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何時間でも無料で英語レッスン オーストラリアはなぜ、外国出身者に手厚いのか

バイリンガルの作り方~移民社会・豪州より~
年齢も顔ぶれも多様な「レベル2」の教室。(前列左から)バディア・マターさんとサラ・マフグブさんは、それぞれレバノンとエジプト出身=小暮哲夫撮影
年齢も顔ぶれも多様な「レベル2」の教室。(前列左から)バディア・マターさんとサラ・マフグブさんは、それぞれレバノンとエジプト出身=小暮哲夫撮影

シドニー西部にある英語学校「ナビタス」のバンクスタウン校。教室には14人の生徒。若い世代から中高年までおり、アジア系や中東系まで様々な顔立ちをしている。

ホワイトボードには、働く人たちの絵が映し出されている。先生が床を掃除する男性の絵を示した。

先生「清掃人は何をしていますか」
生徒「床をきれいにしています」
先生「とくに、この作業をなんと言いますか?」
生徒「…………」
先生「mopですね。この道具もmopと言います。英語には行動を表す、ものの名前の両方の意味がある単語が多いですよ」

授業は、オーストラリア政府が委託する成人の移民向けの英語プログラム(AMEP)。四つあるレベルのうちで最も下のクラスだ。

4段階でレベルが最も下の「プレ1」の教室の様子=小暮哲夫撮影
4段階でレベルが最も下の「プレ1」の教室の様子=小暮哲夫撮影

私は2年前の2019年6月、この連載の取材で、同校を訪れていた。

AMEPはこれまで、移住後5年以内の人なら、「510時間まで無料」だった。かなり手厚いと思ったのが、当時の取材のきっかけだった。

今回、「時間無制限で無料」になったのを機に、改めて訪ねてみた。

豪州が英国系以外の移民や難民を多く受け入れるようになった第2次大戦後の1948年から始まり、70年以上の歴史を持つAMEP。豪州人と結婚して配偶者ビザを得た人なども対象になる。

最近は年5万~6万人が学んでいた。小中高校と同じく1学期が10週間の年4学期制。朝から昼過ぎまで授業は続き、週に20時間学ぶ。

隣の教室は、上から2番目の「レベル2」だ。ホワイトボードに映写されたイラストに合う「tion」で終わる名詞を当てるゲームから、授業が始まっていた。

医者が患者を診ている様子を先生が指している。

先生「医者がsurgery(手術)をしていますね。同じ意味のほかの単語は?」
生徒「operationです」
先生「surgeryという単語は、豪州ではクリニック、という意味でも使いますよ」
生徒「surgery は軍や警察の仕事でも使わないのですか。operationは使うでしょ」
先生「あ、それは違う意味のoperation(作戦、捜索)ですね」

「レベル2」の教材。「tion」で終わる名詞を当てる内容は授業のウォーミングアップのような感じだった=小暮哲夫撮影
「レベル2」の教材。「tion」で終わる名詞を当てる内容は授業のウォーミングアップのような感じだった=小暮哲夫撮影

当たり前だが、前の教室よりも、内容も生徒たちの英語のレベルも高い。

前日は、豪州にやってきた30代の女性が、大学で学び、就職の機会を目指して努力する、という内容の文章を読んで、母国の状況との違いを考えながら、ディスカッションしたという。

以前の記事でも紹介したが、授業の中では電車のプリペードカードの入手や病院の予約の仕方、携帯電話の請求書の読み方、といった内容を盛り込んだりする。

豪州にやってきたばかりの英語が母語でない人たちにとって、こんな日々の生活で直面することを、英語でこなすこと自体が、大変なことだからだ。

510時間でもたっぷりのように思えたのだが、違うのだろうか。

政府は今回の制度変更の方針を発表した昨年8月、これまでのプログラムで「実践的な英語力を身につけた人は21%にとどまっている」と説明していた。

1学期で200時間、の計算だから、4学期制で2学期半、半年あまりで終わる計算だ。これまでも、個人の事情に応じて、さらに最大で490時間、学ぶことはできたのが、それでも5学期分。1年と少し、になる。

同校の担当者、アーロン・コールフィールドさんが言う。

「母国で高等教育を受けていた人や、母語が英語に近い欧州言語が母語の人の場合、510時間で十分とも言える。でも、これまで学校へ通ったことさえない紛争地から来た難民たちや、母語が英語と全く違う言語の人の場合は、もっと時間が必要な面がありました。日本語もそうですよね」

