【アメリカIT業界で働く⑤】英語アクセントは個性 目指すべきは「情報伝達速度」向上
学生に向けて海外でのキャリアの話をすると、よく聞かれる質問の中で、答えるのがとても難しいものに
「どれぐらい英語ができればいいんですか?」
がある。
一言で答えるのはとても難しいので、記事1本分の文章で答えてみたい。
この問いについては、両極端な意見を聞くことがある。ひとつは「英語をネイティブスピーカーと同じように操れなければ満足に仕事などできない」というもの。もうひとつは「仕事の実力さえあれば英語は関係ない」というもの。どちらも正解であるとはとても言えないが、完全に間違いとも言い切れない。
実のところ、少なくともAIによるエージェントコーディングが一般的になるまでは、ソフトウェアエンジニアという仕事は、ホワイトカラーの中で最も英語によるコミュニケーション能力(以下「英語力」)を必要としない職種だった。
指定された仕事を理解し、詳細の確認が必要ならばメールやチャットでチェックし、あとはプログラムを書く。プログラムを見せることで、周りからは仕事が達成されたことや仕事の質を理解してもらえる。
渡されたタスクをこなすだけでよい初級エンジニアの段階であれば、必要な英語力のハードルは多くの日本人が想像しているよりもずっと低い。さすがに数はあまり多くないが、実際にそういうスタイルで働いていた同僚を見たことは何度かある。
一般的に、言葉に直接関係のない職人的な部分が多い仕事ほど、英語の力は問われにくいと言える。プロのスポーツ選手などは一番極端な例だろう。
とは言え、IT業界で働くエンジニアは会社員である。コミュニケーションができる方が仕事の幅も広がり、アウトプットやインパクトも大きくなる。非常にざっくりした書き方をすると
仕事のインパクト=実力×コミュニケーション
という掛け算だ。もちろん仕事の実力が抜群であれば成果は出るが、コミュニケーションが十分に伴っていなければインパクトは割り引いたものになってしまう。英語力が高ければ、最終的なインパクトは何倍にもなる。
アメリカで働き始めて間もない頃、比較的大きめのアーキテクチャーの設計をやったことがあった。影響のあるチームのエンジニア15人に説明するためのミーティングでもちろん私がプレゼンしたのだが、込み入ったややこしい部分になると「分からない」という空気を感じた。何人かが質問してくれたのだが、必死に答えていても英語が下手なせいか理解してもらえない。
さすがに見かねて、準備段階でレビューしていたシニアエンジニアが助け舟を出して答えてくれたが、するとさらなる質問が全てそちらに行くようになり、説明と答えのやり取りを設計者の私が傍観する形になってしまった。その後もそのアーキテクチャーについては彼に聞けという雰囲気になってしまい、彼から何度も質問のメールが私のところに転送されてきた。
彼が良い人だったので私の成果だということを常に言ってくれていたが、もし人の成果を横取りするのが平気な人が彼のポジションにいたならば、あっという間に私は蚊帳の外に置かれていただろう。
もちろん、英語力は高いに越したことはない。しかし、ある程度できていれば良いとも言える。一言では答えられないゆえんである。
では、「ある程度」とはどの辺なのか。どこを目指すのが良いのか。
まず、私自身を含む日本人が苦手とする発音について、アメリカで技術的な仕事をするために「ネイティブスピーカーと区別がつかないぐらいの発音」を目指す必要はない。母国語特有の「アクセント(なまり)」は個人のアイデンティティーであり、直す必要はない。
ただし、「アクセント」と「発音エラー」は区別する必要がある。
ネイティブスピーカーの全員がまったく同じ話し方をするわけではなく、それぞれが他の人達とズレのある話し方をする。この範囲がいわゆる「ネイティブレベル」の発音になる。
