ホストマザーがベビーシッターも
ニュージーランドのフィティアンガで実現した親子留学は、ホストマザーのElle(エリー)さんの協力抜きでは語れない。
私たちのホームステイ先とベビーシッターが決まったのは、出発のわずか2週間前だった。もともと、私は自分が学校に通う間は、シンシンとルールーを現地での保育園に預けることを希望していた。だが、最後まで空きはなかった。
結局、当初ベビーシッターとして名乗りをあげてくれたエリーさんが、ホストファミリーとしても引き受けても良いと言ってくれたことで、私たち母子は文字どおりエリーさん一家におんぶに抱っこの形で、親子留学に臨むことができたのだった。その両方を引き受けることがどれだけ大変なのか、私が知るのはもう少し先のことなのだが、今回は、学校の話をしてみようと思う。
私が通ったのは、「Evakona Education(以下エバコナ)」という語学専門学校だ。高校留学する外国人留学生のサポート校として2001年7月に開校。いまでは地域の25もの高校と連携するほど実績があり、ニュージーランドの国家試験の単位が取得できる教育施設として同国の教育省から認定を受けている。
学校長は元祖「親子留学」経験者
創設者で校長を務めるのはマクリーンえり子さん(69)。東京出身で親は小学校教師。塾の講師や業界紙の記者を経て、3児の母に。日本の学校でいじめや不登校の問題を目の当たりにし、小学校も卒業しないうちから塾漬けの生活を子どもたちに強いる日本の教育のあり方に疑問を持つようになったという。
1989年、当時5歳、9歳、11歳の子どもを連れて「自然が豊かで安全な英語圏」、ニュージーランドに移り住むことを決意。英語がまったく話せない子どもたちが地元の学校で大変な思いをしたことや、現地の高校で日本語を10年間教えた自身の経験などから「言葉の壁を乗り越え、ニュージーランドの生活に親しむためには、英語のレッスン以外にもきめ細かなサポート作りが必須」と考えた。後に再婚したニュージーランド人の夫の強いサポートもあり、おもに青少年を対象に、個性と体験を重視する学校を開く。それが、エバコナだ。授業は少人数制で1クラスは10人以下。11歳から社会人まで常に約30人を受け入れており、日本人だけでなく、欧州各国や中国、韓国からの生徒もいる。私がいたころは、UAEからの学生が3人いた。
力を入れるのは授業だけでない。専属のカウンセラーチームをおき、留学生が滞在するホストファミリーとの調整や生活指導などを手がけ、子ども(親子留学の場合は大人も)たちが英語を学びながら不安なく円滑にホームステイが出来るようサポートしている。
ちなみに、マクリーンさんの移住のきっかけは、1988年の朝日新聞という。当時まだ人口2000人あまりだったフィティアンガで、日本人向けの語学学校を開いた人の記事を読み、そこに自分の子どもたちを通わせたいと思ったそうだ。その学校は子ども向けではなかったため、母親であるマクリーンさんが生徒となって留学すれば、子どもたちを現地の学校に受け入れてもらえる、とアドバイスされ飛び立ったという。
まさに今で言う「親子留学」の先駆けだ。きっかけが朝日新聞というのは、なんだか嬉しい。
校舎は、木造の小さな小屋のような作りだ。もともと「ニュージーランドの典型的な」ファミリーホームだった1階建ての家を買い、三つの寝室を教室用に、リビングだったところをオフィス兼受付に、バスルームを教員用の資料室にそれぞれ改装したそうだ。
裏庭には大きなプラムの木や、南米原産の果物としても知られるフェイジョアの木が植えられている。
10代に混じって動詞の過去形から
初日のレベルチェックテストで私は、文法問題が90点中74点、スピーキングとライティング、リスニングも総合してUpper-Intermediate(上位の中級者)という判定をもらった。「レベルは大変高いですよ」と言われた時は涙が出るほど嬉しかった(きっと人生で一番英語が上手かった)。セブでの親子留学からもどってわずか2週間というのは、やはり大きかったようだ。
