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日本人に多い「1年留学」 どこまで英語が上達する?(後編)

バイリンガルの作り方~移民社会・豪州より~ 更新日: 公開日:
9月6日の伊藤さんの誕生日にお祝いしてくれたスコーン・グラマー・スクールの級友たちと記念撮影=伊藤さん提供

オーストラリアの高校に留学中の伊藤杏夏さん

「何もわからない」苦戦の留学生活

「1学期の間、授業の内容は全然、わかりませんでした」

伊藤杏夏さん(18)はため息交じりにこう答えた。1学期(豪州は1~12月の4学期制)が終わった後の4月中旬のことだ。

伊藤さんは、この連載で以前に紹介した、英語のネイティブスピーカーが多いシドニーの州立フォレストハイスクールで学んでいた。日本の留学あっせん業者に留学を希望すると、豪州の受け入れ団体を通じて、交換留学先としてフォレスト校を紹介された。愛知県の高校を2年次の途中で休学して、今年1月末に豪州にやってきた。

私費留学でオーストラリアの高校に留学中の伊藤杏夏さん=シドニー、小暮哲夫撮影

伊藤さんは、ふつうの留学生が州立の中高に入る前に学べる英語集中校(シドニーではIECという)に通うことなく、フォレスト校に入った。学年は、高校卒業試験に備えて、内容がぐっと高度になる11年(日本の高2)だった。

英語や数学、近現代史、科学、など各科目を選んだ。「社会と文化」という科目では、課題の中身が何かもわからないうえ、提出日がいつかも聞き取れなかった。当然、期限内に提出できなかったが、同じ授業を取っている子が、提出する課題をスマホで撮影させてくれたので、それをまねした内容を遅れて出したという。

日本の学校でも英語は得意とは言えなかったが、「英語が話せれば、夢も広がる」と留学を決めた伊藤さん。持ってきてもらった教材が入ったファイルの中には、授業で出た、わからない単語をびっしりと調べたルーズリーフの紙が何枚もあった。

伊藤さんが調べた単語のリストの一部。最初に通った高校の1学期のもの=シドニー、小暮哲夫撮影

授業以外でも英語を上達させる努力をしようと、学校の初日から、授業で隣の席になったネイティブの子に話しかけて、ランチをいっしょに食べる6人のグループに入れてもらった。みんなが話しているかはほとんどわからないけれど、頑張って毎日いっしょにいると言った。第2外国語で日本語を勉強している一人がときどき話の内容を簡単に説明してくれるのが頼りだった。2泊3日の学校のキャンプも、英語を使ういい機会になると思って参加した。

悪戦苦闘の日々だったが、ホームステイ先では少し前向きな変化が感じられるようになってきたと話してくれた。家では、なるべくマザーの長女(13)と話すようにしているのが、「最近、英語がよくなってきたよ、と言われました」。

ただ、取材の最後に英語で答えてもらうと、「どうして豪州に来ましたか」「英語で自己紹介を」といったそれほど難しくない質問にも、答えはたどたどしかった。「難しいのは発音。伝わらないことも多いし、相手の発音も自分が思っているのと違うようで、聞き取れない」

地方の町へ ステイ先変更が転機に

3学期後に2週間あるスクールホリデーが終わりに近づく10月中旬、伊藤さんに再び会った。明るい表情に留学生活の充実ぶりを感じる。話をうかがったカフェで注文する英語も、自然に聞こえる。

伊藤さんは、ホームステイ先を変え、転校していた。最初のステイ先は、親子げんかが絶えなかったことなどから、いづらくなり、5月の終わりのころ、留学受け入れ団体にステイ先を変えられないかと相談。7月下旬になって新しいステイ先が決まったという。

引っ越した先は、シドニーから北に280㌔ほど離れたスコーンという人口5600人ほどの田舎町だ。当然、転校することにもなった。小さな町だが、受け入れ団体の交換留学生を受け入れてくれるスコーン・グラマー・スクールという共学の私立校があった。幼稚園から12年生(日本の高3)までが通い、1学年に20人ほどしかいない。ステイ先から歩いて20分くらいだ。

最初のフォレスト高校では、11年生のクラスにいたが、授業の内容が難しく、課題も多かったため、ここでは10年生に入れてもらった。課題に追われる日々よりも、余裕を持って「友達と話したり、遊びにいったりする機会を持った方が、英語が話せるようになるのではないか」と思ったからだという。クラスで留学生は伊藤さんだけ。女子3人、男子1人との仲良しグループに入れてもらったが、小さなクラスなので、「みんなが知り合いで、グループ以外の同級生も話しかけてくれる」。アットホームな雰囲気のなか、9月6日の伊藤さんの18歳の誕生日には、同級生がケーキを作ってきてくれて、みんなでお祝いしてくれた。

伊藤さんの9月6日の誕生日のお祝いにスコーン・グラマー・スクールの級友が作ってきてくれたケーキ。第2外国語で日本語を学んでいる友達が「きょうか」とひらがなで=伊藤さん提供

オーストラリアに来る前に「3カ月くらいで英語が理解できるようになる」と言われていたという伊藤さんだが、「私は5、6カ月くらいたって、だんだんわかるようになってきた」と振り返る。ちょうど、今の学校に移る時期と重なるころだ。

