夏休みが終わった後、ポコは1カ月で体重を2キロ増やして日本からベトナムに戻った。夏の間に背が伸び、何を言っても「今やろうとしたの!」と口答えするようになり、いつの間にかすっかり少年っぽくなった。8月半ばから学校が再開すると元気に登校した。
そんな折、おとっつあんが所用で数日ほど日本に帰ることになった。おかあさんにも晩ご飯が上手に作れるところを久しぶりにポコに見せてやろう、数日だしね、と考えていたところ、台風22号が日本を直撃。多くの被害が出る中、関西空港が閉鎖され、おとっつあんは予定していた便でハノイに帰れなくなってしまった。「せっかく日本にいるのだし、焦らず戻ればいいよ」と伝えたものの、さてどうするか。というのもその週末、私はカンボジアに出張の予定があったからだ。プノンペンで活躍する日本人シェフが総料理長を務めるフランス料理店にお邪魔し、写真撮影をさせてもらう予定だった。前日の土曜日にはプノンペンで参加してみたい講演会もあった。
東京にいるころは毎日のようにやっていた「仕事と子育てのやりくり」の計算を、頭の中でぱちぱちとする。隣国の首都だというのに、ハノイープノンペン間の直行便はほとんどなく、ベトナム南部ホーチミンやラオスのビエンチャン、カンボジア北西部シエムレアプを経由して、片道3~6時間かかる。写真撮影を終えてもその日のうちにはハノイに帰れない。同じサービスアパートに住む中国出身の友人宅に、ポコをお泊まりさせてもらえるか頼んでみようか。いや、でも彼女も最近仕事がとても忙しそうだし。助手のビンさんに頼むか……うーむ。おとっつあんが家にいて、ポコの面倒をみてくれる暮らしに頼りきっていたけれど、久しぶりのピンチだ。
ちょうどその週末はベトナムではめずらしい3連休で、ポコの学校は土曜日から月曜日まで休みだった。撮影予定のシェフと講演会の主催者にメールを送った。「6歳の子どもを連れていってもかまわないでしょうか。なんとかおとなしくさせるよう努めます……」。するとほどなく、ありがたいことに、快く許してくださる返事がきた。よし、子連れ出張の決行だ。
金曜日、ポコの学校が終わる午後3時過ぎに迎えに行き、ハノイの空港に直行する。今回は飛行機でハノイから約2時間のホーチミンを経由する。ホーチミンからプノンペンの飛行時間は約50分。プノンペンの空港からトゥクトゥクでホテルに着いたころには深夜0時をまわっていた。
朝7時過ぎにポコを起こし、朝食を食べて、午前8時に同じホテルの講演会場へ。第一部は、個人的にとてもお話しを聞いてみたかった元NHKアナウンサー有働由美子さんの講演会。キャスターとしてどんな仕事をしたいのか、イノッチにはどう退社を伝えたのか、ざっくばらんに話す内容がとても面白い。続いて、和歌山県太地町を舞台に捕鯨論争を追ったドキュメンタリー映画「おクジラさま ふたつの正義の物語」の上映と、佐々木芽生監督のトークショーがあった。興味深い内容だ。
ポコには「テレビに出ているお姉さんに会えるよ」「くじらの映画が見られるよ」と話してあった。有働さんの講演中、ポコは頑張っておとなしくしてくれた。だが第二部。前に出て私が佐々木監督の写真を撮っていたとき、ふとカメラから顔を上げると、いつの間にかポコが演者が座る舞台にちんと座っている。「そこだめー」と連れ戻す。別の角度から撮ろうと前に出ると、またついてくる。聴衆のみなさんは、「あのカメラを持った親子とみられる二人は何をしているのか?」と思ったことだろう。
ポコはすでに観客席の机に置いてあった水をがぶ飲みし、メントスを全部食べ、メモ用紙にお絵かきをし終えた。その後、机の下にもぐって私の携帯で動画を見ている。さて佐々木監督に質問できないかな、と思ったところでポコは机の下から顔を出して言った。「うんち」
今はやめてと親が思う時に、うんちしたくなるセンサーが子どもの体にはついている。「ひとりで行ってこい!」と言ったけれど、プノンペンの初めて来たホテルでそりゃないよ、と思い直す。ポコの手をとり急いで会場を出ようと焦るあまり、二つある出入り口のうち、締め切られていたドアを突き破って外に出てしまい大きな音がする。トイレへ走る。
まあそれでも、4時間も比較的おとなしくしてくれていたのには助かった。講演会後、ホテルの部屋に戻って私が原稿を書く間、ポコはアニメを見ながらいつの間にか寝てしまった。体重23キロをおんぶしてロビーに降りてチェックアウトし、今晩泊まる別の宿にトゥクトゥクで移動。晩ご飯はポコのリクエストでピザを食べに行った。
日曜日は、写真撮影まで時間があったので、郊外に新しくできた動物園「プノンペンサファリ」を訪ねた。入り口のゲートには、ガオーとばかりにライオンや象の模型が堂々と置かれている。だが中に入ってみるとライオンも象もいなかった。施設内では、時間ごとにトラやワニ、鳥、豚などのショーがある。鶏肉をぶら下げた釣りざおを池に垂らし、ワニにえさもやれる。こんな動物園ができたのもプノンペンの人たちが豊かになった象徴だろう。たくさんの子ども連れやカップルが来ていた。
その日の夜、写真撮影のため高級フレンチレストラン「ラ・レジデンス」の厨房(ちゅうぼう)に入れていただくことになっていた。シェフの加茂健さんのご配慮で、同行のポコはガラス窓で仕切られた事務室で待たせてもらうことになった。ポコが飛び出してきて調理の邪魔にならないよう、はらはらしながら写真を撮る。「おかあさんおしっこ」が一回入ったものの、無事に撮影は終了した。せっかくの機会なので、レストランで素晴らしい夕食をいただいた。ポコよ、頼むから水の入ったワイングラスを割らないでね、と祈りながらのぜいたくでおいしいディナー。加茂さんは撮影時に作った前菜をサービスで出してくださった。オレンジジュースのポコと乾杯した。
週末のゆったりした日程だったこともあり、子連れ出張はなんとか終わった。家族3人で、どんな暮らし方や働き方をすると一番しっくりくるか、いろいろ試してみたい気持ちが強まった。新聞社の特派員の仕事は、パートナーが「主夫」や「主婦」でないと務まらないものだろうか。ベトナムではお手伝いさんやシッターさんも日本よりずっと雇いやすい。外部の人の手をもっと借りて、家庭と仕事を回してみたい。おとっつあんに頼り切らなくても、この仕事を続けるにはどんな手段をとるといいか。試行錯誤は続きそうだ。