ジェームズ・スチュワート(66)トリニティ・カレッジ准教授
租税回避の仕組みである「ダブル・アイリッシュ・ウィズ・ア・ダッチサンドイッチ」は、とても複雑だという人が多いですが、私はむしろシンプルだと思っています。それは「多国籍企業が好きなもの」と定義することができるからです。
アイルランドは昨年の秋にダブル・アイリッシュを使えないようにすると発表し、今年1月から法律を変えました。2015年1月以降にアイルランドに置いた会社は、使えなくなりました。でも、いま使っている会社の場合は2020年まで使えます。多国籍企業は、別の新たな租税戦略を考える時間的な余裕を得たともいえます。
さらに、法律の内容をみても、変わった部分は少しだけです。アイルランドとの間に租税条約がない国や地域、例えばバミューダ諸島やケイマン諸島を利用したダブル・アイリッシュはできなくなりました。でも、アイルランドと租税条約を結んでいて、かつ法人税率が低いマルタやキプロスを租税戦略に組み込むことは、これからもできるのです。
こうした租税回避を、まだ企業が使える余地が残っていることが問題だと思います。経済協力開発機構(OECD)が10月、多国籍企業の租税回避を防ぐための提言をしました。「税源浸食と利益移転(BEPS)」プロジェクトといいます。ただ私は、これが企業の租税回避の状況をどれほど変えるのか、疑わしいと思っています。OECDは租税回避を防ぐため、企業のカネを追跡する記録を十分に持っていないと思っているからです。
もちろんBEPSの新しいルールを適用することで、企業の行動が一定程度、変わることは期待できます。しかし、どこまで効果的かは分かりません。
新しいルールでは、多国籍企業が、国ごとに納税状況を報告することが義務づけられます。しかし9項目だけなので、十分ではありません。例えば、フェイスブックは少なくとも八つの子会社を含む関連会社をアイルランドに置いています。また、多くの米国の多国籍企業は、アイルランドに複数の会社を持っています。必要なのは、こうした企業の情報がすべて透明性をもって公開されることです。
グーグルがダブル・アイリッシュを使っている典型例だといえます。私はアイルランドの財務大臣に、どのくらいの企業がダブル・アイリッシュを使っているのか尋ねたことがありますが、答えは「分からない」でした。私の調査では22の企業が使っていると特定できました。ほかの企業も使っていると思いますが、いま調べることができる情報では、すべて証明するのは難しいところがあります。
多国籍企業はそれぞれ、独自の租税戦略を持っています。インテルは、アイルランドに子会社としての工場を持ち、ケイマンに持ち株会社を置いています。IBMはオランダを使った租税戦略を採用しています。
租税戦略がここまで過剰に展開される背景には、外国企業を誘致するために法人税を引き下げている国同士の競争があります。「底辺への競争」と形容されるものです。例えば、アイルランドが法人税を下げて外国企業を引きつければ、英や仏も引き下げ競争に加わって、さらに激しい競争が起きるのです。
問題は、この競争から利益を得るのは、国境を越えて動くことがきる企業だけだということです。多国籍企業は、ある国の税制が気に入らないなら、政治力を駆使すれば制度を変えることだってできる。でも小さな企業にはそれができません。これは、小さな企業にとって、とても不利です。
またアイルランドでは、大手会計事務所の影響力がとても大きいことも特徴です。産業政策がうまくいかなくなると、税のインセンティブが議論されます。政府はこうした税制の設計について会計士に頼っているのが実情です。彼ら会計士が法律を書いているともいえます。専門的な知識についていえば、官僚よりも彼らの方が持っているからです。人材の規模も違います。税務当局の職員は250人ですが、ある大手会計事務所の職員をみれば500人余りもいます。
会計士たちの関心は、アイルランドやEUの経済ではありません。外国企業を誘致することです。税で巨大な外国企業を誘致するだけの成長政策は、とてもリスキーだと思います。もし、ほかの国が税制を変えてアイルランドより魅力的にすれば、多国籍企業はアイルランドから出て行くでしょう。もっと地元の中堅、中小の企業を育てる必要があります。
サイモン・ハリス(29) 財務副大臣
低い法人税は、雇用のため
多くの国が、多国籍企業が自国で研究開発を行ってもらうように、特許などに絞って税を優遇する制度を持っています。アイルランドはこのような優遇税制を、これまでは持っていませんでした。そこで来年1月から、「ノレッジ・ディベロップメント・ボックス」と呼ばれる優遇税制を始めることにしました。
