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選択肢、思ったより広いんだ 学校のいまを取材して感じたこと

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特集を担当したGLOBE編集部の記者。左から丹内敦子、本間沙織、市川美亜子

■意外と気軽なホームエデュケーション

本間沙織 イギリスでホームエデュケーション(ホームスクーリング)をしている家族を取材して驚いたのは、思ったよりもずっと気軽に「ひとつの選択肢」として選んでいる家庭が多いということ。親が子の隣に座って付きっきりで教えるという、大きな覚悟が伴うイメージを抱いていたけど、ぜんぜん違った。「イギリスではここ数年、ホームエデュケーションが毎年2割増の勢いで急増している」と聞いた時は、「信じられない。どうして?」と思ったけれど、実際に見て、こういうことなのかと。

丹内敦子 毎年2割増というのはすごい増え方。背景には、公立の学校に問題が山積していて、親たちもなかなか公立の教育を信頼できなくなっているという事情があるのでは?

本間 それは、今回の特集で取材した国や地域に共通しているところだよね。

市川美亜子 いま小学3年の息子が1年生のころの数カ月間、本当に学校に行くのがつらそうだった。そのとき「共働きなのに、学校に行ってくれなくなったらどうしよう!」と追い詰められてしまったけれど、こういう選択肢がある社会だったら、と思う。

丹内 ひとつ疑問に思ったのは、誰にでもできることなのかな、ということ。いくらオンラインやグループがあるといっても、やはり親が教える部分もあると思う。親の側に教えられるスキルや時間的余裕があればいいけれど、全員ができることではないかもしれない……。

本間 確かに。今回、イギリスで取材を受けてくれた人は、自分が教師だったとか、エンジニアの夫がいるとか、家で子どもに教えることにそれなりに自信がある人だったかなと思う。そういう意味では、ある程度、素養があって、子どもをケアできる余裕がある人たちでないと難しいかもしれない。私も3歳と5歳の双子の3人の子どもがいるけれど、自分もできるかと言われたら自信がない。

それでも親の時間的、経済的な負担は、思っていたよりは軽いなとも感じた。共働き家庭でもやっているのが印象的。オンラインの発達で、かなり安価にさまざまな種類の教材を選べる。FacebookなどSNS上のグループが本当に無数にあって、どこに住んでいてもホームエデュケーション仲間とつながることができる。だから子どもも親も孤立感を感じにくいのだと思う。

丹内 この学期だけとか、子どもが精神的に不安定な間だけとか、短い間ならなんとか乗り切れるかもしれない。でも、長い間とりくんで、バランスのとれた学力まで到達させられるかというと、なかなか難しいかもしれない。

本間 日本だと、不登校から自殺につながってしまうような現状があるけれど、少なくとも色々と追い詰められた時のひとつの選択肢として、ホームエデュケーションがあるということは、救いになるのではないか。欧米だけでなく、アジアでも認められている国が多いので、日本でも制度として定着したらいいなと思った。

市川 秋田県五城目町に「ハイブリッドスクーリング」という名で、学校に行きながら、家庭や地域でも自由に学ぶという手法を試しているNPOがある。学校の校長と連絡をとりあって、学校にいかない日の過ごし方についてしっかり話し合ったりできるのなら、日本のいまの制度のなかでも十分可能かもしれない。イギリスの「フレキシスクーリング」と似ているよね。

本間 「フレキシスクーリング」は、なるほどと思った。学校にも行きながら、週に1回とか2回とか決めて、ホームエデュケーションもする学び方を選んでいる。学校に全く行かないというと、なかなか勇気がいるけれど、これなら、より日本でも取り入れやすいかな。イギリスでも希望者は増えているようだけど、出席日数やカリキュラムに差がつくから、学校側がなかなか認めてくれないみたい。

■オルタナティブ教育も「ふつうの選択肢」になる時代

市川 台湾でも、1980年代からの民主化運動とともに、ホームエデュケーションやオルタナティブスクールなど、さまざまな学び方を制度の中で認めようという動きが高まった。背景にあったのは、詰め込み教育や、大人数教室、学校になじめない子どもたちの問題。最初は「意識の高い親や教育関係者の運動」という感じにとらえられていたみたいだけど、地方自治体が当事者の訴えを個別に聞くかたちで広がっていき、2014年に「実験教育三法」と呼ばれる法律ができて、ステージが変わった。国の教育制度の中に入ったことで、公立の実験学校ができて、オルタナティブスクールで受けるような教育を無償で得られる選択肢ができたことが大きい。

本間 無償になったことで「特別な人だけが選ぶもの」から「ふつうの選択肢」の一つになったという感じ?

