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オーストラリアの名門FCコーチへの道 英語でも重ねた「実戦」

バイリンガルの作り方~移民社会・豪州より~ 更新日: 公開日:
オーストラリアの名門クラブ、シドニーFCのアカデミー(ユースチーム)コーチとして活躍する伊藤瑞希さん=小暮哲夫撮影

シドニー北部、日没に近づく芝生のグラウンドに少年たちが集まってくる。

オーストラリアのプロサッカー1部Aリーグで最多タイの3度 の年間総合優勝を誇り、三浦知良選手も在籍した名門、シドニーFCの「アカデミー」(ユースチーム=13~18歳)のトレーニングが始まった。よく通る声でゴールキーパー (GK) たちを指導するコーチが、日本人の伊藤瑞希(みずき)さん(31)だ。

GKたちの練習はまず、基本的な動きの確認から。たとえば、寝た状態で体の向きを左右に入れ替えた後、起き上がる動きだ。
Turn your body and get up , move forward!When you turn your body, do not turn your legs around but let your legs forward!” (体の向きを入れ替えて起き上がって前に出て。向きを入れ替えるときには脚を前に出して)

ゴール代わりに立てたポールにシュートを撃ち合って取る練習もする。
“Kick harder between the poles .”(強くポールの間に蹴って)
“Kick harder and harder, any height, any height!”(どんな高さでもいいからもっと強く蹴って)

伊藤さんは、試合形式の練習に移る前に短く講評をした。

シドニーFCアカデミーの練習の合間に選手たちのプレーを講評する伊藤瑞希さん=シドニー、小暮哲夫撮影

“Today’s performance of your guys did not meet the quality of Sydney FC Academy”
(きょうの動きはシドニーFCのアカデミーのレベルに達していないよ)

厳しい言葉に少年たちは真剣な表情で聴き入った。

体の動きも交えて、きびきびと英語で指導する伊藤さんだが、オーストラリアにやってきた3年前を振り返って言う。「およそ海外で仕事をするのとは無縁のような英語力だった」

接客のレストランで「注文とれない」

ワーキングホリデービザで伊藤さんがシドニーにきたのは、2016年4月。筑波大学大学院の修士課程で体育学を専攻。主にサッカーのコーチングとスポーツ心理学を研究した後、Jリーグの外国指導者をサポートする仕事に就く話があったが、かなわなかった。そこで、外国で指導者の道を探ろうと考えた。

大学、大学院時代に研究のかたわら、日本サッカー協会のコーチライセンスを取得。13~14年の2年間は大学院を休学して、Jリーグのアルビレックス新潟傘下のアルビレックス新潟シンガポールのコーチとして働いた経験もあった。ビザの関係で渡航しやすいオーストラリアを選んだが、「何とかなるだろう」と、たかをくくっていた。

大学院を休学して務めたアルビレックス新潟シンガポールのコーチ時代の伊藤瑞希さん(右奥の手を挙げている人物)=2014年、伊藤瑞希さん提供

さっそく一泊35豪ドル(約2600円)ほどのシドニー中心部のユースホステルに泊まりながら、ネットで見つけたサッカークラブのコーチやスポーツジムのインストラクター、スポーツ専門店の店員まで、初めて作った英文の履歴書を100通くらい電子メールで送った。だが、全く反応がない。手持ちの金は10万円ほど。ホステルに泊まっていた10日間ほどの間に「このままでは生きていけない」と、ランチタイムに日本食レストランで働き始めた。シンガポールにいたときは日本選手が多く、指導は日本語だったものの、シンガポール人の女性と付き合っていた時期が半年ほどあった。彼女とやりとりした経験から、多少なりとも英語は使えると思っていた。

だが、いざ、シドニーの中心部にある店で接客を始めると、厳しい現実が待っていた。複数の客から注文を受け付けると全部、聞き取れない、「グルテンフリーで」とか「アレルギーがあるので」といった個別の要望を言われると、なおさらわからない。注文を厨房に持っていくと、「そんなメニューないよ」と怒られ、料理を客に出すと、「注文したのと違う」と苦情を言われたこともあった。きつくてたまらなかったが、仕事をやめる選択肢はなかった。「仕事やめる、イコール生活ができない、ですから」