親友もできた。その子の家は、スクールバスで学校から1時間の場所にある。金曜日の放課後、自分もスクールバスに乗せてもらい、週末に家に泊めてもらう。家の近くの大きな農場で過ごし、月曜日に戻ってくる。そんな週末を3学期の2カ月の間に2回、体験した。

現在通っているスコーン・グラマー・スクールで一番の親友と=伊藤さん提供

新しいステイ先はシングルマザーと9歳の男の子の家庭だ。帰宅したら、必ず学校の様子をマザーに話し、いっしょにテレビの映画を見たり、英語のレシピ本を見ながらいっしょに料理を作ったりして、なるべく個室にこもらないようにしている。

土曜日の午後にはマザーの勧めで、歩いて15分くらいの場所にあるキリスト教会の英会話教室に通う。ノンネイティブ向けの無料の教室で、先生とサポート役のおばあさん2人に、生徒は伊藤さんのほか中国人の家族など4、5人。子どもの本をみんなで読んだり、近くに山登りに行って、その次の回にそのとき撮った写真を見ながら会話をしたりと、和やかな雰囲気だという。

大都会のシドニーを離れ、ゆったりした地方で、ネイティブスピーカーに囲まれながら過ごす日々を重ねながら、「友達と少人数で話しているときなら、言っていることもかなりわかるし、こちらから話すこともできるようになった」と話した。日本にいるときから、友達の話の聞き役になってアドバイスをするのが得意で、「ここでも、友達が自分の彼氏の話をしてきたりして、聞いてあげることがありますよ。それから、週末にフェスティバルがあるかみんなで行こう、と話したりとか。田舎なのでフェスティバルといっても、食べ物が出て、動物のショーがあって、それで終わりなんですけど」。

苦手だと言っていた発音は? 「pardon? (もう一度言って)と聞き直されることが減りました」

英語でレポート 自力で

それでは、「全くわからなかった」という学校の授業は、どうなったのだろう。
「先生が、これをやりなさい、ということはわかるようになった。でも、それをやるにはどうしたらよいのか、ということは友達に聞きます。授業の後で先生に直接聞くこともあります」

学年をひとつ下げたけれど、教室での苦戦は続いているようだ。

たとえば、英語の授業は、2時間連続で時間が取られていて、1時間目に先生が音読する短編小説をメモする、2時間目は書き取った内容をまとめる、という構成だったという。先生が読んだ小説の一つは、ロアルド・ダールという英国の作家の短編ミステリー"Lamb to the Slaughter “ (『子羊の殺害』)。頑張って書き取ろうとしても、限界がある。1時間目が終わったところで、先生に小説のタイトルを聞く。学校には自分のパソコンを持参するので、すぐにネットで、原文に当たって2時間目に調べる。それで、「まとめよう、というところで、私は時間切れになってしまいます」。

もうひとつ、苦手なのは近現代史だ。3学期のテーマはベトナム戦争や、先住民のアボリジナルピープルの権利運動などだったが、「単語が難しくて」。好きなのは、「フードテク」という家庭科の料理にあたるような科目だ。料理の実技テストがあったが、「学校の購買で売れるもの」というテーマで各自が作るメニューを決め、その料理について調べてプレゼン資料にまとめることも求められた。

現在通っているスコーン・グラマー・スクールのフードテクの授業で級友と=伊藤さん提供

課題として提出した資料を見せてもらった。

近現代史では、フレッド・メイナードという豪州での先住民の権利運動の先駆者についてまとめていた。その一節は"Fred Maynard's vocal style f opposition has had a significant influence on successive generations of activists in NSW indigenous communities …. “(メイナードの抗議運動のスタイルはニューサウスウェールズ州の次世代の先住民社会の活動にかなりの影響を与えてきた)、といった具合だ。

フードテクの資料では、レシピを詳しく記述。“Peel the potatoes and cut about 2cm square each" “ Boil the potatoes until they are soft ;about 15 minutes and add the salt"

電子辞書や、ときには「グーグル翻訳」も頼りながらだが、資料は自力で作る。意識しないうちに、豪州の高校で学ぶ英語の力が身についてきているようだ。

伊藤さんがいま、通っている高校の3学期でつくった提出資料。フードテクの授業ではコロッケについて調べ(左)、近現代史では、豪州の先住民の運動家についてまとめた。

伊藤さんは、12月初めに帰国することが当初から決まっている。残された時間は1カ月半ほどだ。「残りの日々もオーストラリアの生活を楽しみたい。日本に帰ると英語を話す機会が減ると思うので、友達と遊びに行ったりして、英語をたくさん話したい。あと1カ月でもっと成長したい」

取材の終わりに、前回と同じように英語で質問に答えてもらった。

一番の思い出は何ですか? "That's a hard question, I love talking with my friends because I wanna improve my English speaking ability."

半年前と比べて明らかに自信を持って、日々、使っている英語を話している様子が伝わってきた。帰国後の将来の希望は決まっていないが、「せっかくだから英語を生かしたい。まず、東京オリンピックのボランティアはしたいです」

     ◇       

この連載では、これまで10回、中高生に焦点を当てて豪州で英語を学ぶ様子を紹介してきました。次回からは、各地の小学校を訪ねながら、「バイリンガルの作り方」を探ります。

(次回は10月31日に掲載します)