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サウジアラビアで音楽フェスティバル 観光客呼び込みに動く砂漠の国

ニューヨークタイムズ 世界の話題
サウジアラビアのアルウラで開催された音楽フェスティバルに集まった人たち=Tasneem Alsultan/©2019 The New York Times

砂漠に立つイタリア人設計の新しいコンサートホールは夕日をあびて揺らめき、ミラー(鏡)の壁に黄金色の砂岩の丘や崖を映し出していた。

ホールでは、中国の交響楽団が西洋のクラシック演奏のリハーサルをしていた。中国人ピアニスト、ランランの公演の準備だった。がらんとしたホールに、澄んだ軽快な音が響いていた。コンサートは、この冬、サウジアラビアで開催されたアンドレア・ボチェッリ(訳注=イタリア出身のテノール歌手)とヤニー(訳注=ギリシャ出身のシンセサイザー奏者)、マージダ・エル・ルーミー(訳注=レバノン出身の声楽家)による公演シリーズの一環だった。

サウジ西部の砂漠から見ると、ここは昨年10月以来、米国の政治家や国際機関の幹部らから非難されてきた国とは別の国のようでさえある。米バージニア州に住んでいたワシントン・ポスト紙のコラムニストのジャマル・カショギが殺された事件で、最初に非難の矢が向けられたのはサウジの事実上の支配者である皇太子ハンマド・ビン・サルマン(33)だった。

CIA(米中央情報局)はカショギ殺害の責任は皇太子側にあると結論付け、傍受された会話記録などがその最も強力な証拠だとした。サウジ政府は皇太子の事件への関与を否定している。

皇太子ムハンマドは、人権活動家の投獄や何百人もの人をホテル内に拘束したこと、さらには隣国イエメンでの内戦介入――国連は、この戦争を人間が起こした世界最悪の人道危機と指弾――でも、国際的な非難を浴びてきた。

しかし同時に、皇太子統治下の政権幹部たちは音楽フェスティバルといったイベントを推進することでサウジの観光・文化産業の売り込みにも取り組んでいる。今回のようなイベントは、この保守王国の遠隔地ではこれまで開催されたことがなかった。

アルウラのフェスティバルでは、イタリア出身のテノール歌手アンドレア・ボチェッリのコンサートも開かれた=Tasneem Alsultan/©2019 The New York Times

この戦略は、皇太子による娯楽や大衆文化の規制緩和路線に沿ったものだ。

観光産業の開発で、政権幹部はサウジ西部のヒジャーズ地方にある古代の隊商の町アルウラに焦点を当てている。そこはかつて、地中海の帝国とアデン湾沿いの港湾都市を結ぶ商人たちが行き交う場所だった。

「私たちは、ここを未来の土地と呼んでいる」とマハー・マザンは言う。アルウラ郊外の岩の峡谷に建つ新しいホテル「Shaden Resort」のマネジャーだ。ホテルの料金は1泊440ドルが一般的だ。「1年以内に、ここは様変わりしているだろう」とマザンは付け加えた。

この地域の豊かな歴史と考古遺跡群は、皇太子ムハンマドの父の国王サルマンを長きにわたって魅了してきた地である。国王は2017年、すばらしい岩の遺跡群――その起源はイスラム化以前だが――の保存と観光客のさらなる誘致を目的にしたアルウラ王立委員会を創設。同委員会はコンサートシリーズの開催も目指すようになった。

地域の目玉はマダイン・サーレハだ。そこはアル・ヒジュル(訳注=岩だらけの場所という意味)とも呼ばれる古代都市で、丘陵の斜面に彫られた100柱余りの墓石が夕日を浴びて金色の輝きを放つ。ヨルダンの有名な砂岩都市ペトラを築いたことでも知られる古代ナバテア人の版図の南部領域に位置していた。墓石群は2千年の歴史があり、多くのサウジの人びとは、そこを精霊がすむ、呪われた場所と信じている。

アルウラ近くの古代遺跡マダイン・サーレハ=Tasneem Alsultan/©2019 The New York Times

近くにはオスマン帝国時代にドイツ人とトルコ人の技術者たちが建設したヒジャーズ鉄道が保存されている。この鉄道は、現在は使われていないが、1908年までダマスカスとメディナの間の800マイル(約1300キロ)を結んでいた。

ある日の午後、ガイドが車で外国人観光客の一団を鉄道の駅へと案内してから、その後、ナバテア人の墓石群に連れて行った。

ガイドのムハンマド・アル・アンジによると、この一帯は古代、四つの文明の支配下に置かれた。彼は墓石群への玄関口の上に彫られたタカを指さしながら、ここにはギリシャから移り住んだ人たちもいたと話した。

