白い霧がたちこめる山の中に、その学校はあった。6月の亜熱帯らしいスコールが降る中庭に少年少女が飛び出してくる。猛烈に駆けていたかと思えば、ずぶぬれのまま図書館の床に腹ばいになり、手に乗せた昆虫と図鑑を見くらべている。
台北市中心部から渓谷を登って1時間以上。新北市の「種の親子実験小学校」では99人が台湾の学習指導要領にそわない形で学んでいた。中国語と数学のほかは、山で竹を切るところから始まる工作や演劇、人類学……。自分で組む時間割の「空き時間」には何をするのも自由。ルールは子どもが決め、トラブルがあれば「裁判官」が双方の話を聞いて罰を言い渡す。
種の親子実験学校は、オードリー・タンIT担当大臣の母親が自らの子育ての経験を踏まえて、「もっと自由で創造力を伸ばす教育をしたい」とつくったものだ。「これまでとはまったく違う学校をつくろう」と10人の親たちに声をかけて始まった学舎は、台湾でいま、公教育の新しい選択肢として急増する「実験学校」の草分け的な存在だ。
転入希望の問い合わせは絶えず、大型バスで遠方からの子どもを送迎する。小6の息子が通うデザイナーの陳寛華(45)は「僕は普通の学校に通ったけど、もっと創造力を伸ばしたかった。だから、探し回ってここを選んだ。友人や親は学力を心配するけど、息子の作文や作曲を見ていると後悔はない」
校長の鄭婉如(46)は「何もないところから始めて、今では実験教育は一種のブーム。私たちはただ、子どもと向き合って成長してきただけ」と笑う。卒業生には研究者も有名パティシエもいるが「自分の道を切り開いている」のが自慢。新制度のもと政府の手厚い補助を受ければ、日本円で年間約40万円の高額な授業料を公立並みにもできるが、鄭には迷いもある。「行政の監督が強くなり、自由が減るのが心配です」………
詰め込み教育や多人数授業への不満から、台湾で独自のオルタナティブスクールとして実験教育が生まれたのは1990年代。当初は政府から訴えられる例もあったが、当事者からの提案を受け止めるかたちで自治体ごとに支援が進み、2014年の「実験教育3法」の成立で初めて公教育の中で制度化。「特殊な人たちの世界」から「ふつうの選択肢のひとつ」になった。
法律で公立の実験学校をつくれるようになったことで、一気に59の公立校が開校。公設民営3校だけだったのが、2018年度には小学校から高校まで74校に増え、1万5000人以上が様々な形の実験教育で学ぶ。昨年の法改正で、自治体がつくれる実験学校の上限を公立校全体の15%まで引き上げるなど、政府は前のめりだ。
少子化に悩む地方の公立校をシュタイナーなどの人気の実験学校に「衣替え」するケースも多い。「廃校寸前の学校に、都会から児童が押し寄せた」という話の一方で「自治体が努力もせず飛びついている」との批判もあり、質の確保は課題だ。政府は推進センターを設立して監督や審査、教員養成などを急ぐ。卒業生が進学しやすい特別入試も広めていく考えだ。
さらに、実験教育は公教育そのものを変えるところまで来ている。教育部長(教育相)の潘文忠によると、今秋から実施される新学習指導要領には、子どもの興味を引き出す教え方や、課題解決型の授業など「コアの部分に、実験教育がこれまで取り組んできた成果が反映されている」という。潘は言う。「学びたいという意欲を育む実験学校の教育は、一般の学校にいい刺激を与える。互いに刺激を与えあうことで、新しい台湾の教育ができていくのだろう」………
とはいえ、受験戦争や教育制度など日本と似た部分も多い台湾で、なぜここまで自由な教育が受け入れられるのか。2年前に台北市初の公立実験小学校として開校した「和平実験小学校」を訪ねた。1学年の定員58人のところに1000人以上が説明会に押し寄せた人気校。入学は抽選だが、近隣に住もうとする人たちが続出し、地価が跳ね上がったというほどだ。
真新しい校舎の廊下では、2年生が机や椅子、段ボールなどで迷路を作り、脱出ルートを考える授業中だった。担任の荘静圓(40)は「物語づくりや製図など様々な要素が入っている。教科書を使わずゼロからつくるから、寝ている時以外は授業のことばかり考えている」。授業は学級ごとではなく、担任3~4人が相談しつつ進め、試験もチャイムもない。「前の学校と違うなと感じるのは、子どもたちが級友からどう見られているのかを気にしないこと。正解かを気にせずに率直に話す姿に、やりがいを感じる」
校長の黄志順(50)によると、ここで教えたいという希望者は多く、開校前には10人の定員に600人の応募があった。「私自身、これまで知識を詰め込むのに縛られて子どもを伸ばしきれないと思うことがあった。だから、ここで未来の公教育のモデルをつくりたいと願う教師の気持ちは、わかります」
教師歴20余年の公立小の校長が、自ら携わってきた公教育の欠点を率直に語るのに驚いていると、黄は続けた。「これまでの学校が、大きな過ちを犯したとは思っていないですよ。おかげで台湾は短期間にエリートを育て、国際社会で闘えるようになったんだから。でも次の世代は違う。猛スピードで少子化が進むなか、大国に囲まれた台湾が競争力を保つには命令に従って動く子ではやっていけない」
実験教育を推進してきた政治大学(台北市)の副教授・鄭同僚の言葉が、頭に浮かんだ。「『知識を最も多く詰め込んで、いい大学に入った子が一番』という社会では、生き残るのはいつでも少数でしょう。これからは、すべての子が自分の興味や関心をいかして学ぶ力を身につけることが、国と個人が生き残るカギになる」