新薬は出にくくなっているのか
――おもにどんな薬をつくってこられたのですか。
基本は抗がん剤です。ひとつはカイネース・インヒビター(キナーゼ阻害剤※)と呼ばれるタイプの抗がん剤で、おもに肺がんに使われる薬。これはすでに販売されています。もうひとつ大きなものは、「たんぱく質間相互作用(PPI)」を阻害する薬で、いま臨床試験が進んでいます。
PPIとは、たとえばがん細胞の中で、たんぱく質どうしがシグナルを伝達するためにくっついたり離れたりするような働きです。そこで、がんの増殖信号を伝えるためのPPIを止める薬をつくりました。PPIの阻害と言うと、一般的には抗体(※)を使うのですが、私が手がけたのは低分子薬(※)です。低分子のPPIの阻害剤は、私の手がけたものが、世界でほぼ初めてだと思います。
※キナーゼ阻害剤 細胞の表面や中などで、信号の伝達などに重要な役割を果たす酵素(キナーゼ)の働きを止め、がん細胞の増殖などを抑える薬。
※抗体 免疫システムの中で、ヒトなどの生体に毒素などを持つ異質なもの(抗原)が入ってきたときに、特別に反応するたんぱく質。動物などを使ってねらいとする抗原に対する抗体をつくり出し、医薬品に仕上げたものが抗体医薬品と呼ばれる。分子量は数十万と大きく、高分子薬に分類される。
※低分子薬 分子量が数十~数百の化合物を使った薬。小さいために細胞内に入り込み、作用することができる。化学物質を合成してつくることが多く、大量生産に向いている。
――新薬が出にくくなっていると言われていますが。
世界的には出ていないわけではないです。抗体医薬品も含めたら出ているんですが、抗体の薬はほとんど海外から出ている。日本では低分子の薬が出にくくなり、難しいターゲットに手がつけられないといった理由で、そう言われているのではないでしょうか。
抗体医薬品に乗り遅れた日本
――なぜ日本は抗体医薬に乗り遅れたのでしょう。
日本の学界にも、オプジーボ開発のきっかけをつくった本庶佑先生をはじめとして、バイオのターゲットは面白いという考えはあったんです。それに抗体というのは、昔から生物学の世界では実験などで当たり前に使われていました。
なぜその可能性を見落としたかというと、製薬業界がリスクを取らなかったからでしょう。抗体が薬になるかどうかは、分からなかった。それでもそこに賭けて、薬になるんだって言って研究を進めた会社がどれだけあったかというと、ほとんどないんです。
リスクを取れない理由のひとつは、管理職の研究者たちが、最先端の技術を理解できていないからだと思います。若い現場の人たちは分かっていても、上の人たちが分からないことが多いんです。日本でよくあるのは、入ってきたときはピカピカの研究者なのに、年をとって偉くなると勉強しなくなるパターン。それで研究所長ぐらいになったときに、周りが全く見えていない。10年ぐらい前の、自分が現役だった時代の技術で語ってしまう。
外資の大手では、そのポジションに年配者はまずいません。42歳ぐらいで研究のトップをはります。そのぐらいの年齢だと、中を見ているけれど、外も見ている。学会にもしょっちゅう顔を出して、いろんなコミュニケーションをしていて、逆に社員が知らないような最新のトピックを自分で持って帰ってくる感じです。日本との大きな違いです。
――低分子から抗体医薬への移行はこのまま進むのでしょうか。
いや、移行はしていないです。抗体が目立ってはいますが、今も主流は低分子です。
さらに抗体医薬の課題は、標的となる抗原が限られていることです。全部分かっていませんが、今は四十数個と言われています。その中には薬にならないものもあると言われていますから、最多で四十数個でしょう。ひとつの標的にふたつぐらいずつ抗体が出てくれば、それで市場は飽和してしまいます。すでにそれぞれの抗原向けの抗体の開発は始まっていますから、あと10年、15年ほどで市場がほぼ埋まるんじゃないでしょうか。
――では、この次は?
