先日発表された2019年の「男女格差(ジェンダーギャップ)報告書」で日本は過去最低となる121位になってしまいました。153カ国の経済、政治、教育や健康の4分野について調査をした結果です。日本で女性閣僚が少ないことや女性の管理職が少ないことは以前から問題になっていました。今回は2019年に話題になったトピックを振り返りながら、女性が活躍できない「遠因」について考えてみたいと思います。
グレタ・トゥーンベリさんへの批判にみる「物申す女」が嫌いなニッポンの人々
地球温暖化によってもたらされる危険を繰り返し訴えている活動家のグレタ・トゥーンベリさんについて、日本ではとにかく批判が目立ちます。SNSで一般の人からの批判も目立ちますが、環境相の小泉進次郎氏がグレタさんの活動について「大人たちに対する糾弾に終わっては未来がない」と発言したり、登山家の野口健さんがツイッターで「あれ?電車に乗っていらっしゃるのかな? 飛行機が×という方はもちろん車も×だろうし、てっきりヨット以外は馬車でご移動されていらっしゃるのかと想像をしていましたが… 」とツイートするなど著名人からの批判めいた発言が目立ちました(野口健さんは後に謝罪し、ツイートを削除)。
地球温暖化や環境保護については様々な意見がありますが、グレタさんの活動に関しては本来「16歳の女の子がここまで行動をした」ということを評価するべきなのではないでしょうか。グレタさんのことを偏っていてエキセントリックだという人もいますが、何せ16歳です。この年齢で大人のようにバランスが取れている人なんてそうそういません。お洒落や恋愛など自分自身にまつわることではなく「今後の地球のあり方」について本気で心配をする行動力には目を見張るものがあります。「グレタさんのそんなやり方では通用しない」という発言を聞くたびに世の中の大人はなんて大人げないのだろうと思います。こんな状況では、「将来は政治家になって日本を変えよう」と思う少女が日本ではなかなか出てこないのも不思議ではありません。
社会問題などについて意見を言う女性について「感情的」「言いすぎ」などと叩く風潮を今すぐ直さないと、政治など様々な分野において「物申す女」が出てくるのは難しいのではないでしょうか。
伊藤詩織さんにみる「被害を公の場で語る女性」を許さないニッポン社会
2019年12月18日、性暴力被害を訴えたジャーナリストの伊藤詩織さんが民事訴訟で勝訴したことは瞬く間に世界のニュースでも話題になりました。ドイツの高級紙Zeitは、「日本では女性がレイプの被害を訴え出ることは珍しい。伊藤詩織さんはそんな日本のタブーを打破し勝訴を勝ち取った。伊藤さんが現在もレイプが原因でパニック発作に苦しめられていることが裁判で認められた」と報じました。ドイツのTagesspiegelは記事の中で、「伊藤詩織さんは日本でレイプについて公に語った最初の女性」だと紹介しており、この事件が公になってから伊藤さんが日本社会で受けたバッシングについて取り上げています。複数のドイツメディアが日本では加害者がレイプの際に暴力を振るわない限り、そして被害者がその際に激しく抵抗しない限りレイプとは認められていないことを問題視しています。ドイツの刑法では意思を伝えられなかったり抵抗できない状況にいることを利用しての性行為もレイプだと見なされるため、被害者の酩酊状態もこれに該当します。ドイツでは1997年からは夫婦間であっても片方の意に反する性行為は強姦だと見なされますし、法律が日本よりも厳しいのは一目瞭然です。
残念なことに伊藤詩織さんの事件にまつわる報道では、彼女の容姿や行動ばかりがクローズアップされ、「今後同様のことが起きないために、司法上どういう変化が必要か」という点は日本であまり議論されてきませんでした。レイプに関してはもちろん日本だけの問題ではありませんが、イギリスの警察が2015年に公開した動画「性行為の同意を紅茶に置き換えてください!」のように、日本でも「加害者の意識を変える」ことを目的とした活動が必要なのではないでしょうか。
日本ではレイプというと、マスコミや世間で被害者の「落ち度」ばかりにスポットが当たりがちですが、本当に必要なのはレイプは加害者の問題だという社会のコンセンサスです。声を上げる被害者の女性に対して重箱の隅をつつくような行為が幅を利かせている社会では女性が積極的になれるはずもありません。
#KuTooや「メガネ禁止」にみる女性の生き辛さ
2019年は女性だけが職場でヒールのついた靴を履かされるのは苦痛だとして石川優実さんが立ち上げた#KuToo運動と「女性だけがメガネ禁止のニッポンの職場」が話題になりました。メガネをかけている女性について、「レンズ越しにお客さんを見るのは失礼」だとか「メガネをかけている女性は冷たそうに見える」など、女性を働く人間として尊重せずビジュアルに絞った存在として扱う男性からの意見が物議を醸しました。ドイツの南ドイツ新聞でもこの問題が取り上げられ、メガネ禁止について日本の飲食店関係者が「メガネをかけられるとメガネがご飯の中に落ちてしまうかもしれないから」と語ったことを皮肉たっぷりに紹介しています。ドイツやヨーロッパのテレビを見ていると、男性と比べて女性の司会者のメガネ率は低いので、この「メガネ問題」は日本に限った話ではないのかもしれません。ただ飲食業やクリニックなどで女性にメガネ禁止を言い渡すのは日本特有かもしれません。
女性に対する「メガネ禁止」にしても「職場でのヒール強制」にしても、長期的にジワジワと女性の足を引っ張っています。ただ、これらのことについて、「声をあげる」ことができたのは一歩前進したといえるでしょう。
しかし日本で男女格差の話をすると、男性から「日本には映画館などにレディーズ・デーがあるからむしろ女尊男卑だ」と声が上がるのも悲しいかな、今のニッポンの姿でもあるのです。今後のニッポンにとって本当に重要なことはなにか、今一度立ち止まって考えてみる必要があるのではないでしょうか。