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ロシアの玄関口、シェレメチェボ空港とスキー場の温泉旅館は似ている?

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
シェレメチェボ空港の新ターミナルBは、ロシア国内線専用で、2018年のサッカー・ワールドカップ直前にデビューした。(撮影:服部倫卓)

温泉旅館か!?とツッコミたくなる増改築の繰り返し

だいぶ古い話になりますが、バブル時代の日本で一世を風靡したホイチョイプロダクションが、『極楽スキー』という本の中で、あるスキー場のことを酷評していました。そのスキー場には古い温泉宿が多く、むりくりに建て増しを繰り返して規模を拡大しているので、旅館の構造が迷路のようになっているというのです。この話は、自分の実体験とも重なっていたため、強く印象に残りました。

なので、筆者はモスクワの空の玄関口であるシェレメチェボ空港を訪れるたびに、心の中で、「●●の温泉旅館か!?」とツッコんでしまうのです。それだけ、シェレメチェボ空港は強引な増改築を繰り返し、その結果、迷路のように複雑な空港になっていると感じます。過去20年くらいずっと、シェレメチェボに降り立つと、常に何らかの大工事を行っており、「もしかしたらこの空港は永遠に完成しないのではないか」などと思えてきます。その意味では、サグラダ・ファミリア的とも言えるかもしれません(もちろん、わざわざ見に行くようなものではありませんが)。

ちなみに、これまで東京~モスクワ便は、アエロフロート航空ではシェレメチェボ発着でしたが、日本航空(JAL)ではドモジェドボという別の空港の発着でした。そうした中、先日JALは、2020年の夏期ダイヤ期間中に、モスクワ便の空港をドモジェドボからシェレメチェボに変更すると発表しました。今後、我々日本人にとってもシェレメチェボを使う機会が増えることでしょう。

そんなわけで、今回は、常に変貌を遂げるモスクワのシェレメチェボ空港について、よもやま話を語ってみたいと思います。なお、本連載の「ロシアの空港改名騒動 サンクトペテルブルグ空港が名無しの権兵衛に」の回で解説したとおり、シェレメチェボ空港にはロシアの国民的詩人で近代文学の祖とされるA.S.プーシキン(1799-1837)の名が冠せられました。ただ、筆者の印象では、現在のところ「プーシキン空港」という呼び名はあまり定着していないようです。

「プーシキン空港」という新しい呼び名はほとんど定着しておらず、掲示板などでプーシキンの名が時折PRされている程度(撮影:服部倫卓)

シェレメチェボ小史

シェレメチェボ空港が開港したのは1959年8月11日とされ、このほど誕生から60周年を迎えたことになります。ソ連時代のフルシチョフ第一書記が、西側に負けないような空港をモスクワにも作るべきだと提唱し、もともとあった軍用滑走路を民間空港に作り変えたということです。転機となったのは1980年のモスクワ・オリンピックであり、大会に向け本格的な国際空港へと姿を変えました。

2000年代までのシェレメチェボ空港は、シェレメチェボ1が国内線、シェレメチェボ2が国際線と、非常に単純でした。筆者が作成した下の図に沿って説明すると、現在ターミナルB、C(工事中)になっているあたりが旧シェレメチェボ1、Fになっているところが旧シェレメチェボ2です。かつてのシェレメチェボ1と2ではだいぶ距離が離れており、ターミナル間の移動は容易でなく、別々の空港のようでした。

シェレメチェボ1、2の時代には、地獄のように長い出入国審査の行列、ぼったくり白タク、薄暗いロビーなど、問題は多々ありましたが(それゆえ、JALをはじめ多くの航空会社がドモジェドボに移転していった)、空港のレイアウト自体はシンプルであり、今のような巨大迷路という雰囲気はありませんでした。

シェレメチェボの様相を大きく変えたのが、ターミナルDの誕生です。シェレメチェボ3とも呼ばれるターミナルDは、2009年11月に稼働し、以降、アエロフロートおよび同社が加盟するスカイチーム各社の便は、国際線・国内線を問わず、ターミナルDを利用するようになります。それ以外の会社の便は、ターミナルB、C、Fという棲み分けとなりました。。

ちょうど同じ時期の2009年8月、シェレメチェボ空港とモスクワ中心部を結ぶ鉄道「アエロエクスプレス」が開通します。シェレメチェボに向かう幹線道路は渋滞しやすく、特に2000年代にモータリゼーションが進んで交通量が増えると、渋滞にはまって飛行機に乗り遅れる人が続出しました。時間を計算できる鉄道でのアクセスが可能となり、シェレメチェボの利便性は大いに高まったのです。

アエロフロートが南から北へ引っ越し

アエロフロートの便が国内線・国際線問わずターミナルDに集中し、同ターミナルから比較的近い場所にアエロエクスプレスの駅もできたことで、筆者などは、「シェレメチェボの近代化もこれで一段落なのだろう」と認識していました。アエロフロートは便数も乗客数も多いので、ターミナルDが手狭という印象はありましたが、利用者として大きな不満は感じていませんでした。

しかし、アエロフロートは現状に飽き足らなかったようです。同社は、空港南側のターミナルDから、北側のターミナルB、Cへの大引っ越しを決めました。国内線のターミナルBは新しく建て直され、サッカー・ワールドカップに間に合わせるように、2018年5月にオープン。そして国際線のターミナルCは、今年末までの稼働を目指して工事を進めているところです。

アエロフロートが南から北へ移転することで、乗客の利便性が低下することは否めません。南側のターミナルD、E、Fなら、アエロエクスプレスの駅と直結しています。しかし、北側のターミナルB、Cに向かうためには、図に点線で示したとおり、地下を走るシャトル列車を利用しなければならず、ひと手間増えてしまいます。アエロエクスプレスは北側まで延伸する予定ということですが、それが完成する2022年までは、乗客は不便を強いられそうです。また、既存のホテルも、空港の南側に集中しており、これまでは歩いて行けるくらいの距離にあったのに、アエロフロートの北側移転でだいぶ遠くなってしまいます。

建設工事中のターミナルC。2019年9月時点の様子(撮影:服部倫卓)

飛行機が橋で道路を渡る

シェレメチェボ空港では、ターミナルだけでなく、滑走路についての大きな話題もあります。従来は滑走路が2本だったシェレメチェボに、この9月に第3滑走路が加わったものです。

その際に、前掲の図に見るように、第3滑走路はもともとのシェレメチェボ空港の敷地内ではなく、北西側の飛び地のような場所に建設されました。空港本体と第3滑走路は、飛行機が行き来するための通路で結ばれており、シェレメチェボ街道という大通りを越えるための橋が建設されました。

飛行機専用の橋は、世界で10箇所もないそうで、シェレメチェボの橋はロシア初であるだけでなく、世界最大規模ということです。橋の横幅は65メートル、長さは400メートルもあるということですので、サッカーコートを縦に4つほど繋げたようなスケール感です。

かくして、飛行機が橋を渡り自動車道路を越えていくダイナミックな光景が、シェレメチェボ空港の新たな名物に加わりました。もっとも、第3滑走路が引き起こす騒音問題に抗議して反対運動を起こした周辺住民のことを想うと、心境は複雑ですが。