ジャージ姿で面接へ 狙いは……

一方で、夕方から夜の時間は、求人情報を集め、サッカーの指導者の道を探る努力を続けた。つてをたどって、シドニーFCのアカデミーの練習にも出かけ、勝手にボランティアで手伝いも始めた。2カ月ほどたった16年6月ごろ、コーチを探していたシドニー大学が運営する少年サッカーチームから、「面接に来ないか」と連絡があった。

面接、と言われたが、練習に参加できる格好で行った。「面接で話しても自分の英語力はたかがしれている。自分のコーチとしての力を見せた方がいい」。現場に到着後、すぐにその日の練習の準備を手伝い、子どもたちの指導もしてみせようと試みた。

オーストラリアに来て初めてのコーチの仕事となったシドニー大の少年サッカーチームのコーチング陣と=2016年9月、伊藤瑞希さん提供

でも、難しい英語は使えない。簡単な英語を並べていった。
Control the ball, 45 degree. Turn right or left, depend on the pressure”
相手のプレッシャーに応じてボールをコントロールする向きを「45度ずらして」「右に左に変えて」という意味だ。

子どもたちから抽象的な答えが返ってくれば、こちらがわからない。だから、イエス、ノーで答えられるような質問をぶつけた。

たとえば、“If you are under pressure, should we control the ball in front of your position ? “(相手がプレッシャーをかけてくるときに、ボールを自分の前にコントロールするのはいいことかな)

子どもたちから“ No !” という答えが返ってきた。そんな体勢でボールを持っていたら取られてしまうから。

How about is your positioning before receiving the ball?(じゃあ、ボールを受けるときにどこにポジションを取ったらいい?)

少年たちの動きが正しいければ、“That’s it! Great! ”(そうだ、すごいね)とほめたり、ハイタッチをしてあげたり。「当時はかなりたどたどしい英語だったと思いますけど。やっていることはいまも基本的には同じです」。そんな様子を見たチームはその日に採用を決めた。週2回の夕方のパート勤務だった。でも、豪州では通常、サッカーのシーズンが終わるのは9月。せっかくつかんだコーチの仕事も、そこで終了してしまった。

さあ、どうしよう。振り出しに戻ったかに見えたが、それから1カ月後、シドニーFCから、アカデミーのGKコーチとして採用すると声がかかった。ボランティアでの練習参加の様子から実力を評価してもらえたようだった。16年11月からの年間契約だった。

コーチに採用 学生ビザに切り替えた訳

契約期間中に原則1年間のワーホリビザが切れることになるため、ここで学生ビザに切り替えた。豪州では、学生ビザを持っていれば、授業がある間は週20時間まで、授業がない時期はフルタイムで働ける。コーチの仕事は週3日の夕方が中心。学校に通いながら、働く時間はあった。

選んだのは、シドニー中心部にあるCollege of Sports and Fitness というスポーツ専門カレッジだ。まず、スポーツ経営の学位の1年コースを取った。日本の大学や大学院で学んだスポーツ科学ではなく、経営やマーケティングにかかわる内容は畑違いで、何を言っているのかほとんどわからなかった。だが、授業での発表も、課題の提出も、学位を取るためには欠かせない。インターネットで調べて、それでもわからなければ講師に質問して、を繰り返した。

シドニーFCでの実績を重ねるなかで、18年からはクラブと提携する州立高校のサッカープログラムで教えるサッカーのコーチとしても働き始めた。サッカー指導者としての仕事が増え、この年の後半からは、日本食レストランで働く必要はなくなった。

現在、カレッジで学んでいるのはスポーツのコーチングの学位が取れるコースだ。コーチをするうえで必要なスポーツ科学の講義もあれば、スポーツ団体の経営側の観点から、人材発掘のプログラムの作成、「顧客」となる選手や保護者のニーズの分析、苦情に対するリスクマネジメント、など内容は幅広い。