やはり低分子でしょう。あとは中分子と言われるペプチド医薬品(※)とか核酸医薬品(※)、あるいはそれらと抗体、低分子とのハイブリッドとかですね。抗体で無視できないのは製造コストが高く、価格も高いことです。
実は、低分子ではちょっと難しいかなというハードルはあったんですが、それをサイエンスは超えつつあります。私がやっていたPPIもそうです。難しいPPIだったら抗体を使う手もありますが、ペプチドリームの開発状況を見ていると、抗体のターゲットには基本的にペプチド薬も使えるんです。そうすると抗体よりも安くて、使い勝手がいいという薬は、この5年10年でどんどん出てくると思います。
※ペプチド医薬品 2個以上のアミノ酸が結合してできる「ペプチド」と呼ばれる化合物を使った医薬品。天然のペプチドを使った医薬品は従来からあったが、最近は人工的なペプチドを合成する創薬技術が注目されている。分子量は数百~数千で、低分子薬と高分子薬の中間の性質を持つ。
※核酸医薬品 DNAやRNAといった遺伝情報に関係する「核酸」を使った薬。細胞の遺伝情報のやりとりに働きかけ、特定の機能を持つたんぱく質をつくる薬などが開発されている。
がんやアルツハイマーの特効薬は難しい
――がんの特効薬などはできるんでしょうか。
何をもって特効薬とするかでしょう。ウイルス性の疾病ならウイルスを死滅させれば完全に治るので、特効薬があり得ます。さらにがんによっては、特効薬もあります。例えば、血液のがんである白血病は、薬でほぼ治るようになってきました。それは、メカニズムがはっきりしていたからです。膵臓がんや胃がん、肺がん、大腸がんなどで、ある薬を飲んだらきれいになくなるかというと、ないと思いますね。
――どうしてですか。
がんができるメカニズムが単純ではないからです。最悪なのは、あるメカニズムは100%止めたけど、別のメカニズムでがんが大きくなるというパターンです。だから薬の組み合わせが必要です。がんができるメカニズムをそれぞれ押さえて、6割、7割が治るということは、将来あるかもしれません。そこで重要なのは、診断です。「あなたはこのメカニズムでがんができていますよ」と分かれば、それをつぶす薬を使えばいい。もちろんまだ薬は全部そろっていませんが、そろい始めているとは思います。
――そうすると、正常細胞も含めてたたくという従来の抗がん剤はなくなっていく。
今はまだ何でもいいからたたくタイプの薬も使われていますが、置き換わっていくと思います。もちろん標的薬だからまったく毒性がないのかというと、そういうことはないです。がんも殺すけど髪の毛が抜けるとか、皮膚がかゆくなるとか、そういうことはあると思います。
ただ、命を救うという意味では、単純にがん細胞を殺せばいいということじゃない。大事なのは生活の質を上げることです。体力を落とさず、普通の生活が送れる状態でがんと向き合うことです。そこをコントロールするための薬は、これからいっぱい出てくると思います。あとはお医者さんの問題もあります。こういう新しい薬は使い方も難しいので、しっかり理解して使ってもらわないといけません。
――アルツハイマー病の薬はどうでしょうか。
アルツハイマーを治すというのは、どういうことなのかにかかわりますよね。症状の進行を遅らせるのか、それとも止めるのか、そもそも発症させないのか。
――発症させないことでしょうか。
そうすると予防薬をつくることになりますが、まず臨床試験が問題になります。アルツハイマーになっていない人に飲んでもらい、ならないことを証明するのはすごく難しい。時間をかけてそれが証明できたとして、すごい開発費がかかります。それを買ってもらおうと思っても、誰がそのお金を払うのでしょう?
