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安田純平さん解放と「自己責任論」 日本人は紛争地取材に本当に否定的なのか

アフリカの地図を片手に 更新日: 公開日:
記者会見する安田純平さん
記者会見する安田純平さん=2018年11月、東京都千代田区の日本記者クラブ、仙波理撮影

■日本の市民社会はそんなに未熟か

シリアで武装勢力に拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが解放後に開いた記者会見により、激しい「安田さんバッシング」はひとまず沈静化したかに見える。

日本人フリージャーナリストが紛争地で身柄を拘束される度に、外務省の「忠告」を無視して紛争地に赴いたフリージャーナリストに対する批判が日本国内で噴出してきた。

これに対し、彼らに対する集中砲火的な批判の浴びせ方に異を唱え、「市民社会が成熟している欧米では考えられない」として、日本の市民社会の未熟さを嘆く論調が国内にある。

確かに、個人を基軸とする強固な自由主義の精神的伝統を持つ欧米社会に比べると、日本を含む東アジア社会では国家中心主義的な思考が強い。解放されたジャーナリストの人格面に焦点を当てた形のバッシングは、やめた方がよいと私は思う。

だが、日本の市民社会は、本当にそんなに未熟だろうか。欧米人と比べて、日本人はジャーナリズムの意義を理解していない国民なのだろうか。

日本の外務省は、世界の国・地域の危険度を4段階に分けて渡航情報を出している。紛争等で最も危険度が高いと見做した国・地域は「レベル4」に指定され、退避勧告が出される。

安田さんが拘束されたシリアは当然ながら「レベル4」である。外務省のホームページを見れば分かる通り、「レベル4」の国・地域が多いのは中東とアフリカである。

私は毎日新聞ヨハネスブルク特派員(駐南アフリカ)時代の2004年から2008年にかけて、最も高い危険度に指定されたアフリカの紛争地を相次いで取材して回った。

事実上の無政府状態にあり、アルカーイダ系武装組織が跳梁跋扈しているソマリア。武装勢力が群雄割拠し、民間人の虐殺が頻発しているコンゴ民主共和国東部。政府と反政府勢力の泥沼の内戦が続いていたスーダン西部ダルフール地方。治安秩序が完全崩壊していた中央アフリカ共和国北部───など。

どこも退避勧告地域であり、いつも薄氷を踏む思いの仕事であった。

■安全対策とっても問題は起きうる

毎回、考え得る限り最高水準の安全対策を講じたつもりだが、何が起きるか分からないのが紛争地である。安田さんのように拉致されることもあり得るし、地雷を踏んだり銃撃されることもあるだろう。

ダルフール紛争の取材では、反政府武装勢力に会うために、隣国チャドからスーダンへ密入国した。これが厳密には法律違反であることは言うまでもない。 

2007年、スーダン西部のダルフールで。ダルフール紛争では250万人が難民となり、国連は「史上最悪の人道危機」と呼んだ=大野良祐撮影

これらの取材成果については毎日新聞紙上で記事化したが、紙面では字数等の制約が多く、重要な問題にはほとんど言及できなかったため、帰国後の2009年に『ルポ資源大陸アフリカ暴力が結ぶ貧困と繁栄』(東洋経済新報社)という単著を記して世に問うた。

この本は幸い各方面から高い評価をいただき、2010年に日本ジャーナリスト会議賞を受賞し、2012年に朝日新聞出版から文庫化された。

今回、安田さんの解放を機に沸き起こった「安田さん批判派」と「安田さん擁護派」の論争を聞きながら、記しておきたいと思ったことがある。

それは、日本の世論はジャーナリストの紛争地入りに必ずしも否定的ではないのではないか、ということだ。

先に紹介させていただいた拙著は、ひと言でいえば、外務省の退避勧告を一切無視した取材の成果である。

だが、私はこれまで、大勢の読者から拙著に対する称賛や激励の声をいただいたことはあっても、外務省の退避勧告に反した紛争取材の成果を頭ごなしに否定されたことは一度もない(鈍感な私が気付いていないだけかもしれないが)。