伊藤さんの英語力も「授業の要点はわかる。日本語で受けてもその内容を100%理解しているわけではないのと同じ」というまでに向上した。

そして、来年からは、学生ビザではなく、フルタイムのコーチとしての就労ビザで滞在するための準備を進めている。

「コミュニケーション能力≠言語能力」

サッカーの指導者を目指して進んできた伊藤さんは、10歳のときに始めたサッカーではGK一筋で、地元の埼玉県志木市では知られた有力選手だった。だが、中学時代、勉強に集中させたかった母が、所属しているクラブへの参加費の支払いをストップ。クラブをやめざるを得なくなり、通っていた中学校のサッカー部に入ることになった。ちょうど反抗期。「母は、部活動の方が、練習量が減って勉強すると思ったようだが、私は逆境になると反対にスイッチが入る方。だから、もっと練習するようになった」

中2の終わりころに入ったサッカー部は、市内の4校で最下位の弱体チームだったが、「自分がキャプテンをやる」と勝手に宣言。半年後の夏の大会で市大会で優勝、県大会でも優勝校と接戦を演じるまでに引き上げた。「自分が考えた練習メニューでみんながうまくなって強くなって、という成長する過程を見るのがすごく楽しかった」。そのときの体験が指導者を志す原点になった。

シドニーFCの仕事では、コーチ同士のミーティングや、電子メールや通信アプリ、Slackと呼ばれる連絡ツールなどを使った様々な情報共有を、英語でこなさなければならない。パソコンやスマホには、そんなやりとりがぎっしりと詰め込まれている。

「ミーティングでも、その日の特定の練習メニューなど、ここは、という瞬間を逃さないようにする。電話でのやりとりはいまも難しい。でも、相手が面倒くさがっても聞き直す。メールで要点だけ送って確認することもある。それでも、聞き直す量は最初のころに比べてかなり減りました」

シドニーFCのアカデミーコーチ陣とその日の練習内容について打ち合わせをする伊藤瑞希さん(右から2人目)=小暮哲夫撮影

指導するGKごとにプレーのデータを作成。映像も収める。選手たちがうまくなるには、ボールを使った実践が重要なのはもちろんだが、練習の前後に個別に呼んで、まとめたデータや映像を見せながら、課題を伝えることも重視している。

「自分が言葉の面でハンディキャップがあるのは疑いのない事実。それを上達しなければならないのは当然ですが、だからこそ、ほかに伝え方はないかと考える。コミュニケーション能力と言語能力は違うと思っているので」

少年たちには、勉強や学校行事とのバランスを取るように話している。豪州は家族と過ごす時間をとくに大切する社会なので、試合のない週末はサッカーから離れるようにも促す。

豪州のコーチライセンスも英語で

ユースチームを教えられる豪州サッカー協会のGKコーチの上位ライセンスも今年、取得した。取得に必要なコースで提出を求められたのは、様々な場面を想定した指導メニューだ。伊藤さんが提出した資料には、たとえば、こんなサッカー特有の状況が英語で表現されている。

I maintain the quality of aggressive pressing to the ball for defending team as well with high defensive lines. As a result, it creates many though balls into the space beyond and over defenders and GK has to decide whether or not he deals with thorough balls”
(コーチとしての私は、防御側のチームには、高いディフェンスラインを保ち、ディフェンダーを越えたボールがキーパーの間にくるように指示し続けて、キーパーがボールへの判断を迫られる場面をつくる)

豪州サッカー協会主催のゴールキーパーの専門コーチライセンスの講習に参加した伊藤瑞希さん(右から3人目)=2018年、伊藤瑞希さん提供

昨年と今年は、アカデミーの選手たちの日本遠征を提案し、実現させてもいる。今年は7月末から半月ほど、富山、広島両県に滞在し、地元チームやほかの国のチームと対戦する。この企画書も英語で作った。

英語学校にはほとんど通ったことはない。高校時代も、都内の強豪校、東海大菅生高でサッカーに明け暮れる毎日で、受験科目としての英語ですら、ほとんど勉強していなかった。

でも、指導する現場で「実践で言ってみる。相手は子どもなのでわからないときはわからない顔をするから」。加えて、クラブ内でのやりとりやカレッジでの学ぶ機会という「英語が必要に迫られる環境」で、やりとりし、資料を作ったりすることを積み重ねることで、自然と英語力が上達してきたと語る。

しばらくは、豪州で仕事を続けようと思っている。指導した選手のなかには17歳以下の豪州代表に選ばれた選手もいる。「いま、ここで練習しているのは、ほとんど自分が連れてきた選手。新しい子が途切れずに入ってくるので、切れ目がない。離れるのは簡単ではありません」