私が入学した時期は、同校に社会人留学生は1人もいなかった。ほぼ全員が16~20歳くらいの学生で、初級レベルもいた。私は、プライベートレッスンのほかにグループレッスンを申し込んでいたのだが、当時の構成だと、グループレッスンはまだ本格的な英語を学び始めて3年未満の中高生が中心。動詞の過去形などから始めるという内容で、正直言うと、やはり物足りなかった。でもたまには10代の子たちと学ぶのも良いか、などと思い直し、文法を一から学ぶつもりでグループレッスンを受けた。
プライベートレッスンは、充実したものだった。まず、使っていた教材が良かった。セブ島で学んでいたときは、授業で使う教材は学校が独自に編纂したものを、ペーパーレスで受けていた(詳細は第12回)。だが、エバコナでは、教科書と付属のワークブック、さらにプリントが出されて……といった具合で、どちらかというと日本の授業に近い感じだ。
教材は、オックスフォード大学出版の「English File」。先生によると「何年もかけて定評のある教材をたくさん試し、経験豊かな教師陣によって選び抜かれた一番良い教材だと自信をもって言える」という。確かに、環境問題やジェンダー問題、政治や経済問題から男女の会話まで、時代にあっているうえに、読むだけでも勉強になる示唆に富んだ内容で、CD-ROMを使えばパソコンを使って自分で何度も単語やライティングテスト、リスニングを復習できる仕組みにもなっていた。私はこれまでも、大手英会話スクールに通ってみたり、オンライン英会話を受けてみたりした経験があったが、この教材はいままで使ったなかでも一番良いと思う(仕事に復帰してからは一度も教科書を開いていないのが悔やまれる)。
「子どもが小さいから」授業は午前中のみ
当初、私は授業を午前中だけにするよう学校に言われていた。「お子さんの年齢が小さいので、お子さんが生活に慣れるまではコマ数を最小限に抑えてください」とのことだった。
授業を終え、ホストファミリーに戻ると、シンシンもルールーもちょうど昼寝中。エリーさんは「2人はよく遊び、よくミルクを飲み、本当に良い子よ。何の問題もなかったよ」と教えてくれた。
授業がない午後は、当然自分で面倒を見ることになる。エリーさんはいないことが多かった。他のホストファミリーや、ドイツから来ているホストシスターも仕事や学校に行っていた。誰もいない家で過ごすのはなんだか寂しく、私は、エリーさんが用意してくれた2人乗りのベビーカーにシンシンとルールーを乗せ、スーパーへ行ったり、公園に行ったりして時間をつぶした。
毎日、午前中3時間しか授業がないうえ、グループレッスンではあんまり学ぶものがない。しかも、昼にせっかく帰っても子どもたちは昼寝しているし、それなら午後にもう一コマくらいとれるのでは……。そう思った私は、1週間が終わると、たまらずエリーさんに相談してみた。
「せっかくニュージーランドまで来て英語を学んでいるので、出来ればもう少し授業を増やしたいのだけど」
エリーさんは、少し困惑した表情を見せたが、「大丈夫よ。学んでいらっしゃい」と言ってくれた。私は、学校側に「子どもたちはもうすっかりエリーさんにもなついています。授業を午後まで受けたいです」と伝えた。エリーさんの都合もあるため、まずは週2回だけ午後3時まで受けられるようになった。
後から、エリーさんは私のこの申し出のために、平日の午後に予定していたパートタイムの仕事を融通してシッティングしてくれていたと知った。
思えば、この時にもっと、エリーさんとちゃんとコミュニケーションをとっておけばよかった。
***エリーさんに甘える形で、私は少しずつ授業のコマ数を増やし、2週間を過ぎる頃には、金曜を除いて毎日、午後まで授業を入れるようになりました。語学学校に行くことに夢中になっていた私は、ホストファミリーとの間に、少しずつ生まれていた隙間に、気づいていませんでした。