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是枝監督が釜山日本人学校で見せた子どもたちへのまなざし

現地発 韓国エンタメ事情
釜山日本人学校で子どもたちを前に話す是枝裕和監督=成川彩撮影

韓国の釜山国際映画祭(10月3~12日)に参加していた是枝裕和監督が7日、釜山日本人学校を訪れ、生徒たちと交流した。釜山日本人学校は、釜山広域市にある全校生徒33人の小さな学校だ。小学校1年生から中学校3年生まで、駐在員の子どもら日本出身の生徒のほか、日韓カップルの子どもや日本在住経験のある韓国人夫婦の子どもも通っているという。是枝監督は授業の様子を見学した後、全校生徒の前で講演した。

監督が授業に顔を出すと、生徒たちは「ワーッ」と歓声を上げたり、恥ずかしそうにサインをお願いしたり。監督も「何を勉強しているの?」と、生徒の手元をのぞき込んで対話を楽しんでいた。

釜山日本人学校で授業を見学する是枝裕和監督=成川彩撮影
サインを求められるハプニングも=成川彩撮影

監督は釜山映画祭の常連だ。今回は「今年のアジア映画人賞」を受賞し、新作「真実」が日本公開に先駆けて上映された。講演の冒頭、釜山映画祭について「今年で24年目になる素敵な映画祭で、一番大好きな映画祭です」と紹介。「お友達もたくさんいるし、ご飯もおいしい。映画祭はご飯がおいしいのもすごく大事」と話し、生徒たちを笑わせた。以前、監督に釜山でインタビューした時にも、釜山映画祭によく来る理由を冗談半分で「カンジャンケジャン(カニの醤油漬け)が食べたくて」と話していたのを思い出した。

監督の講演そのものは短く、質疑応答の時間をたっぷり取った。「質問ある人」と問いかけると、半数ほどの生徒が「はい!」と元気よく手を挙げて、監督もうれしそうだった。

「私たちは高校を受験して将来を決めていく時期なのですが、監督はいつ頃監督になることを決めましたか?」という中学生からの質問には「映像の仕事がしたい、と思ったのは19歳の頃。中学生の頃はボーッとしていました」と答えた。「小説家になりたくて、小説を勉強するような大学に行ったけど、毎日遅刻して授業に入れてもらえませんでした。暇つぶしに大学の近くの映画館に通うようになったらそっちが楽しくなって。映画は楽しいよ。飽きないでまだ続けているぐらい」と、映画愛に目覚めた大学生の頃のエピソードを披露。一方、最初に映画に関心を持ち始めたのは幼い頃、映画好きの母の影響だったという。「テレビでよく母と一緒に映画を見ました。だけど、映画の仕事をしたいと言った時に母は『そんなのでご飯が食べられるわけがない。公務員になりなさい』って反対しました」

全校の子どもたちや保護者を前に講演する是枝裕和監督=成川彩撮影

これに対し、「どうやってお母さんを説得したんですか?」という質問も。まずは資格を取って「監督になれなくても大丈夫」と、母を安心させたという。「大学に行っていなかったので4年で卒業できず留年した時、親から『教職(教育職員免許)を取れ』と言われました。自分でアルバイトして貯めたお金は全部映画を見るのにつぎ込んで、親のすねをかじっていたので、もう1年すねをかじるために教職を取りました」と、「巨匠」のイメージにはほど遠い、親近感の持てる話で生徒や保護者を魅了した。

「今まで作った映画の中で、一番お気に入りの映画は何ですか?」という質問には「これまで14本作ったんだけど、14人子どもがいるみたいなもの。出来のいい子も悪い子も、たくさんお金を稼いできてくれた子もいるし、あまり僕に似ていない子も、僕にそっくりな子もいるんだけど、やっぱり自分の子どもだから順番は付けずにみんなかわいがるようにしています」と答え、会場からは拍手がわき起こった。

監督作の中では、「そして父になる」(2013)についての質問が相次いだ。出生時に病院で子どもが入れ替わっていたことを後に知る二組の家族が描かれている。「どうして『そして父になる』を作ろうと思ったんですか?」という質問には、監督自身の娘との実体験がヒントになったと答えた。「今小学校6年生の娘がいるんですが、ずっと映画を作っているからなかなか家で一緒に遊ぶ時間がなくて、父親になった実感がなかった。生んだ瞬間に母親になる女性と違って、劇的な変化が自分の中に起きなくて。血がつながっているだけでは父親にはならないのか、と考え始め、ああいうお話を作りました。疑問が芽生えたらそれをずっと考えて映画になっていくことが多いです」

是枝監督の優しい語り口にみんなが引き込まれた=成川彩撮影

「『そして父になる』の最後の場面はどうなったんですか?」という質問には、「どうなったと思う?」と監督から逆質問。「本当の家族に戻ったと思う」という答えにさらに「本当というのは?」と問いかけた。最後の場面については観客と一緒に考えることにしているという。「あの二組の家族が一緒に家の中の入っていくところで終わる。どういう結論を出すかは分からないけど、一緒に結論を出していくでしょう」と、開かれたエンディングであったと語った。

「映画監督になって良かったことは何ですか?」という質問には「映画を撮ることが一番好きなことだから、好きなことが仕事になって、生活ができているだけで本当に毎日楽しい」と答えた。「僕は日本語しかできないし、今回は初めてフランスで撮ったけど、日本の中で映画を撮ることが多い。でもその撮った映画が、外国の映画館や映画祭で上映され、映画が僕を連れて世界中のいろんな場所に連れていってくれる。それがとても楽しいし、勉強になる。ここも、映画を撮っていたから来られた」

最後に「休み時間をつぶしてしまってごめんなさい。僕にとってとてもいい思い出になる釜山の滞在になりました」と締めくくり、生徒や保護者たちと記念撮影をした。

多忙を極める監督だが、「学校からの依頼はできるだけ断らないようにしている。特に小学校は」と話す。映像の仕事を始めて最初に撮ったのが小学生たちで、今も当時の小学生や先生たちとの交流が続いているという。「小学校、懐かしくてつい来ちゃうんですよね」と、映画祭で見せる表情とは違う、ほっこりするような笑みを見せた。映画の中で感じる子どもたちへの温かい視線が、監督の視線そのものだったことを実感した。