市川 それまでは一部の意識の高い親が通わせる「貴族学校」というイメージだったらしいけど、いまは「実験教育がブームになっている」という人もいるくらい。台湾は少子化がすごい勢いで進んでいて、地方では学校が廃校になるような状況もあるんだけど、つぶれかけていた地方の公立校が「シュタイナー教育」(ドイツの芸術の要素をとりいれた教育法)の実験学校に衣替えしたとたんに人気を呼ぶようになった、なんて話もある。90年代から実権教育に取り組んできた人たちは、「形だけ取り入れている」「ブームに乗って気軽に来る人が増えた」なんてぼやいていたけど。

丹内 シュタイナーというと、芸術要素が高く、取り入れるのはそんなに簡単じゃない。急速な広がりのなかで、そのあたりの「質」の問題はどうなのだろう。

市川 確かに「シュタイナーなどの名前だけ借りてきている」とか「理念をしっかり理解できていない教師もいる」とかいう声も聞いた。質をどう維持していくかは大きな問題で、台湾当局も実権教育の推進センターというのをつくって、監督や評価、教員養成の仕組みを整えようとしている。でも、それに対しては「教育の自由度が減って、元も子もなくなる」という懸念もあるみたい。

本間 台湾は学歴社会のイメージがある。小学校の頃はよかったとしても、その後の進学にも順応できているのかな?

市川 日本でいうAO入試のような方法で、実験学校出身の子たちの大学進学を促す動きもある。でも、実験学校の校長先生が言っていたのは、「社会の価値観を変えていかなければ、結局変わらない」ということ。卒業生たちが、研究者になったり、ガラス職人になったり、映画監督になったり、さまざまな形で道を切り開いていくことで、「いい大学を出る」ことが「成功への唯一の道」だと考える価値観を変えていきたいと言っていたのが印象的だった。

■日本にも「子ども中心の教育」という波

市川 日本では、いわゆる「一条校」とよばれる学校教育法1条に定められた学校しか義務教育として認めていない。子どもを小学校に通わせていても、自分の時と本当に変わらないなあという印象。でも、広島県福山市の動きを見て、日本にもこんなに動きがあるんだと感慨深かった。

丹内 福山市の場合は、急にやろうということになったのではなくて、教育長のもとで時間をかけて「子ども中心の教育に変えていこう」と取り組んできた。そんななかで、教育長がオランダ研修で「イエナプラン教育」に出合い、地元企業からの資金提供もあって、進んでいった。ちょうど広島県の教育長が、民間企業出身で横浜市立中学での校長経験もある平川理恵さんになった。文部科学省にも「今までのやり方を変えていかなければいけない」という流れがあるので、その波に乗っかった。

市川 シュタイナーやモンテッソーリなど数ある教育理念のなかから、どうしてイエナプランを選んだんだろう。

丹内 イエナプランは「メソッド」というより「コンセプト」。ああするこうすると細かく規定しはいない。大切にされているのは、教科の枠を超えて生徒が自ら問いを立て、考え、創造する力を育む「ワールドオリエンテーション」だったり、自主性や協調性だったり。福山市がずっとやってきた「子ども中心の教育」という流れと一致したということもあるのでしょう。

市川 いまの日本の教育制度の中でも取り入れやすいということで、これから全国の自治体に広がっていく可能性はある?

丹内 いま進んでいる教育改革の狙いと似ている部分があるし、先生たちにとっても、今までやってきたことと全然違うというわけではない。広がっていく可能性はあると思う。ただ、先生たちのトレーニングも必要なので、長い目で見る必要がある。「イエナプラン教育を受けたら、どんな成果が出るのか」と短絡的に考えがちだけど、教育ジャーナリストのおおたとしまささんも言っていたように、「この子たちが大人になったときに、どういう社会になっているか」と長い目で見て考えることが大事だなと思う。将来の社会に、種をまいているようなものかなと感じた。

■「お金を出せば」「我が子だけは」からの転換

丹内 お金を出せば、そして色々な情報を手に入れられる状況にあれば、いまや日本でも、特に都会では、さまざまな選択肢が出てきている。子どもを育てていて、そう実感する。一方で、それが格差につながっていくのではないかとも感じている。そういう意味で、3歳から義務教育を始めるフランスが「スタートラインは平等にしたい」というのはすごく共感できる。

市川 確かに、無償というのは大きい。一方で、アメリカのチャータースクールなどの「スクールチョイス(学校選択)」の現状を見ていると、いくら無償でも「チョイス」が「序列化」を生んでしまう問題も起きている。ニューヨークの公立学校に娘2人を通わせて『崩壊するアメリカの公教育』を書いた鈴木大裕さんによると、学校選択制のあるニューヨークでは、同じ公立でも、多額の寄付金を集められる地域にある人気の学校と、貧困家庭の多い地域にある学校では、ものすごい差が出てきている。たとえば、貧しい地域の学校では、音楽や体育の専任教員がいなかったり、体育館どの設備が使えなかったり。児童・生徒数をこれ以上減らさないために、点数での成果を重視して、情操的教育やディベートなどの時間が減らされることもある。

