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ホストファミリーの英語が聞き取れない NZ親子留学で初めて感じた孤独

育休ママの挑戦~赤ちゃん連れ留学体験記~
親子ホームスティしていた時の夕食の様子。左はシンシン。ドイツから来たホストシスター(左から2番目)やホストファミリーなどと話す楽しいひとときのはずなのだが・・・=ニュージーランドのフィティアンガで、ホストマザーのエリーさん撮影

ホストファミリーの英語が聞き取れない

ニュージーランドのフィティアンガに親子ホームステイという形で英語留学するようになってから2週間。私にはある悩みが生じていた。

ファミリーが話す英語がまったく聞き取れないのだった。

オーストラリアで使われるオージーイングリッシュは、Todayが「トゥダイ」になる、と言うように、英語にもアクセントの違いがあることはなんとなく知っていた。でも、そもそも私はアメリカとかイギリスとかオーストラリアとかに長期で滞在した経験はないので、「英語のなまり」というものを意識したことも肌身で感じたこともなかった。

フィティアンガに来る前まで4カ月半の間、親子留学していたフィリピン・セブ島はアメリカ英語を公用語としている。先生は(個人差はあるものの)総じてアメリカ英語で教えてくれたため、聞き取りやすかった。それ以外のフィリピン人、例えば家政婦兼シッターのジョセさんや、タクシードライバーやお店の店員さん、その他街で声をかけてくれる多くの人々は、確かにフィリピンなまりがあると言えばあるのだろうが、わりときちんと発音してゆっくり話してくれることもあり、思えば一度も聞き取りにくいと思ったことはなかった。

それが、親子ホームスティを始めて2週間たっても、ホストファミリーとの会話がさっぱり成り立たないのだ。正確には、私が話す英語は理解してくれていたのだろうが、返ってくる言葉を私が半分も理解出来なかった。何度も聞き直した単語が「friend」だった時は腰が抜けそうになった。

夕飯は試練の時間だった。

ホストファミリーの夕飯は、意外と遅い。シンシンとルールーが午後8時には寝る態勢に入るため、私たちが滞在していた時は午後7時にスタートしてくれていたが、普段は7時半から8時ごろから食べることが多いそうだ。

ホストマザーのエリーさん夫妻と、エリーさんの母、それにドイツから留学していたホストシスターの高校生オステラさんと食卓を囲む。そこにたまに、同居するエリーさんの長女や、別居する次男が混ざる。

ホストファザーの大きな靴を履いて遊ぶシンシン=ニュージーランドのフィティアンガで、今村優莉撮影

そこでの会話は、とにかく早い。

ニュージーランド人に限らず、ネイティブの人が集まるときはこうなのだろうとは思うが、どれくらい早いって、「フィティアンガの英語学校のレベルチェックテストで『とても高い』と評価を受けた私が、一言も聞き取れない」くらい早い。(ので、本当はたいしたことがないのかもしれないが、本人としてはそうとうなショックである)

加えて、独特のアクセントがある。

内心、何度もSlow down pleaseと言いたい気持ちに襲われた。だが、ホームステイの心構えとして、日本で相談していたカウンセラーに「留学生は『お客様』ではない。ファミリーの一員としてホスト側も迎え入れます。だから、ファミリーの習慣になるべく合わせることが大事ですよ」と言われていた私は、自分なんかのために盛り上がっている家族の会話のテンポを緩めてもらうなんて申し訳ないと思い、何を話しているのかさっぱり分からない時も、ホストファザーが飛ばしたジョークにみんながドっと大声を上げて笑う時も、ただひたすら笑みを浮かべてコク、コクとうなずいていた。

英語ができないけど笑顔は忘れてはいけないホテルの従業員が、外国人客をもてなす時ってこんな感じなのだろう、なんて思った。

NZなまりに慣れるまでに…「2カ月くらい」?!

「あのね、ホストファミリーが話す英語が聞き取れないんだけど」
ある日、私はホストシスターのオステラさんに、悩みを打ち明けてみた。オステラさんは「うん、わかるよ」というふうにクスッと笑って、こういった。

「彼ら、めっちゃ早いもんね、話すスピード。私も最初は苦労した」

でも夕飯時のホストファミリーの会話にオステラさんは普通について行っている。
「私は、地元の高校に通っているし、地元の友人ともたくさんしゃべるから、ある程度ここのアクセントにもスピードにも慣れている」

