1. HOME
  2. LifeStyle
  3. 決勝ゴール決め、学校初の全国大会切符 高校時代の夢はプロかトリマー

決勝ゴール決め、学校初の全国大会切符 高校時代の夢はプロかトリマー

アジアの渡り鳥
小学校時代、地元サッカーチームでプレーする筆者=本人提供
小学校時代、地元サッカーチームでプレーする筆者=本人提供

札幌で生まれ育った僕は、幼いときからスポーツが得意でした。小学校2年生のころは読売ジャイアンツの人気がとても高く、周りで野球をしている人が多かったため僕も野球を始めたのですが、すぐにピッチャーを任されたほどでした。

小3になると、大人気だった漫画「キャプテン翼」の影響でサッカーを始め、同時に近所のお兄さんのすすめもあってアイスホッケーも始め、一時は三つのスポーツを掛け持ちしていました。しかし、試合の日が重なることがあまりに増えたため、監督には何度も熱心に引き留めていただきましたが野球は辞めざるを得ませんでした。

伊藤壇6_2
小学校低学年時代はサッカーと野球、アイスホッケーを掛け持ちしていた=本人提供

とにかく負けず嫌いだった僕は、サッカーもアイスホッケーも一番になることを目指し、人一倍努力をしました。アイスホッケーでは、小6のときに札幌選抜の一員として全国優勝することができ、大きな目標を達成することができました。

ちょうどそのころ、サッカーでは、札幌が当時西ドイツのミュンヘンと姉妹都市の関係にあったためミュンヘンの選抜チームの子どもたちが札幌選抜との親善試合をしに札幌に来ました。僕の家でも2人の選手をホームスティに受け入れました。そのように北海道に住んでいながら外国人とも接する機会もあり、いまの物怖じしない性格につながっていると思います。

また、当時、12歳以下(U12)の日本代表候補の合宿などにも呼ばれてはいましたが、さらに国際交流を通して「世界にはまだまだ日本よりすごい選手がいる」と痛感しました。それを機に、「やるなら一番を狙う」というサッカーへの情熱にさらに火が付いたのです。

伊藤壇6_3
札幌を訪れたミュンヘンのサッカー選抜チームの子どもたちと=本人提供

小学校の頃にはまだJリーグが立ち上がっておらず、卒業文集には、「将来はサッカーで日産自動車に入りたい」と書いていました当時日本代表の中心選手で、日産自動車サッカー部で活躍していた木村和司さんや水沼貴史さんが僕の憧れでした。

それまでサッカーとアイスホッケーの二足のわらじを履いていましたが、高校進学を機に、サッカー一本に絞ることにしました。そのころ、高校サッカーの北海道代表といえば室蘭大谷高校でしたが、僕はサッカー特待生として登別大谷高校に進むことを選びました。3年計画で選手を集めていたことと、全国の強豪である室蘭大谷を破って優勝に導いた方がやりがいも達成感もあるだろうと感じたからです。

登別大谷高校は、地元・札幌から120キロも離れていましたが、都会の札幌では部活後に食事や映画に行ったり、彼女とデートをしたりと遊びの誘惑が多いと感じ、サッカーに集中したいと思って登別で寮生活を始めました。

1年生のときには試合に出られず悔しい思いをしていましたが、毎日朝練習を続けた結果、2年生になると試合に出られるようにはなりました。しかし室蘭大谷の壁は厚く、破ることができないまま高校3年の選手権北海道大会決勝を迎えました。相手はライバル室蘭大谷高校。そこで自身の決勝ゴールにより優勝をして、学校初の全国大会の切符を手にすることができました。

ちなみに登別大谷高校は2013年3月に室蘭大谷高校と統合され、「北海道大谷室蘭高校」となりました。プロになってからもオフシーズンには母校に顔を出し、後輩たちとともに汗を流していましたが、心のふるさととなる拠点を失くしたことはとても切ないことでした。

伊藤壇6_4
小学校時代、地元サッカーチームのチームメートだちと=本人提供

高校3年生の進路面談では、第一希望は当然「プロサッカー選手」でしたが、第二希望は犬が好きだったので「トリマー」と書いたのはここだけの話です(笑)。

高校3年生の夏の時点でJリーグからのオファーはなく、監督に「大学で体を鍛え、教員免許をとりなさい」と勧められ、進学することを決意しました。仙台大のセレクションには受験者が500人もいて難関でしたが5人の合格者の中に選ばれ、晴れて進学することとなりました。

大学では、入学当初から試合にでることができ、たくさんの全国試合を経験することができました。サッカー漬けの日々でしたが、社会経験のため様々なアルバイトもし、教員免許も無事取得して充実した4年間を過ごすことができました。

次回はJリーグに入団したものの短期間で去ることになり、そこから海外生活のスタートとなるシンガポールのチームに挑戦するまでを紹介します。

(構成 GLOBE編集部・中野渉)