これは企業がアイルランドに進出して、研究開発を行って特許や著作権を取った場合、そこから得られる利益には6.25%の法人税率を適用するものです。通常の法人税の半分です。研究開発の分野における、企業の行動を変えるものだと思っています。
他の国々をみると、もっと低い税率を適用しているところもあります。しかし、この6.25%という率も、とても有利な条件です。むしろアイルランドの制度の強みは、今のところ、これがOECDのBEPSの新ルールに適合した唯一の制度だということです。ほかの国々は、BEPSの厳しいルールに合わせて、これから制度を改正しないといけませんが、アイルランドはBEPSの結論を待ち、制度を立ち上げることにしたので、それが功を奏した形です。
研究開発におけるアイルランドの強みは、知識を持った人材が豊富なことです。その証拠として、「テクノロジーの巨人」といえるグーグルやフェイスブックなどが、すでに進出しています。
アイルランドが法人税を低くしているのは、雇用のためです。すべてのEU加盟国は、自ら税率を決める権利を持っています。
昨年の秋にアイルランドのシンクタンクが出した報告書によると、高い法人税は、雇用の創出に否定的なインパクトを与えるという結果が出ました。アイルランドでは2012年、13万2000人の新規雇用がつくり出されました。そこからみても、我々の税制は、雇用や投資を引きつけるという面では成功しているといえます。
法人税で重要なのは、透明性です。法人税には、統計資料などで見られる「法定」税率と、実際に企業が納める「実効」税率があります。アイルランドは、その二つの差が小さいのが特徴です。一方、他の国々のなかには、表面的には高い法定税率を掲げていますが、実際に企業が納める実効税率は低い、という国もあります。
強調したいのは、アイルランドはBEPSの議論に、とても前向きに加わってきたということです。その過程でも、それぞれの国には税率を決定する権利があることが認められています。そのうえで世界の国々が、透明性のある法人税の制度をつくり、過剰な節税策に取り組むということが、BEPSの注目すべき点です。
昨年の秋、アイルランド政府が「ダブル・アイリッシュ」をやめると打ち出したことは、とても賢い決定でした。ダブル・アイリッシュはメディアがつくった言葉です。アイルランド政府が関わったわけでもありません。国際弁護士が集まって、考え出したものだと思っています。
先ほども言ったように、アイルランドはBEPSに前向きなので、ダブル・アイリッシュの廃止で、それを証明したと思っています。廃止に踏み切ったのは、アイルランド政府がこの仕組みをデザインしたわけでも、悪いことをしたわけでもありません。何より国の評判を考えたまでです。外国からの投資を引きつけるには三つのことが重要だといえます。12.5%の法人税、ビジネス環境、そして国の評判です。だからダブル・アイリッシュをやめたのです。
アイルランドの国土は小さいですが、自由経済の国です。地理的にみれば、欧州の端に位置しており、人口は450万です。私たちは発展に対して野望を持っています。そして、経済を成長させ、雇用をつくり出すには、外国からの投資がとても大事な役割を果たすことを十分に理解しています。
もう一つ重要な点として指摘したいのが、外国企業だけではなく、アイルランドの会社を育てることにも成功していることです。世界経済危機を経ながら、地元の企業を育てることに努力を傾けてきました。国際金融サービスの分野などでは、実際に世界的企業になったところもあります。
外国からの投資は、地元の企業の成長と組み合わさることで、この国の力強い「経済の生態系」をつくり出すと考えています。それが雇用や税収の増加につながります。そして雇用や税収が増加すれば、教育などの行政サービスに充てることができるのです。
(構成:神谷毅)
ブレンダン・マクドナ(47)投資開発庁幹部
成長にはもっと投資が必要
海外からの投資はアイルランドにとって、とてつもなく重要です。データをみると、GDPの4分の1を占めています。雇用の面では17万5000人が直接、外国投資を受けた企業で働いています。間接的にかかわる働き手となると、35万人もいます。
アイルランドは農業国でしたが、1960年代から経済を開放し、カギとなる産業分野を絞って海外から企業を呼び込む戦略をとってきました。20年前までは、例えばTシャツをつくる製造業などが優先的な産業分野でしたが、いまはITや生命科学、製薬、メディア、金融サービス、エンジニアリング、食品加工などの分野の企業誘致に力を入れています。