「その後、ローマ人がナバテア人を滅ぼした」と彼は言った。「文明は到来し、文明は去っていく。原初から、それがこの世というものだ」

観光客の中には、ぽかんと遺構を見上げ、写真や動画を撮って中国の旅行サイトに投稿する中国系英国人のカップルもいた。

マダイン・サーレハの時間を超越した厳粛な奇跡とは対照的なのが、「タントラの冬(Winter of Tantora)」と銘打った音楽フェスティバルの豪華な装飾だ。関係者によると、この2月初めの時点で、少なくとも計3万人がフェスティバルの週末イベントに集まった。フェスティバルは2018年12月20日から始まり、開催期間が2週間延長されて2月23日まで開かれた。

ワシントン・アラブ湾岸諸国研究所(AGSIW)の学者フセイン・アイビッシュによると、皇太子ムハンマドが構想する娯楽は「とても広範なもので、公共の娯楽が過去数十年間にわたって排除されてきた社会に『楽しみ』を再び持ち込むという革命的な企て」だ。

熱気球ツアーもある=Tasneem Alsultan/©2019 The New York Times

しかし、それは必然的に西側世界との交流を伴うことになるから、やっかいな問題も生み出す、とアイビッシュは言う。

「西側世界に訴えかけ、受け入れられるよう――それは西側世界に受け入れられる必要がある――社会を自由化し経済を近代化する力を解き放ちつつ、一方でそうした勢力を政治的な弾圧で封じ込めようとしている。西側世界のほとんどの人たちには、政治的な弾圧はまったく受け入れ難いし、疎んじられるものである」。そうアイビッシュは言う。

週末は、金曜日に開かれるコンサートを中心に展開される。他にも熱気球ツアーなどの目玉になるイベントもある。ボチェッリの公演は、湾岸地域の王族をひきつける有名な競馬が開催される日と同じ週末に開かれる。

音楽フェスティバル「タントラの冬」のウェブサイトには各週末の各種パッケージの広告が載っている。だが、どれも高額だ。

ヤニーのコンサートがある週末は、料金1400ドルの1日旅行パッケージ(ジッダあるいは首都リヤドからの往復航空券を含む)から6千ドルの週末「ダイヤモンド」パッケージまで、幅広い――多くのサウジ人には手が届かない金額である。

もっと安いチケットもあるが、サイトでは宣伝していない。

週末の渓谷には屋外に座れる期間限定のレストランがオープンする。UAE(アラブ首長国連邦)のドバイで人気があるハンバーガーのレストラン「Salt」やサウジ人が経営するすしとハンバーガーの店「Nozomi」も出店している。

峡谷に設けられた観光客向けのレストラン=Tasneem Alsultan/©2019 The New York Times

王立委員会の経済開発担当代表アブドゥラ・アル・ケラウィは、このフェスティバルは「アルウラの人たちが自分たちの土地を、誇りを持って世界に見せる機会になる」と言っている。フェスティバルは地元住民1千人に臨時の仕事をつくった、と彼は言い添えた。フェスティバルを運営する王立委員会の本部はリヤドにあり、そこではフルタイムで100人が働いている。

「これが観光産業のスタートになる」と地元の運転手サレ・アル・ビラウィ(25)は言う。最近、米国の大学で刑事司法学を勉強した。「この冬のフェスティバルだけで多くの運転手が雇われた」

アル・ビラウィや同僚たちは、その仕事が一時的なものであることはわかっている。もう一人の運転手ファイサルも大卒で、日当36ドルで週末だけの勤務だが、仕事があることをありがたいと思っている。

王立委員会はフランス政府との間で、地元民300人から1千人をフランスに送り、主に接客分野で研修を受けさせることに合意した。その第一陣として68人が昨年9月、フランスの研修機関「Campus France」に着いた。32人が女性だ。

2月1日開催のボチェッリのコンサートに向け、前日から観光客が飛行機で現地入りした。サウジ在住の外国人も交じっていたが、大半は金持ちそうなサウジ人たちだった。

峡谷のレストラン=Tasneem Alsultan/©2019 The New York Times。外国人だろうか、ベールをつけていない女性の観光客もやって来る

王立委員会の助力で観光ビザを確保した外国人も少しいた。サウジ政府は、通常はこの種のビザを発給していない。ここへの訪問者のうち、かなりの人たちは王立委員会が旅費を負担したゲストらしかった。(抄訳)

(Edward Wong))©2019 The New York Times

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