英語学校「ナビタス」の担当者、アーロン・コールフィールドさん(左)とスティーブン・アンドレスさん。2年前の訪問時と同じように親切に対応してくれた=小暮哲夫撮影
英語学校「ナビタス」の担当者、アーロン・コールフィールドさん(左)とスティーブン・アンドレスさん。2年前の訪問時と同じように親切に対応してくれた=小暮哲夫撮影

吸収力の速い中高生でも、大学レベルの英語をネイティブ並に使いこなす「真のバイリンガル」になるには、7年くらいかかる、という研究結果を、豪州の専門家から聞いたことがある。

大人になってから、半年あまりで、というのは、確かに限界はあるようだ。

レベル2で学ぶエジプト出身のサラ・マフグブさん(31)は母国のエジプトで豪州人の男性と結婚。2年半前に豪州に来た。幼稚園に通う4歳の息子と、2歳の息子がいる。

昨年から通い始め、すでに510時間を学んだ。「ぜんそく持ちの息子の医者や幼稚園の先生と話ができるようになった。1年前はできなかった」と満足そうだが、「まだ足りない」と言う。

マフグブさんは昨年、AMEPで従来からあった、510時間とは別の200時間の無料の就職訓練コースも取った。

このコースでは、そのうち40時間を使って実際の職場で働く体験もする。ショッピングモールの小売現場で実際に働いたという。「とてもよい経験になった。接客業で働きたい」

上から2番目の「レベル2」の教室。サラ・マフグブさん(左)はエジプト出身=小暮哲夫撮影
上から2番目の「レベル2」の教室。サラ・マフグブさん(左)はエジプト出身=小暮哲夫撮影

同校では、このコースで今年、託児の仕事や、会社の事務職の経験するプログラムを開講する予定だ。

今回、もうひとつ大きく変わったことがある。政府が変更内容を法案にまとめた昨年10月以前に移住してきた人の場合、「移住から5年以内」というルールは適用されなくなった。これまでだったら、「期限切れ」で対象外になっていた人に、学び直しの機会を設けた。

レベル2で学ぶ生徒たちの中にも、この恩恵を受けた人たちがいた。

ベトナム出身のトゥイ・グエン・ティさん(36)は豪州在住12年。来た当初、英語学校に通ったが、挫折していた。豪州人の男性と結婚したが、「夫は仕事で忙しくて、英語の上達を助けてもらえない」状況だったという。

これまで、テレビで見る英語はわかるが、話すのが苦手だった。「ここで学んで、自信がついてきた」。ベトナムでは経理の仕事をしていたと言い、「ここで英語を上達させた後には、職業カレッジか大学に進んで、将来は会計の仕事を得たい」と話した。

バディア・マターさん(40)はレバノン出身。12年に豪州に来て難民申請をした。その資格審査を待つ間に、レバノン系の豪州人と出会い、結婚。配偶者ビザを得て、その後、永住資格を取った。

母国では、小中学校の教師でとくに数学が専門だった。「英語を読んで理解できるけれど、話すのは難しい。頭の中で考えないと言葉が出てこない感じで」。AMEPでは、託児所も用意しているので、3歳の息子を預けて勉強できる。

マターさんも英語力を向上させた後は、大学に進んで、豪州でも教師になる希望を持っている。

授業の合間に廊下のソファーで休憩中のレバノン出身のバティア・マターさん(中央)とエジプト出身のサラ・マフグブさん(右)=小暮哲夫撮影
授業の合間に廊下のソファーで休憩中のレバノン出身のバティア・マターさん(中央)とエジプト出身のサラ・マフグブさん(右)=小暮哲夫撮影

政府は、AMEPで養成したい実践的な英語力を、「仕事で使える英語力」とも言い換えている。これまでは、AMEPで教えるのは、国際英語テストのIELTSのスコアが「4.5」と同じレベルまで、としていたが、今回、IELTS「5.5」に上げた。