その範囲から少し外れると、聞いている人はなまっていることに気づくが、話している内容は問題なく理解できる。この範囲に収まっているのが、アクセントがありながらコミュニケーションに問題がない状態。そこからさらに外れてしまうと「今なんて言った?」と聞き返されたり、話し終わってから数秒考え込んだあと「なるほど分かった」と言われたりする。相手に伝わらないぐらいになると「発音エラー」であり、これは直す必要がある。
目指すのは「アクセント」の範囲内の発音を常に出来るようになることだ。
もちろん、発音さえできれば良いというわけではない。文法や語彙(ごい)などの他のスキルについても、完璧である必要はない。
日本国内ではTOEICの点数を目標にすることもあるが、アメリカでTOEICの存在を知っている人はほとんどいない。日本に住んでいる外国人が「私はJLPT(日本語能力試験)3級です」と言ったとしても、ほとんどの日本人が分からないのと一緒だ。
また、TOEIC800点(全受験者の10人に1人程度に位置するハイレベルなスコア)でほとんどしゃべらない人もいれば、700点で間違いながらもたくさんしゃべってコミュニケーションをとっている人もいる。
ではどこを目指せばいいのか、何を指標にすれば良いのかというと、私は「情報伝達速度」だと思う。
アメリカで働く多くの人にとって、英語は情報伝達の道具だ。なので、そのスピード、効率を目標にするのが実効的で分かりやすいのではないか。
実はこの指標を思いついたのは、私がアメリカで働き始めて数カ月経った頃だった。最初から高い目標を設定するのも良くないと思い、まずは「必要な仕事の説明を、自分が日本語で説明する時の半分のスピードで、英語で説明できること」に設定してみた。これを達成できれば、実務上はゆっくり話すネイティブスピーカーとあまり違わない。
情報伝達速度が落ちていると感じたら、その原因となっているボトルネックを特定して対策を打てば、効率的に上達できる。たとえば
・発音が悪くて聞き返される→速度低下→発音を練習する
・語彙(ごい)が少なくて言葉に詰まる→速度低下→関連分野の専門語彙を補強する
・複雑なロジックを伝えられない→速度低下→文法知識を見直す
などである。
そうやって速度が一定以上になれば、英語を使って仕事ができている、と胸を張って言えるのではないだろうか。あいまいな「ネイティブ並み」よりこちらの方が目指しやすい目標だ。
完璧でない英語を使って働いていると、今あるこの勉強時間を英語の上達に使うか、それとも自分の仕事に直接役立つ技術スキルの向上に使うか、常に決断を迫られている気分になる。英語学習の必要性を仕事の文脈に落とし込めれば、どちらを優先するかの決断がしやすくなるのではないだろうか。
情報伝達速度はギリギリOK。文法の間違いも発音エラーも時々起こるので、聞き返されることがよくあるが、仕事はまあ成り立つ。 実際、10年以上アメリカで仕事をしていて英語力がずっとこれぐらいのレベルにいるエンジニアは大勢いる。英語力はそこで満足して、技術力を上げることで自分の市場価値を高くするという決断をしたとも言える。
しかしもちろん、その状態で皆が満足するわけではない。さらにシニアレベルのエンジニアやマネジャーになってリーダーシップを発揮したり、色々な職種の人たちとの調整が必要な仕事をこなしたりするには、素朴に情報を伝えるだけで良いわけではない。
さらに「部下のヤル気を保ちつつネガティブフィードバックを与える」とか「威厳のある話し方で強い第一印象を与える」などのネイティブスピーカーでも苦労する領域に入っていくと、ノンネイティブであるための苦労がより多くなってくることは否めない。
英語について完璧を求めようとすると、それは一生続く修行の道なのだ。私自身も率直に言って道半ば、さらに言うと「日暮れて道遠し」と感じることもある。渡米後20年以上たった今でも、AIアプリで毎日少しずつ発音練習をしている。20年前にこれがあったら良かったのに、と思わずにはいられない。
昔、シリコンバレーで働いている日本人によるパネルディスカッションに参加した時、「もし今魔法使いがやってきて『あなたの英語力を一瞬で日本語と同じレベルにしてあげる』と言われたら、5000万円払ってもいい」と言っている人がいた。私も深く同意する。