた自分がお荷物にならないか、日に日に心配が増していた。英語留学の終わりが近づいてくると「この半年、ちゃんと成長したのだろうか私は」という思いにさいなまれるようになっていた。
フィティアンガで親子ホームスティを始めても、ホストファミリーの弾丸のような早さの英語についていけない。それならば、学校で先生と1対1で学んでいる時間を増やしたい――そんな考えだったと思う。
ああ、そうだ、それだけじゃない。
シンシンのアウェイアウェイ期、もといイヤイヤ期がひどかったんだ。くだんの英語日記、その頃は3日に一度は「シンシンは今日もNOしか言わなかった」と汚い字で書き殴っている。
ホストファミリーとの夕飯は、学校の先生と話す以外で英語のシャワーを浴びることが出来る唯一の時間だ。最初は苦労したものの、集中して聞いていれば、たまに分かることもあり、会話には極力耳を傾けていた。だが、そのファミリーの会話自体が、シンシンとルールーの泣き声二重奏によってかき消されることもしばしば。食事の時間は私にとって頭痛の種の一つとなっていた。夕方が近づくと「今日はみんなが平穏にご飯を食べられるだろうか」と憂鬱な気分になることもあった。
冒頭の日記を書いた日。午後、エリーさんの家に数人の来客があった。ファミリーは庭でBBQを用意していた。楽しい晩餐になるはずだったのに、そこで私は、客人の若い女性の1人と気まずい雰囲気になってしまった。彼女がテレビ台に置いたピルを、シンシンが2錠も飲み込んでしまったのだ。
「鎮静剤」と彼女は説明したが、どんな薬でどんな成分で、どんな時に飲むのか。説明を求めたが、私の英語は、そうした会話をするにはあまりにつたなかった。しどろもどろな私に説明をするのをやめ、彼女は誰かに電話し始めた。数分後「友達に聞いた。彼女は医療に詳しい子で、この薬は子どもに影響はないって言っている」と話すとピルをしまい、それ以上私が聞いても大丈夫、を繰り返した。
私は、気が動転した。よく分からない薬を、大人ならともかく子どもが飲まされたこちらは、何がどう「大丈夫」なのかきちんと教えてもらいたかった。そもそも、彼女は「ごめんなさい」という一言もないのだろうか。悪気があったわけじゃないから、謝る必要はないだろうと思ったのかもしれない。でも、小さな子どもが2人いる他人の家で、手に届くような場所にピルをぽん、と置いたことに対して、申し訳ない気持ちはないのか。
それからしばらくは、私はシンシンの不機嫌な態度が、ただのイヤイヤ期なのか、体調が優れないことによる苦しみなのか、気が気じゃなかった。
食事の時間になった。ファミリーと客人は、庭とダイニングを行ったり来たりしながら、BBQを楽しんでいた。
私は、子ども2人の食事に悪戦苦闘していた。
シンシンの不機嫌タイムが始まった。「ノー」と「アウェイ」を交互にわめき、スプーンを投げ、食べない意志を示すためにハイチェアからとっとと降りてしまった。とりあえずシンシンを放置し、ルールーに離乳食を与え始めると、こちらもぐずり始めた。泣きたいのはこっちだと思いながら離乳食をあげようとする私の左手首を、シンシンがつかんだ。そこは、出産以来私がずっと悩まされていた腱鞘炎が残っている場所だった。痛みの余り私はルールーの皿を落としてしまった。
私のなかで、何かが切れた。
シンシンを力いっぱい押し倒した。「Enough」と叫んだ。シンシンの小さな体は、1メートルくらい後ろに飛んでった。床に尻餅をついたシンシンは私をまっすぐに見た。恐怖で顔が引きつったあと、体中から振り絞るような声で絶叫した。逆にルールーはぴたりと泣きやみ、私のことを凝視した。
泣き叫ぶシンシンを、ホストファザーが庭から駆け寄り、抱き上げた。私は自分のしたことへの後悔と罪悪感で下を向いていた。その場にいた全員が自分に向けているだろう突き刺すような視線を感じた。自分の部屋に駆け込み、ドアをバタンとしめた。
ベッドにつっぷしていると、ピルの女性が部屋に入ってきた。
You are a mother!
最初の一言だけはっきりと分かった。その後は早口であまり聞き取れなかったが「あなたには子どもを見捨ててはならない義務がある」「子どもを放って部屋にこもるなんてなんてことを」みたいなことを言っていたと思う。
ベッドから起き上がると、仁王立ちした彼女が私を見下ろしていた。
You are a mother を3回は言っていた。
この人に対しては、どうしても謝りたくなかった。ずっと黙っている私をみて、彼女は信じられない、という表情を浮かべて肩を上げてため息をつくと、部屋を出ていった。
エリーさんが来た。腕にルールーを抱いていた。
「ユリ、私たちはみんなあなたの味方よ。子育ては大変なのはわかっている。でも、あんなことしてはダメ。メルトダウンする前に私たちを頼りなさい」
エリーさんの英語はゆっくりで、血液に染みこんでくるような優しさと力強さ、そして厳しさがあった。
I am sorry.
私は何度もそう言って、泣いた。しばらくして、ホストファザーが、しゃっくりするシンシンを抱いて、部屋に入ってきた。
「肉が冷めるぞ」
***翌日、私はいつものように学校に行きました。午前中の授業が終わると校長先生に呼ばれました。