5.5は、豪州では、現地の11年生(日本の高校2年生)や職業カレッジにも留学できるレベルだ。

2人のように、その後に専門資格を取ったりして就職につなげたい人がいても、高等教育機関に入学できるレベルには引き上げる、ということだ。

ここに、政府が英語学習に力を入れる理由が端的に示されている。移民たちが、ますます豪州経済を支える大切な存在になっているのだ。

1954年に900万弱だった人口は2500万人を超えた。その3割が外国生まれ。コロナ禍で昨年、外国人の入国や移民を止める前までの10年ほどは毎年、20万人前後の移民を受け入れて、人口増の6割を占めていた。

政府の18年の報告書は、移民の受け入れが20年から50年までに毎年、GDP(国内総生産)の成長率で0.5~1ポイント貢献するとした。コロナ前の成長率は年2~3%だったから、決して小さくない。

40代以下の若い世代が多い移民たちは、高齢化する社会に活力を与え、納税者としても期待される。政府はAMEPに今後4年間で10億豪ドル(約840億円)を当てる。

もうひとつ、政府はsocial cohesion(豪社会との結びつき)を強めるため、とも説明する。

英語を身につければ、出身国や母語が同じ人々が集まるコミュニティの外に出て、活動に幅を広げられる。それが社会の一員として認められているという意識もはぐくむ。

政府はそこまで言っていないが、疎外感を強めて過激な思想にのめり込む、といったことも防げるかもしれない。

校内の廊下には、ベビーカーが並んでいる。マターさんのように、託児を頼む人たちが子どもたちを乗せてきたものだ。その光景が、何だか、ほっこりとした雰囲気を醸し出す。

そこに大きく貢献しているのは、AMEPで各校に配置される「進路アドバイザー」の存在だ。

受講開始時のほか、200時間学ぶごとに個別に面接をして、英語の学ぶうえでの課題や、今後の希望などを聞く。さらに、個人的な生活面での「困りごと」の相談は随時受け付け、内容に応じて、関係する支援団体にもつなぐ。

同校のアドバイザーはミシュリン・ナクリさんだ。「1日中、ずっと生徒のだれかの話をしていることもあります」

アドバイザーでもあり、相談相手、にもなっているんですね? と尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「そうですね。生徒たちは私といると気が楽になるようです。私も彼らの気持ちがわかります。私自身も移民だからです。20年以上前ですけど、レバノンから配偶者ビザで来ました。私もここの学校が、豪州での生活のスタートだったんです」

新天地で不安を抱える人たちを包んでくれるような人柄が、柔和な表情からにじみ出ている。

ベトナム出身のトゥイ・グエン・ティさん(右)と進路相談員のミシュリン・ナクリさん=小暮哲夫撮影
ベトナム出身のトゥイ・グエン・ティさん(右)と進路相談員のミシュリン・ナクリさん=小暮哲夫撮影

コロナ禍で、プログラムに影響はなかったのだろうか。

昨年3月末、豪州でも新型コロナウイルスの感染が広がり、ロックダウンとも言える外出規制が敷かれた。教室での授業も中断せざるを得なくなり、オンラインでの授業に切り替えたという。

4月に2、3週間かけて生徒たちにオンライン授業のシステムに慣れてもらい、9月に教室での授業が復活するまで続けた。

でも、豪州に来て日が浅く、生活基盤も乏しい人たちには、パソコンがない人もいた。そんな生徒たちにはパソコンを貸し出したという。

とくに3月からの数カ月は、コロナの感染状況などの情報が日々、更新された。政府が発信する規制も、屋内や屋外で集まれる人数から、利用できる店舗やサービスの種類まで、詳細に及び、かつ、頻繁に変更された。

移民社会だけあって、基本的な情報は、多くの言語で翻訳されることが多い。それでも、タイムラグがあり、英語よりも詳しくないこともある。

そこで、オンライン授業の中で、講師がコロナの最新情報を随時、提供した。

授業以外の時間に、移民・難民の支援団体や保健当局、様々な規制に関わる警察ともにつないで、質問を受け付ける時間も設けた。

「ロックダウン下でも生徒たちの支援を続けていくことが大切でした。母国の家族と離れて豪州に来て、コロナ禍で何が起きているのか十分理解できずに怖がっていました。ここは新しい家で、移住支援のネットワークにつなぐ場でした。彼らは私たちを必要としていたんです」(コールフィールドさん)

英語の上達とともに、社会への定着を後押しする。AMEPのもう一つの柱が、コロナ禍という非常時でも生かされていた。