特に、インターネットやソーシャルメディアの分野の大企業にターゲットを絞っています。グーグルはアイルランドに拠点を持っています。最初は小さな規模でしたが、今では数千人を雇用しており、大きなデータセンターも持っています。フェイスブックやツイッター、アマゾン、イーベイ、ペイパル、最近ではセールスフォースなども進出しました。
彼らは、人材を求めてアイルランドに来ているのです。テクノロジーの知識があり、外国語を話す人材が、ここにはたくさんいます。アイルランド人にも豊富な人材がいますが、外国からも大勢、集まってきます。ほかの国々との人材獲得競争はとても激しいですが、アイルランドは企業が求める人材を供給できるので、とても魅力的なのです。
いま約1200社がアイルランドに進出しています。そのうち米国企業が半分ほどを占めます。理由を挙げれば、先ほどの人材の魅力に加えて、英語を話す国だという点があります。また、米国からみて、アイルランドが欧州市場への窓口の役割を果たせることも強みです。アイルランドの午後4時は、米西海岸の朝8時です。勤務時間の間に、数時間はやりとりできるタイムゾーンにあります。これは、大陸の欧州各国より有利な位置にあるといえるでしょう。そして最後に、12.5%という低い法人税率の競争力があります。
外国企業が投資を決めるときの条件をみると、まず人材を確保できるか、ビジネス環境について考え、次に税について判断することになります。グローバルにみると、ほかにも低い税率を採用している国はたくさんあり、外国企業の誘致をめぐって激しく競争しています。しかし、アイルランドは、人材の供給源、良好なビジネス環境、競争力のある法人税率といった、三つの独自の組み合わせを持っています。
知的財産に関する優遇税制も新しく作ります。「ノレッジ・ディベロップメント・ボックス」と呼ばれる制度です。アイルランドで研究開発を行った企業が、その成果として得た知的財産で所得をあげた場合、そこには6.25%の税率が適用されます。知的財産とは、ソフトウェアの著作権や特許です。来年の1月から始めます。
多国籍企業がタックスプランニングに使っている「ダブル・アイリッシュ」と呼ばれる仕組みは、もう使えなくなりました。でも、その影響は、外国企業の誘致においては、ほとんど出ていません。まだ今年の詳しいデータは出ていませんが、海外からの投資は昨年と同じぐらい順調だとみており、外国からの投資に影響がないことを裏付けています。
アイルランドは欧州の辺境にある小さな農業国でした。産業基盤は、ほとんどありませんでした。一番良いのは、アイルランドの企業を育てることだと思います。実際、最近では、格安航空で欧州の大手に育ったライアンエア-などの成功例も出ています。でも、経済成長には、もっと投資が必要です。そして成長のスピードも大事です。そのためには、やはり外国企業の投資が必要なのです。GDPの4分の1に外国企業が関わっているというデータをみれば、アイルランド経済にとって外国からの投資がどれだけ重要なのか、分かってもらえるのではないでしょうか。
外国からの投資の面では、アイルランドは成功を収めているといえます。でも、もっともっと多くの日本企業に来てもらいたいと思っています。中国企業が注目されることが多いですが、日本には特定の分野に強い企業も多く、まだまだ底力があると思っています。
(構成:神谷毅)
パット・マクアードル エコノミスト
税率低くても税収は確保
アイルランドの財務省で働いてから、1987年に民間企業に移り、いまはシンクタンクの代表を務めています。
世界経済危機の際のアイルランド経済は、ギリシャに次いで深刻でした。経済成長率は12~13%も下がりましたし、銀行の状況はどの国よりも悪かった。しかし、その後は輸出が主導して急激に回復し、経済の柔軟性を見せました。今年は6%の成長を予想しています。
アイルランドの法人税の低さは、世界的に知られているところです。これは外国企業を引きつけるためのものです。ただ、外国企業がアイルランドに進出を決める場合、考慮に入れるのは税のことだけではありません。教育や技術の水準、言葉、EU加盟国であることなど、様々です。
興味深いのは、法人税の税率は低いのですが、税収はしっかり得ていることです。法人税は税収全体の12%を占めますが、これはEU加盟国の平均とほぼ同じです。税率が低いのに税収がきちんと集まっているということは、課税する企業の数が多いということを示しています。
外国企業は経済成長に大きく貢献しています。例えば、2008年から11年間でアイルランドのGDPは5%落ち込みました。同じ時期の外国企業によるGDPへの貢献は5%ありました。つまり外国企業の存在がなければ、10%も落ち込んでいたことになります。
(構成:神谷毅)