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中東に生まれた「新しい地図」はこう読む 専門家の視点は

World Now 更新日: 公開日:
レバノン南部スールの街の入り口に、イランの最高指導者ハメネイ師の肖像画が掲げられていた=村山祐介撮影

「シーア派の復活」バリ・ナスルインタビュー シリアの長い内戦、「イスラム国」(IS)の盛衰という激動を経た中東。その間にイランが存在感を高め、敵同士だったはずのイスラエルとサウジアラビアが、イラン封じ込めという共通利益のために接近する。中東に生まれた「新しい地図」は何を意味するのか。2006年に著書「シーア派の復活」を刊行し、米国をはじめ世界の政策決定者らに大きな影響を与えてきたジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院院長、バリ・ナスル(57)に聞いた。(聞き手・村山祐介)

バリ・ナスル 1960年生まれ。米マサチューセッツ工科大学(MIT)で博士号を取得し、米タフツ大フレッチャー法律外交大学院で国際政治学教授などを歴任。2009年から11年までは、アフガニスタン・パキスタン担当の米政府特別代表の特別顧問も務めた。米ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストだったほか、メディアへの寄稿も多数。

問題はイランの膨張ではなく、アラブ世界の崩壊

2003年に米国の介入でイラクのフセイン政権が倒れ、2011年に「アラブの春」でシリアが内戦になりました。さらにイエメン、エジプト、リビアも崩壊したことで、イランやトルコといった地域大国の影響力が高まりました。政府の崩壊による真空状態が大国を引き寄せたわけです。イランの膨張が問題視されていますが、本質的な問題はアラブ世界の崩壊です。支配的だったスンニ派の優位は崩れ、シーア派がはるかに重要な存在になったことでイランの影響力が著しく高まりました。

イランが計画的だったとは思いません。シリア内戦ではすべてを失う危険があり、イラクも過激派組織「イスラム国」(IS)に広域を占領されました。当初の状況は(勢力拡大の)機会ではなく、脅威でした。

ダマスカスなどの聖地に強い思い入れがあるイラン人にとっては政治問題であるとともに、イランの安全保障と国益を高めるために戦略的に重要な国々です。そうしてスンニ派の攻撃を防ぐために介入した結果、「勝ち組」に見えるようになったわけです。

2006年に刊行されたバリ・ナスルの著書「シーア派の復活」

20年前、米国では中東におけるシーア派の存在すら知られていませんでした。フセイン政権が倒れた2003年以降、イラクで多数派を占めるシーア派が自己主張を始め、イランと関係を築きました。シーア派は、我々はここにいるんだ、と訴えているのです。

イランは、地域に関与することで国益を高めたり、守ったりしている地域の一員です。トルコやサウジアラビアがシリアに関与していますが、それは「外国による介入」とは言われず、イランだけが問題視されています。問題の立て方によるものです。「シーア派の三日月」といった言葉は、イランに敵対するスンニ派によってつくられました。ときに言葉は私たちの見方を形作ります。ある種の広報戦略なわけです。

しかし、大国の外交は宗派という単一の次元で行われるものではなく、多面的なものです。貿易が国益にかなうなら促進するでしょうし、宗教や文化の近さが有益であれば、活用するでしょう。イランにとって、イラクやレバノンのシーア派とのつながりは国益にかないますが、対サウジで同じ立場にあるスンニ派のカタールとの関係もまた有益なのです。

イランは内から変わる

世界は、大国が勢力争いを繰り広げる時代に戻りつつあります。地域大国イランのシリアでの振る舞いは、ロシアのウクライナ、中国の南シナ海と似ており、力学も変わりません。中国の膨張に反対する日本や豪州が米国を取り込もうとしたように、イランの大国化に対抗してサウジやイスラエルが動きました。

イランは北朝鮮とは違い、周辺国と外交関係を持ち、経済と社会ははるかに洗練されて開放的です。ただ、鄧小平時代の中国のように、イランもいつかは変わるでしょう。問題は、いつ、どのようになのか、です。私はその時期はとても近づいていると考えています。イスラム革命に価値を見いださない新世代が育ち始めているためです。彼らはイランが世界の一員になることを求めています。イランが変わるなら、米国の圧力ではなく、人々の態度の変化によるものでしょう。

超大国なき「新しい地図」

ナスルへの電話インタビューを終えた私は、中東の地図をもう一度眺めてみた。

国境を越えて影響力を強めたイランと、それに対抗するイスラエルとサウジ、トランプの米国。その米国とあつれきを深めるトルコ、サウジと対立したカタールはともにイランに近づき、シリアで足場を固めたロシアも存在感を高めた。イランとの距離を一つの軸にした、「新しい地図」が浮かんで見えた。

そこにはもう、圧倒的な軍事力を背景に、良くも悪くも中東全体ににらみをきかせてきた、かつての超大国・米国の姿はない。ISという「共通の敵」も後景に退いた。あるのはイランやサウジ、トルコなどの「地域大国」と、米国とロシアという「域外大国」が、宗派によるつながりという土壌の上で、「自国第一」をむき出しにしてせめぎ合う姿だ。

中東の主な出来事

  • 1948 イスラエル独立宣言、第1次中東戦争
  • 1967 第3次中東戦争、イスラエルがゴラン高原など占領
  • 1979 イラン革命、米大使館占拠人質事件
  • 1991 湾岸戦争
  • 2003 イラク戦争でフセイン政権崩壊
  • 2006 イスラエルがレバノン侵攻
  • 2011 民主化運動「アラブの春」がシリアなどで内戦に
  • 2014 「イスラム国」の前身組織が「国家」樹立を宣言
  • 2015 米ロなど6カ国とイランが核合意
  • 2017 米トランプ政権誕生
  • 2018 トランプ政権がイラン核合意を離脱、経済制裁を再開

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