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代表チーム率いる甲子園出場校の監督も 東京五輪の野球アフリカ予選

アフリカを旅する 更新日: 公開日:
ジンバブエとブルキナファソによる試合は点の取り合いになり、緊迫した試合展開になった=5月5日、南アフリカ、石原孝撮影

来年に迫った東京オリンピック(五輪)に向けて、野球のアフリカ予選が今月、南アフリカで開かれました。特徴的なのは、出場した4カ国のうち、三つの代表チームを日本人の監督やコーチが率いたこと。甲子園大会に出場したことのある強豪校の監督も「野球を世界で広めたい」と参加するなど、盛り上がりに一役買いました。

アフリカ予選を突破した南アフリカ代表チーム。9月にイタリアで開かれる欧州・アフリカ予選に挑む=5月5日、南アフリカ、石原孝撮影

予選には、地元開催の南アフリカとウガンダ、ジンバブエ、ブルキナファソが出場。野球人気が高い日本や米国などと違い、アフリカ諸国での野球熱は決して高くありません。今回も、直前になって金銭面などを理由に出場を辞退する国も出ました。

総当たり戦の後、勝ち上がった南アフリカとウガンダが1位を決めるため、5月5日に対戦。白人主体で体格でも上回る南アフリカが24安打を集め、28対0で勝利し、9月にイタリアで開かれる欧州・アフリカ予選(1位チームが五輪出場)への進出を決めました。

ウガンダ代表を率いた監督の田中勝久さん(43)は試合後、「この試合を忘れず、次の大会に向けてがんばって欲しい」と選手たちに声をかけました。

南アフリカとの試合後、選手たちに声をかける田中勝久監督=5月5日、南アフリカ、石原孝撮影

ウガンダの選手たちは平均年齢が若く、日本の関西独立リーグでプレーした選手もいるなど、伸び盛りのチーム。国際協力機構(JICA)のシニアボランティアとして派遣された田中さんは「ウガンダの選手たちは潜在能力が高い。経験やパワーをつけて、いつかリベンジして欲しい」と悔しさをにじませました。

一進一退の展開になったのは、ジンバブエ対ブルキナファソによる3位決定戦。9回では決着がつかず、試合は延長戦に。両チームとも日本人指導者が指示を飛ばす中、11回、ジンバブエの攻撃中に相手捕手によるボークがあり、これが決勝点になりました。

ジンバブエ対ブルキナファソの3位決定戦は、両チーム点の取り合いとなる乱打戦になった=5月5日、南アフリカ、石原孝撮影

ジンバブエを率いたのは、2017年の夏、18年の春の甲子園大会に出場したおかやま山陽高校の堤尚彦監督。元々、JICAの青年海外協力隊員として野球指導にあたった経験もあり、代表チームの指揮を依頼されました。

「野球は世界ではマイナースポーツ。東京五輪に出場できるのも6カ国だけ。日本だけでなく、各国に普及していく必要があると思った」と、日本とジンバブエの2チーム兼任の狙いを教えてくれました。予選前にはジンバブエの選手たちを母校に呼んで練習に参加させるなど、強化に努めてきました。3位を決めた試合後、「ジンバブエは過去に政情不安があり、指導態勢が満足にいかない時期もあった。選手は最後までよくがんばってくれた」とたたえました。

表彰式の後、集合写真を撮るジンバブエの選手たち。右奥がおかやま山陽高校の監督も務める堤尚彦さん=5月5日、南アフリカ、石原孝撮影

堤監督の指導を受けてきた捕手のラブジョイ・サウングエメ選手(36)は「堤さんは、私が幼い時から野球を指導してくれた恩師」と感謝しました。サウングエメ選手は、母国が経済危機に陥った07年に隣国の南アフリカに移住。IT会社を経営しながら、東京五輪出場を目指して練習に励んできました。「1位にはなれなかったけど、最後はみんなで団結して勝利することができた」と笑みをみせました。

「野球不毛の地」と言われてきたアフリカ大陸で、「オリンピック出場」は選手たちの大きな目標になっていました。土煙が舞うグラウンドで白球を追いかける選手たち。その陰には、長年普及に当たってきた日本人指導者たちの努力がありました。