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ベトナム生活を通して子どもが感じた戦争とは

子連れで特派員@ベトナム
ホーチミン市中心部にある戦争証跡博物館には、海外からも多くの人が訪れる=鈴木暁子撮影

去年のこと、親戚がハノイを訪ねてきた。ポコのいとこの小学生のお姉ちゃんは、すっかり成長して大きくなっていた。この子が結婚するころには、私たちは何歳になっているのかねえなどと家族で話していたら、ポコがぽつりと物騒なことをいった。

「ぼくはそのころには戦争にいかされているかもしれないなー」

 なぬ?

あまりに大人びた口ぶりで笑ってしまったのだが、ポコが戦争について話すのを聞いたことなどなかったので驚いた。おとっつあんによると、私が出張に行っていた数日の間に、とつぜん戦争に関心を示し、「なぜ戦争はおきるのか」と質問したり、「いま日本には戦争はないんだよね」「戦争をやったらだめなんだよね」と話したりするようになったのだという。 

テレビのニュースから聞こえてくる不穏な内容から、彼なりに世界が向かっている方向を憂慮しているのか?いや、学校でなにか戦争についてお勉強したのかしら。聞いてみるとだまってポコは首を振った。

ベトナム戦争が終わったのは40年以上も前だが、「わが国はいまだに『ベトナム戦争の国』として知られている」とベトナムの人も話すほど、世界の人々がこの国にもつ戦争のイメージは根強い。ベトナムにいれば、実際に戦争のことを考える機会はたびたびある。休日にポコとおとっつあんと散歩していたときのこと、ハノイの街角で、子どもを抱いた女性が拳を振り上げる姿をした記念碑を見つけた。「1966年に米軍機の攻撃で5人が殺害、10人がここでけがをした。この憎しみを心に刻む」と書かれている。この場所で人が亡くなったのだ。

ハノイの街角で見つけた、古い戦跡の碑。子どもを抱いた女性が拳を振り上げるさまをかたどっている=鈴木暁子撮影

南部ホーチミンからバスに乗って、ベトナム戦争時の解放戦線の拠点だったクチ・トンネルを訪ねたこともある。戦時中にゲリラが身を潜めたという小さな穴や、約250キロにわたり張り巡らされたという細いトンネルの一部をくぐり抜ける体験をした。銃を撃つ体験コーナーまであり、とどろく銃声を怖がってポコは耳をふさいでいた。

ベトナム戦争時の解放戦線の拠点だったクチ・トンネル。ゲリラが身を潜めたという穴から引っ張り上げてもらうポコ=鈴木暁子撮影
穴に落ちた敵の体が釘刺しになるようにつくられたしかけなど、クチ・トンネルでは、実際にあった様々なからくりが展示されている=鈴木暁子撮影

南部のホーチミンにある「戦争証跡博物館」にもポコと一緒に何度か行ったことがある。ベトナム戦争時代の写真や武器とともに、その史実を紹介したこの博物館は、世界中の人たちが訪れる場所だ。著名な「ナパーム弾の少女」や、虐殺現場に折り重なる遺体など、戦争の被害を訴える写真の数々が展示されている。戦争中に米軍が散布した「枯れ葉剤」に関する展示室では、その影響とみられる障害を負った人の写真が多数あり、見ていると胸が痛くなる。二度目に行ったとき、ポコは米軍のライフルなどの展示の回りに、ぶらぶらととどまっていた。あっちには遺体などを写した少し「こわい」写真がある、と覚えていたのかもしれない。

虐殺などの現場を撮影した写真が展示された戦争証跡博物館内部=鈴木暁子撮影

そろそろ帰ろうと、音楽が流れる1階のフロアを歩いているとき、ポコがつないでいた私の手をきゅっとしたのがわかった。そのまま歩いて1分ほどしたとき、聞いてきた。

「どうしてあの人には目がないの」

1階で座って電子オルガンを演奏していた若い男性は、確かに目の部分が皮膚でおおわれ、瞳がなかった。枯れ葉剤の被害者団体に所属する人だった。戦争をしたときにベトナムにまかれた薬が原因かもしれないのだけれど、目がみえない状態で生まれた人もいるんだよ、と話した。ポコは「ふうん」と答えた。心ここにあらずのようでいて、よく聞いているときのサインだ。

戦争証跡博物館には最近、枯れ葉剤被害者団体の活動の部屋ができた。以前は1階で演奏や商品販売をしていたが、目にとまりにくくなってしまったと感じる=鈴木暁子撮影

こうした博物館への訪問は、もっと大きくなるまで待つべきだという意見もあると思う。青年になったポコが自ら選んでこの地を訪ね、その時に何かを感じることがあれば、それが一番いいと私も思う。ハノイで生活しているだけでも、子どもは様々なことを感じ取っている。

私自身も記者としてベトナムに来てから、ベトナム戦争の歴史をたどる機会に恵まれ、様々なことを感じている。それはまたの機会にお伝えできればうれしいです。