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英語が苦手な女子生徒がオーストラリアの学校に飛び込んだら

バイリンガルの作り方~移民社会・豪州より~

オーストラリア東部、この国第三の都市ブリスベンから北に約90キロのカランドラ。豪東海岸の美しいビーチが海岸線に延びるゆったりとした地方都市に、私立学校「カランドラ・シティ・プライベート」はある。広々とした芝生の敷地に校舎は平屋。幼稚園から高校3年生にあたる12年生まで、各学年とも20数人というこぢんまりとした学校で、長期留学として学ぶ唯一の日本人が、11年生の椎野怜奈さん(18)だ。

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椎野怜奈さん

訪れた日、椎野さんがいる教室をとお願いして、案内されたのは、美術の授業だった。生徒たちがおのおの黙々と版画などの制作を進めるなか、アマンダ・スチュアート教諭が「レイナ、この間の課題、ラップトップにある? 見せてみて」と椎野さんに近づいた。こちらの高校の美術の授業では、作品の制作と並行して、関連したテーマでレポートも作成するのだ。

英語で書かれた「ビジュアルアート」と名付けられた椎野さんのレポートは、「芸術家は歴史上、しばしば、環境から作品の着想を得てきた……」という書き出しで始まっていた。テーマは、自然の素材などを使った現代アートの代表的な芸術家の比較で、キーワードは聞き慣れない「ephemeral art(美術館などに常設されるようなものでない一時的に展示されるような芸術作品のジャンル)」。スチュアート教諭は「普通の英語ではなく、美術の世界で使う用語を使わないといけない。留学生にはかなり大変です。レポートの完成までに何度か原稿をやりとりします」。日本では、「実技」の印象が強い科目でも、英語力を鍛えられている様子が伝わってきた。

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美術室でお手本を示すアマンダ・スチュアート教諭(右)と生徒たち

現地校での勉強をこなす様子から、言葉もかなり上達しているようだと、英語でのインタビューを試みた。豪州に留学して何年になりますか、と尋ねると、流暢な英語で「3年です。でも、この学校だけではなくて。ここには転校してきました」と予想外の答えが返ってきた。椎野さん、ここに至るまで順調に来たわけではないようなのだ。

英語でインタビューに答える椎野玲奈さん

神奈川県小田原市の中学3年生だった14年の春、椎野さんは、親友から中学を卒業したら豪州に留学すると聞いた。親友は父親が豪州人で英語を話した。自分も親友と一緒に行きたいと思った。でも、「100点満点で37点だったときもある」という英語力。先生からは「豪州行きはやめた方がいい」と忠告されたが、決意は変わらなかった。

当初の留学先は、ブリスベンから西に125キロほどの都市トゥーンバにある別の私立ハイスクール(中高)。その学校の校長と、親友といっしょにネット電話で面接を受けると、入学を認められた。英語を話せない椎野さんはほとんど話さなかったのだが。

2人に親友の別の友人も加わり、中学卒業後の15年4月、9年生(日本の中3)の途中から編入し、学校の寮に入った。英語の授業は全くわからない状況が続いた。学校でも、寮でも、友人たちと日本語で話してしまう。それでも、豪州の新学年の翌年1月には、10年生に進級できた。学校は、椎野さんと英語のできない友人には、一般の生徒とは違う簡単な内容のテストを課し、ほかの生徒には必須となっていた授業での発表や課題を免除してくれたのだ。「全く英語が上達した実感がなかった」

 豪州に渡り、寮で暮らし、周囲は英語の毎日なのに、英語の実力がつかないまま1年が過ぎようとしていた。「このままではダメだ」。椎野さんの心の中には、少しずつ焦りが生まれていた。

(次回は20日に配信します)