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決戦の地ロストフナドヌー ロシアとウクライナの「グレーゾーン」

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
ロストフ州行政府前の騎兵像。中心部の広場にレーニン以外の像があるのは珍しい(撮影:服部倫卓)

「ロシアの街物語」には続きがあった

「ロストフナドヌー」というのは、「ドン川の上のロストフ」という意味(英語ではRostov-on-Donと表記)。ロシアには他にもロストフという街があるので(もう1つは北のヤロスラブリ州にある古都)、「ドン川の上の」というのを付けて区別しているわけですね。もっとも、街の規模では人口113万人のロストフナドヌーの方がずっと大きいので、単にロストフと言えばこの南の大都市のことを指す場合が多いです。本コラムでも、以下では単にロストフと呼ぶことにします。ロストフ市は、ロストフ州の州都であるだけでなく、「ロシア南部の首都」と呼び称されています。

ロストフの名刹「生神女福音大聖堂」(撮影:服部倫卓)

静かなるドンはコサックの故郷

最近の日本では、『静かなるドン』というと、新田たつおの漫画、それにもとづいたドラマ・映画を思い浮かべる人の方が多いかもしれません。『静かなるドン』というのは、元々はミハイル・ショーロホフというソ連の作家による大河小説のタイトルであり、ショーロホフは主にこの作品が認められて1965年にノーベル文学賞を受賞しています。ショーロホフはロストフ州北部の生まれで、『静かなるドン』で描かれているのも、この土地のコサックの物語です。

ロシア・ウクライナの歴史でコサックというのは、自由を求めて辺境に移り住んだ農民などが武装して独自の共同体を形成したものです。国家に反旗を翻すことも多かったものの、帝政ロシアでは次第に体制に組み込まれ、自治と引き換えに国境警備に当たったりするようになりました。

コサックには地域ごとにいくつかのグループがあり、ロストフを中心とした「ドン・コサック」の伝統は現代にまで引き継がれています。おそらく、ロシア人に「ロストフと言えば、何?」と尋ねたら、十中八九、「ドン・コサック」という答えが返ってくるでしょう。

ドン・コサックは、17世紀のラージンの乱、18世紀のプガチョフの乱と、ロシア史上最大規模の民衆反乱を起こしました。また、1917年のロシア革命後には、旧体制派の白軍の側に立ち、革命派の赤軍と戦いました。

こうしたことから、ドン・コサックと、その揺籃の地であるロストフは、油断ならない存在として、中央から否定的な見方もされました。そうした中でショーロホフは『静かなるドン』の中で、社会主義を一方的に賛美するのではなく、ドン川のほとりに生きたコサックの末裔たちが、第一次大戦とロシア革命に翻弄されていく様子を、人間ドラマとして生き生きと描いています。

ドン川を眺めるように立つショーロホフの銅像(撮影:服部倫卓)

紛争で破壊されたドンバスとの残酷なコントラスト

ところで、ロストフという街について考える際に、隣国ウクライナとの関係を避けて通れません。

ウクライナでは2014年に政変が発生し、それまで同国を支配してきた東部ドンバス地方(ドネツク州、ルガンスク州)の勢力が野に下りました。それを受け、ドンバス地方ではウクライナ新政府の方向性に異を唱える勢力の武装蜂起が発生、これをロシアが水面下で支援したため、ドンバスはウクライナ政府軍と武装勢力との凄惨な戦闘へと突入しました。死者は1万人を超え、ロシアやウクライナの各地に逃れた難民は150万人に上ります。

問題は、くだんのロストフが対ウクライナ国境、つまりドンバスの紛争地から、100kmくらいしか離れていないことです。ロシアは公式にはドンバスへの軍事介入を認めていませんが、ロシアから部隊や武器が送り込まれているのは公然の秘密であり、そのオペレーションの前線基地になっているのがロストフ州です。他方、ロストフ州だけでも、数万人のドンバス難民がいると言われています。

ウクライナ側に目を転じると、ドンバス地方の戦災は甚だしく、同地方のサッカーの聖地だったドンバス・アレーナも損壊しました。その目と鼻の先にあるロストフに、最新鋭のスタジアムが完成し、ワールドカップの晴れ舞台となる。そのことに、筆者は言いようのない理不尽さを感じます。せめて、ウクライナ代表にはヨーロッパ予選を突破してもらって、ロシアW杯で意地を見せてほしかったのですが、あと一歩のところで予選敗退となりました。

ロストフのスタジアムは、従来は閑散とした荒地だったドン川南岸に建設。しかし、今後このエリアは新開発地域として発展を遂げる予定(撮影:服部倫卓、2013年)

ウクライナとのボーダーランド

ロストフは、単に距離的にウクライナに近いだけではありません。ロストフをはじめとするロシア南部と、ウクライナのドンバス地方は、歴史的にロシアとウクライナの民族・国家形成の、ボーダーランドとなってきました。ウクライナ領になっても、ロシア領になっても、あるいは独自のドンバス国家になってもおかしくない、グレーゾーンのような地域だったのです。

ロシアは、ウクライナ領のドンバス、クリミア、オデッサといった黒海北岸地域を、「ノヴォ(新)ロシア」と捉えています(地図上に緑の楕円で示したエリア)。18世紀にロシアがトルコに勝利して獲得した土地であり、その後も帝政ロシアの枠内で都市建設や工業化が推進されました。こうした背景から、今日のロシアもこの地域への特有の権利意識を持ち、だからこそクリミア併合やドンバスへの介入といった大胆な挙に出ることにもなるわけです。

しかし、ウクライナ側から見ると、見方は違ってきます。元々のエスニック(民族)的な分布に着目するならば、帝政ロシア時代にウクライナ系の住民がロストフ、クラスノダル、スタブロポリといった現ロシア南部に進出していた経緯があり(地図上では矢印でそのイメージを示した)、エスニック的なルーツからすれば、こうしたエリアはウクライナ領になってもおかしくなかった、とも言えます。

ロシア語は方言の少ない言語ですが、ロストフなどのロシア南部だけは例外的に強い訛りがあります。ウクライナの末裔が多く暮らすことと、無関係ではないでしょう。有名なところでは、ソ連最後の大統領であるミハイル・ゴルバチョフ氏は、かなりの南部訛りでした。ゴルバチョフはスタブロポリの生まれで、ウクライナ・コサックを祖先に持つと言われています。

そもそも、ドンバス地方というのは、現ウクライナ領だけでなく、ロシアのロストフ州北西部あたりまでを含んだ地理的概念です。現に、ウクライナのドネツク州、ルガンスク州とロシアのロストフ州は、2010年にユーロリージョン「ドンバス」を結成し、国境を越えた協力関係を続けてきました。

もちろん、こんな背景を知らなくても、サッカーの試合やロストフ観光を楽しむことはできます。しかし、国同士が威信をかけてぶつかり合うW杯の舞台だからこそ、国家とは何か、民族とは何かを考えてみる、良い機会かもしれません。ロストフという街には、そのためのヒントが一杯詰まっています。