本間 イギリスのホームエデュケーションにも、学校を評価する制度のなかで、成績のふるわない子どもを学校から「追い出す」際の受け皿にも使われているという負の側面がある。

市川 結局、価値観が変わらないかぎり、せっかくの「選択肢」や「多様性」も、「格差」や「序列化」につながってしまうというのは、鈴木さんが一番強調していたことだった。

丹内 だれでも、自分の子どものことになると「少しでもいい教育を受けさせたい」とか「こんなスキルも、あんな能力も身に着けさせたい」とか一生懸命に考える。でも本当は、一歩引いて、いまの日本の子どもたちみんなが、これからの社会で生きていくためにどういう教育を受けたらいいのか、という視点で考える必要があると思った。少しくさいかもしれないけれど、根本にあるのは「民主主義」を形づくる大切な要素として教育があるということだから。

本間 教育哲学者の苫野一徳さんも言っていたけれど、同じ年に生まれた子を一つの教室に集めて、同質性の高い集団をつくるいまの学校では、民主主義は育ちにくい。生まれも、育ちも、モラルも、価値観も、国籍も、宗教も、いろいろ異なった多様な人たちが合意を形成して、社会をつくっていくのが市民社会。でも学校は、それとはほど遠い場になっている。苫野さんは「地域の人も、外国人も、高齢者も、障害者も、さまざまな人たちが学べる、ごちゃまぜなラーニングセンター」が将来の学校の姿になってほしいと言っていた。

市川 先が見えない世の中で、つい「自分の子どもだけがうまく泳ぎ切って、サバイブしてくれればいい」と思ってしまいがちだけど、それだと、いい社会はつくれない。親が「あるべき姿」を押しつけていては、子どもだってしんどいかもしれない。

本間 今回の取材では、これからの社会で、何が理想の学校なのだろうと考えながら「ヒント」を探しに出かけた。結局は「これだ」という答えは出なかった。おおたとしまささんがインタビューで言っていたように「正解はない」というのが本当のところ。これから子どもが学齢期になるけれど、色々な問題にぶち当たった時、世の中には、いろいろな選択肢があるということだけは伝えたいなと思う。「道は一つだけではない」「いまここにいるところが全てではないんだ」ということは、しっかり持っていたいと思った。

■彼が笑う保育園を探そう 藤原学思(ニューヨーク支局)

黒人やヒスパニック系の女性がベビーカーを押している。そこには、金髪で白人の幼児が乗っている。

平日の朝、ニューヨークのマンハッタン島を歩いていると、こんな光景によく出くわす。働く親がベビーシッターを頼むのは、この街では一般的だからだ。

まだ東京にいる僕の長男は、あと数カ月で3歳になり、まもなくニューヨークにやってくる。さて、どうすべきか。同じようにシッターを利用するか、保育園に入れるか。現地校かインターナショナルスクールか。完全に自宅で面倒をみるか。

ありがたいことに、道がいくつにも分かれている。ただ、1本であろうが10本であろうが、一つしか選べない。そしてもちろん、どの道がどこにつながっているのかはわからない。

教育とはそういうものだと思う。「ノウハウ」や「メソッド」なんて、あってないようなものではないかと。

今回、公設民営の「チャータースクール」や、成功している公立校を取材して、その思いは強まった。

チャータースクールでは、上から押しつけられたマニュアルを捨て、一人ひとりに合わせて授業内容を変えていた。高額な授業料を取るわけでもなく、生徒を選ぶわけでもない。それでも生徒たちは「学力の高い大学」に進学する。

公立校は、学力を伸ばすことだけに重きをおかず、「考える力」を育てることに注力していた。そして貧困層が多い地域で、大きな人気を博していた。

こうした学校は、きっと今後も存在感を増し続けるだろう。二つの学校の教職員が共通して口にしたのは「少なくとも教育はビジネスになってはダメだ」ということだった。

では、教育をビジネスにしているのは誰なのか。多くの場合、それは、私たち保護者である。

「できるだけ良い学校に」。そんな思いが強すぎやしないか。「子に投資しなくちゃ」。そんな強迫観念に駆られていないか。

よし、僕はこうしよう。いくつか保育園に連れていって、彼が一番良い顔で笑ったところに通わせよう。もっともそれができるのは、すごく恵まれているという前提条件があるところに、教育の難しさがあるのだけれど。