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ビジネスの痛手一度ならず それでも離れがたき島、それがハワイ

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
ワイキキ沖で

私のON

ホノルルに移り住んで18年になります。現地では日本の挙式大手企業と提携してハワイ情報専門ポータルサイト「ハワイラバーズ」を運営し、フリーマガジンも発行、かつデータ分析事業「PCM」を経営しています。日本でもIT関連事業「メディアラグ」を手がけており、ハワイと日本を行き来しています。

取引先とのミーティングで

大阪市で、日米ハーフの父と在日韓国人の母の間に生まれました。子どものころ、赤毛で目も青っぽかったので「外国人」とからかわれることもあり、自分のアイデンティティーについて悩む時期もありました。でも、実は母が日本人ではなくて在日韓国人だと打ち明けたのは私が30歳を過ぎたときで、驚きもしませんでした。当時、韓流ブームだったので話してくれたのでしょうか。

私が中学を卒業すると、仕事で体調を崩した父が新天地を求め、家族で米西部シアトルに移住しました。ヨット好きの父がニュージーランドと比べて決めた街で、周りに知り合いもいない場所でした。私は現地の高校に進みましたが、英語ができず知り合いもいなくて約1年はつらい毎日。周辺に日本人もいなくて、「中国人」と指を差されていました。そのころは小学生と遊んでいました。父も見た目は白人っぽいのですが、当時は英語は話せませんでした。

その後、私は進学した地元のワシントン大学在学中の21歳の時、中古バイクを日本に送る仕事で起業しました。学費分くらいは軽く稼げました。大学卒業後は日本に戻り、IT事業などいくつか会社を立ち上げました。米国式サンドイッチ店は、夕飯にサンドイッチを食べる文化のない日本では失敗しましたが、その後の米国式のビーフ100%ホットドッグ店は成功しました。プロ野球の球場などで販売しました。

そのころ長男が生まれ、英語で苦労させたくないとの思いもあって、埼玉・川越出身の日本人の妻の希望でホノルルで暮らし始めました。結婚式を挙げた場所でしたがそれ以上にはなじみのない土地で、妻はてっきりサンフランシスコあたりを選ぶと思っていただけに、驚きました。

一方、2002年からはニューヨークで働きました。ハワイと行ったり来たりでした。日本で人気の出た、魚眼レンズで撮って鼻が大きくなった犬の写真「THE DOG」を米国でもあてようと、日本の会社から委託されてカレンダーを売ったのですが、広い米国では飛び込み営業も難しくて初めはなかなか売れずに食べていくのに大変でした。

08年にはハワイに事業会社を設立しました。バニラやシナモンを使い甘くコーティングしたマカデミアナッツを作って明治屋や成城石井など高級店で売ったら好評でした。また、レンタル大手「TSUTAYA」のレジ脇に、米国風にマカダミアナッツにシナモンコーティングしたお菓子を置くことを提案したら採用されました。

山梨であったデパートでのハワイアン催事時、パフォーマーとして参加したKonishikiさんと。石丸さんはお菓子販売担当で加わった

一方、13年にホノルルにカフェを開いたもののパートナーから資金を取り損ねて大コケ。さらに、いまのフリーマガジンの前身を立ちあげると、まただまされて負債を抱えました。私にとってハワイでの「サバイバル」でしょうか。ここの日本人コミュニティーは村社会で、ビジネスは入り口こそ簡単ですが、最後に仕上げるのは難しいです。米国人も、本土にくらべて緩いというか、仕事がはかどらないことも多いです。

そんな失敗を経て、ここ5年は事業は安定してきました。TSUTAYAと仕事をした縁で、15年にはホノルルにデータ分析事業「PCM」を立ち上げ、市内でTポイントが付くレストランや土産品店などを開拓。さらに16年には、雑誌名を「ハワイラバーズ」に変え、18年からは「Watabe Wedding」100%出資の子会社のハワイラバーズを設立し、今は運営業務提携をしています。今では旅前のハワイを訪れる前に目にしてもらい、どこに行くか参考にしてもらうことで確実にアプローチできます。

沖縄で開催されたビジネスイベントに出演=2018年12月

一方、日本で経営するIT関連事業「メディアラグ」は創業者が17年に亡くなり、負債を彼の家族に負わせるのは嫌だったので、取締役だった私たちで後を継ぎました。日本では、地方再生業務として内閣官房「まち・ひと・しごと創生本部」に携わり、各地でハッカソンを運営しています。

私のOFF

私が日本やニューヨーク、欧州と飛び回る一方で、妻はハワイ伝統の花の首飾り「リボンレイ」作りの腕を磨き、2人の子どもも元気に育ちました。いまでは義理の両親と、妻の双子の姉とその2人の子どもと9人の大所帯になっています。

ホノルルの自宅で一緒に暮らす家族

休みの時には、美しい海で子どもたちとボディーボードを楽しむこともあります。ジムでベンチプレスをすることはストレス発散になります。14年には、長男と一緒にホノルルマラソンを走りました。私が中学生のとき、父から無理やり琵琶湖一周自転車レースに参加させられましたが、今となってはいい思い出ですね。何事も経験することが大事です。

第1回目のホノルル駅伝に参加

どこでも生きていける体質だと思っています。食べ物は日本食でもピザでもなんでもおいしく食べます。ただし。パクチーだけは苦手です。

環境や気候が人に与える影響は大きいと思っており、その点、ハワイは世界で一番いい場所だと感じています。どこか懐かしくて落ち着きがあり、かつ、なにか自然の力を感じます。

ただし物価は高いです。これからもここで暮らし続けるには、頑張って稼いでいかないといけないですね。(構成・中野渉)

ホノルル・ワイキキの街並みを背に。右奥がダイヤモンドヘッド

■「私の海外サバイバル」は月1回の連載です。次回は6月5日(水)配信予定です。