Review01 大久保清朗 評価:★★★★(4=満点は★4つ)
追加の場面 深い余韻
冒頭、マチルド役のリュス・ロドリゲスの映像が一瞬止まり、彼女の表情をとらえる。その彼女の厳しい表情が鮮烈だ。一方、母(ノエミ・ルヴォウスキー、監督・共同脚本も)は一見愛想がいいが、理性のたがが外れている。半ば育児放棄している母は、現実から逃げることにかまけている。だがマチルドにとって、母の存在は逃れようのない現実である。ふたりの世界は交わらない。
『ステラ・ダラス』から『レディ・バード』まで1世紀近くにおよぶ母娘もの映画の枠組みに、ルヴォウスキーは、滑稽さと悲惨さ、そして幻想と寓意的な広がりを与える。言葉を話し、マチルドの精神的支柱となるフクロウが出色なのだが、なにより映画の要となるのはマチルドの悪夢である。ミレーの〈オフィーリア〉のように水中に漂うマチルド。それは母の狂気で窒息しかかった少女の姿だ。
最後、長い空白期間をはさみ、大人に成長した主人公(アナイス・ドゥムースティエ)と母との姿が描かれる。雨のなか母と娘との間で交わされる、独特の「交流」の身ぶりが感動的である。ふたりの生が初めて解け合うからである。ロドリゲスが健康上の理由で降板したため追加されたこの場面が、結果として映画に深い余韻をもたらした。
Review02 クラウディア・プイグ 評価:★★☆☆(2.5=満点は★4つ)
オーラあるが残念な結末
催眠術に誘い込まれるようなイメージと空想に満ちた作品だ。
家の中を飛び回り、屋外で羽ばたくフクロウは、『ハリー・ポッター』に出てくるフクロウを思わせる。ただし、マチルドのフクロウはもっと不思議な存在だ。人の言葉を話し、彼女の生活に欠けている理性的で大人目線のアドバイスを送る。憂鬱な物語のなかで、フクロウは唯一ユーモアの源になっている。
マチルド役のリュス・ロドリゲスの演技は年齢には似つかわしくないほど繊細で聡明だし、監督のノエミ・ルヴォウスキーの演出もしっかりとしている。奇抜さと狂気、痛ましさという珍しいブレンドは、ある種のオーラを生みだしている。
しかし、エンディングには居心地の悪い驚きを感じた。母親が田園的で穏やかな雰囲気の病院に入院した後、マチルドはどうやって暮らしていたのかまったく分からない。それなのに突然、成長した彼女が病院に母親を訪ねてくる場面が描かれる。
二人はそこで身ぶりとダンスで意思を交わす。心温まるすてきなシーンではあるのだが、複雑なテーマに対して、結末があまりにも安易なように思える。多くの疑問に答えを出さないまま、物語は終わってしまっている。