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忘れえぬクリミアへの旅

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
クリミアのサッカーの試合で見た、ど派手なハーフタイムショー。ウクライナ国旗、クリミア自治共和国旗、そして地元クラブ「タブリヤ」の旗を掲げたスカイダイバーたちが、次々とピッチに降下した。これはクリミア自治共和国の旗(以下すべて2012年10月に服部倫卓撮影)。

キエフ・ルーシのキリスト教受容から1030

7月28日にウクライナで、キリスト教受容から1030年の節目を祝う記念式典が行われました。今日のウクライナやロシアのルーツになったのは、9世紀後半に成立したキエフ・ルーシという国です。本年は、キエフ・ルーシのウラジーミル大公がキリスト教(その一派の東方正教)を国教化した988年から、1030年目となるわけです。

ところで、ウラジーミル大公が洗礼を受けた場所は、ケルソネソス(ロシア語・ウクライナ語ではヘルソネス)というところです。ケルソネソスは黒海に面した古代ギリシャの植民都市であり、当時は東ローマ帝国が支配していました。この地は、「ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域」として、2013年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。ウクライナとしては、5箇所目の世界文化遺産です。ところが、その後ウクライナ国民が大手を振ってケルソネソスを訪れることは、できなくなってしまいました。なぜなら、ケルソネソスはクリミア半島のセバストポリ近郊にあり、世界遺産登録直後の2014年、ウクライナ領だったクリミアをロシアが併合してしまったからです。

ロシアのプーチン大統領は、2014年3月18日、ロシアがクリミアを併合することを正当化する有名な演説を行っています。注目すべきことに、その中でも、次のようにケルソネソスに言及しています。

「クリミアでは、我々の共通の歴史、誇りによって、あらゆることが結び付いている。聖ウラジーミル大公が洗礼を受けた古代ケルソネソスは、ここにある。正教会に帰依するという彼の宗教的な行為が、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの諸民族を結び付ける共通の文化・価値観・文明の基盤を決定付けたのだ。」

ロシアによるクリミア併合に関しては、セバストポリ軍港をはじめとする地政学的要因が注目されることが多いと思います。それに加え、プーチン演説の中で強調されているとおり、ロシアにとってケルソネソスが帯びている宗教的な聖地という側面も見逃すことができません。

筆者は、ロシアがクリミアを併合する前に、一度だけ、201210月にクリミアを訪れたことがあります。その際に、くだんのケルソネソスにも立ち寄りました。恥ずかしながら、その時点ではこの古代都市についての充分な予備知識がなく、「ウクライナにこんなすごい遺跡があったのか!」と、ただただ驚嘆させられたというのが正直なところです。眼前に迫る黒海の景観とも相まって、えもいわれぬ古代ロマンを感じさせてくれるところでした。

ケルソネソスは、ルーシ世界がキリスト教を受け入れた聖地。

基地の街セバストポリ

ここで、クリミアおよびその軍港都市セバストポリにつき、おさらいしておきましょう。帝政ロシアがオスマントルコからクリミア半島を奪ったのは1783年であり、ほどなくして、深い入り江を擁するセバストポリに海軍基地が置かれました。セバストポリは、19世紀半ばのクリミア戦争や、第二次大戦の独ソ戦で、激戦地となりました。

時代は下って、ソ連時代の1954年、当時のフルシチョフ第一書記の気まぐれな決定により、クリミアはロシア共和国からウクライナ共和国に移管され、それとともにソ連黒海艦隊の主力基地のあるセバストポリの管轄もウクライナに移りました。中央集権的なソ連体制の下では、「共和国」の存在は名ばかりであり、当時はこの帰属替えが重大な意味を持つようになるとは考えられていなかったのです。

しかし、盤石と思われたソ連邦は1991年暮れに崩壊し、クリミアとセバストポリは独立国ウクライナの一部となります。ウクライナ・ロシア間で、セバストポリに基地を置く旧ソ連黒海艦隊の帰属をめぐって対立が生じました。交渉の末、1997年5月に黒海艦隊分割協定が成立、艦船をロシア81%:ウクライナ19%の割合で分割することとなり、ロシア側は2017年までセバストポリを基地として利用できることになりました。さらに、2010年4月に両国間で「ハリコフ協定」が成立、これはロシア黒海艦隊の駐留期限を当初の2017年から25年間延長し、見返りにロシア側はウクライナに天然ガスの大幅値引きを適用するという大胆な取決めでした。

上述のとおり、私がセバストポリを含むクリミアを訪問したのは、201210月のこと。セバストポリでは何と言っても、ロシア黒海艦隊基地がどんな佇まいなのかを見てみたいという関心がありました。私はその直前に沖縄を旅行して米軍基地の様子を眺めたりしていたので、セバストポリでもそれと同じように、ロシア海軍基地が厳重なフェンスで囲まれているような光景を思い描いていました。しかし実際には、ロシアの基地は街に完全に溶け込んでおり、疎外感のようなものはまったくありません。もっと言えば、セバストポリの街全体がロシアの租借地であるような雰囲気を感じました。むしろ、ウクライナ海軍の方が居心地悪そうに居候しているような、そんな空気でした。

ウクライナ領土のセバストポリに、ロシア国旗と、ロシア海軍のアンドレーエフ旗がはためいていた。

ウクライナ国旗への拍手喝采

このように、軍港都市セバストポリでは、当時ウクライナ領だったにもかかわらず、「街全体がほぼロシア」という印象を受けました。しかし、クリミアでは、それとは趣の異なる体験もありました。

筆者はクリミア自治共和国の首都であるシンフェロポリ市で、サッカーの試合を観戦しました。対戦カードは、地元タブリヤ・シンフェロポリVSシャフタール・ドネツク。クリミアも、ドネツクも、「親ロシア」というレッテルを貼られることが多く、実際クリミア住民の多数派は民族的なロシア人ですし、ドネツクも言語的には完全にロシア語圏です。「親ロシア」というステレオタイプを裏付けるように、2014年にクリミアはロシアになびいていってしまいましたし、ドネツクも「親ロシア派」による武装蜂起で内戦に突入しました。

ただ、サッカーの試合では庶民の生の感情がむき出しになるものですが、筆者が2012年に試合を現地で観戦した限りでは、タブリヤ、シャフタールの両サポーターとも、ロシアという国への親近感を表現するようなことはなく、自分たちがウクライナ市民であることを自然に受け入れている様子が見て取れました。そのことを特に強く感じたのが、試合のハーフタイムショーです。ウクライナ国旗、クリミア自治共和国旗、そして地元クラブ「タブリヤ」の旗を掲げたスカイダイバーたちが、次々とピッチに降下するという、ど派手な演出でした。

古今東西、サッカーのサポーターというものは、ちょっとでも不満を感じたら、ブーイングを発する習性があります。しかし、ハーフタイムショーで、真っ先に降りてきたのがウクライナ国旗であっても、ブーイングなどは起きず、観客はむしろ拍手喝采で応えました。あの日あの時、ウクライナ国旗がシンフェロポリ上空に天高く舞った光景を、筆者はどうしても忘れられないのです。

タブリヤVSシャフタール戦のハーフタイムショーで、ピッチに舞い降りたウクライナ国旗。