組織改革、精神的に辛かった それでも必要なことはやる
今月24日にはニューヨーク証券取引所にも上場し、世界最大の製薬市場である米国で知名度向上をねらう武田薬品。同社のフランス人社長、クリストフ・ウェバー氏のインタビュー連載2回目では、14年の社長就任以降に取り組んだ社内改革について聞きます。(聞き手・五十嵐大介)
English: Takeda President Says Firm’s Reform Was “Stressful,” But “Essential.”
――社長に就任してから、武田はどのぐらいグローバル企業に近づけましたか?
私は以前から、「家」の絵を使って説明してきました。それぞれの国が地域特有の性格を持ってはいますが、従業員が武田の世界戦略について理解している。そんなグローバルな「家」に当初よりずっと近づけていると思います。
エグゼクティブチームはとてもグローバルです。現在の執行役員クラスは8カ国の国籍からなっていますが、皆この状況にも慣れてきました。当初は未知の経験から、グローバル化に対して相当な不安を抱く従業員もいました。その意味では、相当な道のりをたどってきたと思います。
一つの例を紹介しましょう。私たちは2014年、製造部門のグローバル組織を作ることを決めました。すべての製造拠点が、このグローバル組織に属するのです。そしてこの組織のトップは、製薬業界で25年の経験を持つドイツ人。彼は、スイスのチューリヒに拠点を置いています。日本の製造拠点の従業員にとって、初めての外国人のトップでした。私が最初にこの日本の拠点、光工場(山口県)に行った時は、とてもローカルな拠点でした。彼らは独自のやり方で仕事を進め、英語を話す従業員はほとんどいませんでした。
そしてこの拠点こそ、グローバル拠点になるうえで苦労しそうな場所でした。なぜなら、グローバル拠点になるためには、米食品医薬品局(FDA)など、世界各国の規制当局の承認を受ける必要があったからです。
しかし、この光工場は、現在では人工知能(AI)や製造工程のデジタル対応の試験サイトとして最先端の役割も担っています。また、私が最近訪れた時には、すべてのプレゼンテーションが英語で行われていました。これは相当な変化です。日本以外の規制当局からみても、品質基準もさらに向上しました。私たちの変革に終わりはないですが、すでに相当な道のりを歩んできました。
――研究開発体制を変革したようですね。
研究開発(R&D)では、相当な変革を進めました。変革の実行は、日本だけでなく、米国、英国、すべての研究開発拠点の従業員にとって、とても厳しいものでした。
――具体的にはどのように変えたのですか?
製薬会社の伝統的な研究開発では、病気を治すための特定の受容体(細胞に含まれるたんぱく質)などの「標的」を選び出し、200万種類もの分子の中から、そのターゲットに有効な分子を探し出す、スクリーニングという作業をしていました。武田では、高血圧、糖尿病、呼吸器疾患など、とても幅の広い病気に対してこうした作業をしていました。ところが、今は一つの標的を決めて、それに有効な分子を「デザイン」する手法に変わりました。スクリーニングをする必要性が少なくなったのです。かつては200万種類もの低分子を扱っていましたが、今は高分子など最先端のものを扱っています。
私たちが決めたのは、研究開発でいくつかの疾患領域に集中し、その代わりターゲットにした疾患領域で最高のチームを作ろうということでした。そして、高い技術を取り入れるために積極的にパートナー企業を探そうと。そこで私たちは、消化器系疾患、がん、神経精神疾患の3つの分野だけを選びました。
現在、私たちはバイオテクノロジーのスタートアップや大学・教育機関などと180以上のパートナーシップを結んでいます。その大半は米国ですが、日本でもおよそ30のパートナーシップを結んでいます。これは本当の意味でグローバルなパートナーシップです。
――社内の陣容はどう変えたのですか?
まずは、研究開発部門を率いることができる経験を持った、新しいトップを探す必要がありました。現在のトップは15年前半に入社しています。今では、神経精神疾患の研究は日本、消化器系疾患とがんはボストンでおこなっています。欧州の研究施設は閉じました。研究者たちが選んだ道は、子会社やパートナー企業に移ったり、再訓練を受けたり、会社を辞めたりとさまざまです。日本人の研究者も約100人がボストンに移りました。これはとても大きな変化でした。ですが、もしこの変革をしていなければ、シャイアーの買収提案はできなかったでしょう。
――従業員からの反発はありましたか?
とても精神的につらい時期でしたが、こういう状況こそ、従業員とのコミュニケーションや関わりが相当求められると思います。実際に現場に行き、なぜ変革が必要かを丁寧に説明する。私はこの変革を喜んでやったわけではないですが、会社の将来にとって絶対に必要だと思ったので実行しました。
当時、武田が最後に開発した本当の意味で革新的な医薬品は、1990年代後半に発売したものでした。つまり、この会社は革新的な製品を約20年間生み出せてこなかったのです。何かをしなければならなかった。世界の状況がより厳しくなっているなかで、同じやり方を続けるわけにはいかなかったのです。
――武田のエグゼクティブチームは14人中11人が外国籍だとおっしゃいました。なぜ日本人が少ないのですか?
エグゼクティブ(執行役員クラス)チームのメンバーになるには、グローバルな経験が必要です。幅広い経験を持ち、文化に対しても理解があるリーダーが求められます。日本人従業員をエグゼクティブチームに入れるためには、より多くの日本人にグローバルな経験をさせる必要があります。
冒頭の製造部門のお話に戻りましょう。私たちは世界に21の製造拠点を持っています。日本、米国、欧州、南米、ロシアなど各地に広がっています。この部門のトップは、異なる国での多くの経験を持っています。幅広い経験を持ち、さまざまな文化を理解できるリーダーが必要です。かつての武田は、グローバル企業として組織されていませんでした。日本は日本で経営し、海外は海外で経営していたのです。
私たちは以前より多くの日本人従業員を海外に送り込んでおり、いずれ役員になる日本人も増えるでしょう。ですが、人材の開発には5、10年かかるため、それを待つことはできなかったのです。ですので、現在のエグゼクティブチームの大半は、私が外部から採用した人たちです。
それでも、私の哲学は、社内の人材を育成することです。リスクを減らすことができ、従業員にとってもモチベーションが上がるからです。私たちはすでに、シャイア-との統合後の将来のエグゼクティブチームを発表しました。その中で、コーポレートの戦略部門のトップは日本人です。彼は現在、スウェーデンでゼネラルマネジャーを務めており、その前はメキシコで働いていました。
■次回は、武田が具体的にグローバル人材をどう育てているかを聞きます。2019年1月配信予定です。
English: Takeda President Says Firm’s Reform Was “Stressful,” But “Essential.”