これは個人的な意見ですが、若くしてアルツハイマーになる状況はなんとかしてあげたいと思いますし、症状の進行を遅らせるような薬は出てくると思います。しかし加齢によるアルツハイマーの場合、それに対抗するとなると、命を救う救わないという問題ではなくなりますし、医療経済的にも難しい。サイエンスが進化すれば分かりませんが、現状を見る限り、この先40年ぐらいはないんじゃないかと思っています。
――ターゲットにしたい、ここは有望だという分野は。
アルツハイマー以外なら、全部有望と言ってもいいんじゃないですか。がん、免疫系の疾患、皮膚病の系統、眼科領域もありますよね。
――そうすると創薬の世界はまだまだ行き詰まりはない。
ないですよ。日本に帰ってきてびっくりしたのは、創薬ターゲットは枯渇しているとか、薬が出にくくなっているとかいう話を聞いたことです。海外では、そんな話は聞きません。外資系はターゲットがありすぎて、どういう順番でやるか困っているぐらいです。だから私たちの会社も、海外の大手から、あれもこれもと共同研究を頼まれているわけです。
――日本ができること、得意分野をどう考えますか?
日本人は手先も器用だし、化学の有機合成では、日本は世界でトップクラスです。そこから考えると、やっぱり低分子でしょう。今の課題は低分子化合物をつくる前の段階です。ターゲットを見つけて、同定して、それが本当に疾患とつながっているかどうかを確認するところが弱い。バイオロジストや、バイオケミストが手がける分野ですね。そこを拡充すれば、ものづくりの観点では、日本はまだ勝てると思います。
日本の研究者に不足しているのは「成功体験」
――欧米の大手から、創薬ベンチャーのペプチドリームに移られたのは、なぜだったんでしょうか。
薬の候補になる化合物を見つける優れた技術があったからです。私たち化学者は、必要な化合物の構造さえ分かれば、それをどうしていくかを考えることができる。ただ、今まではそれを見つけるのが難しかったんです。
いま、製薬会社は薬をつくるときにHTS(ハイスループット・スクリーニング)というシステムで標的にするたんぱく質につく低分子化合物を探します。例えば500万個ぐらいの中からバーッと探そうとすると、期間は1年、費用も1億円ちょっとかかります。しかも見つかる保証はないんです。
それに対してペプチドリームは、特定のたんぱく質につくペプチドを見つけるシステムを持っています。たんぱく質に多彩なペプチドを合成させる技術があり、その種類の数は、兆ではなくて、京のレベルです。それだけ多くのペプチドから、標的のたんぱく質にヒットするものを探すので、ほぼ見つかるんです。しかも手元のコストは0.5人で2カ月ぐらい、数百万円というレベルです。
そのペプチドが見つかり、構造が分かれば、そのままペプチドを最適化してペプチド薬にしてもいいですし、それでは難しいターゲットだったら低分子にしてもいい。だから薬の入り口を見つける技術は、たぶん世界でこの会社が一番持っていると思います。
――そして新薬をつくっていかれる。
新薬に絡みたいですし、絡めると思っています。
実際に薬を仕上げると何があるって、患者さんから手紙をもらえるんです。「もうダメだと言われた肺がんがなくなって、今は健常者と同じ生活をしています。研究者の顔は見えませんが、ありがとう」っていう手紙やハガキが会社に届くんです。
それをいくつも受け取った時のね、なんて言うか、感動するぐらいじゃない、もらえるパワーって言うかな。「やっててよかった」というのと「もっとやらんとダメだ」というのと。そういう成功体験というのは、すごく大事だと思います。日本の研究者に足りないのは、そこですね。うちの若い人たちには、そういう機会をどんどん持たせてあげたいと思っています。
ますや・けいいち 1998年、東京工業大院修了、理学博士。三菱化学(現・田辺三菱製薬)などを経て、2005年からノバルティスの本社研究部門で創薬研究に従事。画期的新薬の抗がん剤「ジカディア」などを送り出した。2012年には同社が最も優れた業績をあげた研究者に贈る「Novartis Leading Scientist」を受賞。2014年7月から現職。