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税優遇で外資を呼び込む いま注目はポーランドの航空機産業

World Now 更新日: 公開日:
マレク・マズール氏=神谷毅撮影

1991年、当時の日本の文部省のプログラムで、名古屋にある南山大学に留学をして、経済を学びました。大学だけでなく、当時の東海銀行などの金融機関で研修をしたことも貴重な経験でした。

そうそう。今でも漢字を忘れないように、毎日5分間、書き取りをしていますよ。

日本に2年半ほどいた後、ポーランドに戻り、はじめは銀行改革に、次に年金改革に携わりました。経済が自由化した直後だったので、株式市場にマネーを呼び込むためにも年金マネーをどう活用するかが、とても大事な時期でした。

数年後に政府の仕事を離れ、年金を中心に金融にかかわるコンサルティングをしていましたが、2003年に当時の政府幹部に請われ、国の健康保険基金の財務責任者を務めました。財務基盤を改善したあと再び政府の仕事を離れ、医療分野の経験も生かして、病院などにもアドバイスをするようになりました。

人々は、ポーランドの経済が変わったのは、体制転換した1989年だと言います。これは、ある意味で正しいのですが、ある意味では間違っています。というのは当時、旧ソ連の支配下にあった旧共産圏のうち、ポーランドの状況は、ほかの国々とは少し異なっていたからです。

ポーランドでは1970年代から、ほかの共産圏の国々では制限されていた旅行が、ほぼ自由にできました。もちろんお金は必要でしたが、私も学生時代にフランスやカナダを訪れました。

また、民間の手にお金があったことも特徴です。政府が管理しているお金ではなく、それぞれの家庭の「カーペットの下」などに、150億~200億ドル(約1800億~2400億円)のお金が蓄えられていたのです。農業は公営ではありませんでしたし、小さなお店なども民営でした。お金とビジネスの面で、すでに経済は先行していたといえます。

この25年の間で、ポーランド経済は外国企業を誘致して発展してきましたが、いま注目されているのが航空機産業です。ポーランドでは、第2次世界大戦前の1937年から、戦闘機や爆撃機をつくるために航空機産業が始まりました。戦後はソ連の支配下でヘリコプターや小型飛行機を生産しました。担えるだけの教育水準をもった人材があったからです。

こうした航空機産業の集積地をいま、政府は特別経済地域(SEZ)に指定しています。この地域内に進出した企業は、一定の条件を満たせば、法人税を何年間か払わなくてもいいというメリットがあります。この航空機(アビエーション)産業の集積地を「アビエーション・バレー」と呼んでおり、エアバスなどの大手も投資をしています。始まったばかりの産業ですので、経済における規模も国内総生産の1.5%ほど、雇用も2万3000人余りとまだ大きくありませんが、可能性は秘めていると思います。

(インタビュー・構成:神谷毅)