Amazonの読者レビューをはじめ、各種のブログ、ツイッターなどインターネット上での拙著に対する評価を丹念に読んでいると、むしろ、日本人ジャーナリストの手による生々しい紛争報告を待望している世論の存在がうかがえ、勇気づけられることの方が圧倒的に多かった。

何より嬉しかったのは、大勢の外務省関係者から「立場上、大きな声では言えないが」と苦笑されながらも一人の市民としての拙著への高評価をいただいたことであった。 

安田純平氏が保護されていたトルコの入国管理施設=渡辺丘撮影

私のアフリカ紛争地巡りは、本社の命令によるものではなく、すべて自発的な取材であったから、仮に身柄を拘束されるような失敗を犯していれば、私も「自己責任論」に依拠した世論に激しく叩かれていたのかもしれない。

しかし、個人的体験に基づく推論に過ぎないと言われればそれまでだが、日本にも紛争報道の意義を理解する賢明な市民は膨大に存在していると、私は思う。

■日本に足りない、紛争取材のノウハウ蓄積

拙著の読者の声から感じたのは、欧米に比べた日本の市民社会の未熟さではない。

私が痛切に感じたのは、少なくとも1960年代のベトナム戦争時代には紛争取材に注力していた日本メディアが、その後必ずしも紛争取材に積極的だったわけではないことに対する市民の不満であり、そうした中で、私が大手新聞社の記者でありながら自発的に紛争取材を続けたことへの驚きの声であった。

むろん、イラク戦争であれアフリカ各地の内戦であれ、かなり危険な思いをしながら取材してきた大手メディアの記者は私の他にも多数いる。

しかし、それは決して大手メディアの「主流」ではない。何よりも、日本の大手メディアが高校スポーツや永田町の政界内輪話や芸能スキャンダルの取材に投入してきた莫大な人的・資金的エネルギーと比べれば、紛争取材に割いたエネルギーは不釣り合いなほど小さいだろう。

大手メディアの主流が経済的に厳しいフリージャーナリストに危険な紛争取材を事実上「丸投げ」し、紛争報道というジャンルの確立を怠ってきた歴史が、巡り巡って「安田さんバッシング」を助長する社会的土壌を生み出したと思うのだが、どうだろうか。

内戦で破壊されたシリア中部ホムスの街並みで2017年=杉本康弘撮影

このような状況ゆえに、残念ながら日本のジャーナリズム界には紛争取材のノウハウが体系的には蓄積されておらず、少数のジャーナリストの経験と勘に頼っている現状がある。

安田さんが解放後の記者会見で「私自身の行動に幾つかのミスがあったのは間違いない」と発言しているのを聞いて、過去に紛争取材に取り組んだ一人として「やはりそうか」と思うところがあった。

私は紛争取材を始めた最初、外国のベテラン記者の動きを見様見まねで取材していた。

しかし、「これではダメだ」と思っていたころ、ちょうど勤務先の毎日新聞社が、紛争取材の専門記者を養成するために、私を英国の訓練機関に派遣してくれた。

ロンドンの郊外に英海兵隊の退役兵士たちが運営する特殊な「学校」があり、合宿生活を送りながら応急手当を含む医療知識、銃器、爆弾、地雷などの兵器に関する知識、戦場での身のこなし方などなどを理論と実践の両面で徹底的に叩き込まれた。

目から鱗とは、まさにこのことだった。経験と勘を頼りにしていた自分の取材の底の浅さを思い知ると同時に、私にとって、紛争地は今までよりも「安全」な場所になった。

不慮の事故の確率は永遠にゼロにならないが、死傷や人質になる確率を下げるための新たな能力が備わった。

それでも犠牲になれば不運だったと思うしかないが、要は、この世に「絶対の安全」は存在しないという前提で、リスクを下げるために全力を尽くし、紛争報道の質を向上させていくことが肝要と思われる。

今回の安田さんの記者会見の後、元大阪市長の橋下徹さんが「今後は危険地域への取材のあり方、対策へ議論はシフト。特に大手メディアがフリージャーナリストの安全を確保するルール、情報を適正価格で買うルールの確立へ」などとインターネット上で発言していた。

日本のジャーナリズム界に紛争報道というジャンルを確立するためにも、私もこの発言の主旨に同感である。