……やはり英語力の差か。

「どのくらいで慣れるかなあ」
と聞く私に、オステラさんはこういった。「2カ月もすれば」

いや、私のホームステイ、全部で6週間だから。

突然始まった、長男の「イヤイヤ期」

夕飯時のファミリーの会話には最後までついていけてなかった私だが、ホストマザーのエリーさんは、常に私の「もう一回言ってください」に根気強く付き合ってくれた。

だが、そんなエリーさんと、少しずつだが、距離ができているのを感じる瞬間があった。

伏線はあった。
夕方、授業を終えて家に戻ると、エリーさんは「きょうも2人ともとても良い子だったよ」と言って迎えてくれた。だが、私が平日ほぼ毎日、午後まで授業を入れるようになったことで、エリーさんのシッティングの負担は確実に増えていた。

そこに、想定外の要素が入り込んでくる。 1歳11カ月のシンシンに突如、イヤイヤ期が訪れたのだ。

正確には「イヤイヤ」ではなく、「Go Away(あっち行け)」だった。そんな、ママも使ったことないのにどこで覚えたんだこの1歳児め、とか思っていたら、エリーさんが犬に言っていた。

セブでの子育てが順調すぎて、イヤイヤ期なんてウチの息子にはないかも……なんて思っていたが、大間違いだった。

オムツから漏れるほどなのにウンチをふかせてくれない、お腹空いているはずなのに絶対食べてくれない、車道だろうと自転車道だろうと、ここって決めた道しか歩いてくれない。「子どもの成長の証し」とか喜ぶフリが出来たのはつかの間、二言目にはAway! Go Away! と全力でわめいて体をのけぞらせる我が子に、そんな余裕はすぐになくなった。エリーさんはもちろん、私自身、魂を吸い取られるようなめまいと疲労感を覚え、心が折れそうになっていった。ファミリーが飼っている犬の家に入りたい!と言ってきかなかった時は、「ずっと入っていろ!」と本当に入れて、後で反省した。

犬の家に「自分も入る!」と言って聞かないシンシンを、「ずっと入ってろ!」といれてみた。ツーショットが可愛いので写真を撮っているうちに、シンシンの機嫌も良くなった=ニュージーランドのフィティアンガで、今村優莉撮影

もう一つは、当時8カ月のルールーだ。授乳中ではあったものの、私のおっぱいだけでは足りてくれず、夜中もスヌーズ機能のように3時間ごとにきっちり泣いて粉ミルクをほしがった。エリーさんは当時、なぜか寝室ではなくリビングにマットレスを敷いて寝ていた。私はミルクを作るたびに台所の電気をつけることになり、そのたびにエリーさんが起きてしまわないかハラハラしたが、そっと寝返りを打っていたところをみると、おそらく起こしていたと思う。

そんなわけで、絶賛「イヤイヤ期」ならぬ「アウェイアウェイ期」のシンシンと、夜泣き真っ盛りのルールーは、着実に私たちの体力と精神力をむしばんでいった。

夕方というのは、世界中のマザーが忙しい時間だ。
子持ちの私も目が回るが、子持ちのママを始めとする大の大人4~5人分の夕飯を準備するホストマザーは、相当忙しい。
ホストファザーも料理はするが、主に週末で、平日の夕方はエリーさんがめまぐるしく台所を動き回る。

シンシンの腹の虫は、ファミリーの食事時間よりも早く鳴ることが多いため、エリーさんが忙しくしている時に、私は彼に幼児食を与えることになる。だいたい「アウェイアウェイ」とわめいているため、てこずっているうちにルールーもつられて泣き、ファミリーが食卓に着こうとするまさにその時に、乳幼児の大合唱が家中に鳴り響くということもあった。

私は、二人同時に泣かれてしまうと、たいていどちらか放置する。良いか悪いかはさておき、私自身に、両方を泣きやませるという能力も体力もなく、単にキャパオーバーして思考がストップしていたからだ。日本でもそうしてきたし、セブでもそうしていた。

だが、ニュージーランドでは違う。この国では基本「泣いている子を放置してはいけない」というのが子育ての大前提だそうだ。私が知るのは、もう少しあとだったが。

乳幼児の大合唱を前に放心状態の私に替わって相手をしてくれたのは、決まってエリーさんだった。だが、それは、ただでさえ忙しいエリーさんに、さらなる負荷をかけてしまっていたことを意味する。

エリーさんと私は、少しずつだが会話が減っていった。
私がすべき母親としての仕事を負担したことで、疲れがたまっていたからかもしれないし、今思えば、同じ母親として、泣く子を黙らせることが出来ない私に対する、彼女なりの思いも、もしかしたらあったかもしれない。

ホストファミリーと過ごす夕飯の時間が、試練から孤独に感じるようになっていったのも、そのころからだった。

***ある日、エリーさんの家に、来客がありました。ファミリーは庭でBBQを用意していて、楽しい晩餐になるはずでした。ですが、シンシンはずっとわめきっぱなしで、ルールーも泣きやまず。次の瞬間、私は――。この日のことは、一生忘れることはできません。