バトンを託された「ブルー仁王」の未来 仁王門跡に息づく継承と奥出雲の新たな祈り
10年がかりの仁王像プロジェクトに終止符を打ったオランダ人彫刻家イェッケ・ファン・ローンさんは、2026年2月、オランダの支援者を集めてアムステルダムで報告会を開いた。
その中で、「今後、ブルー仁王をどうするべきかを一番よく知っているのは地元の人たち。私は彼らにバトンを託した」と、ブルー仁王の未来を地元に委ねたことを報告した。
長い年月と多くの人々の思いが込められたブルー仁王は、地元に根ざした新しい活用の形が見いだされていくのか。
それとも、奥出雲を大阪・関西万博へと導き、「里帰り」のイベントを成し遂げたことで役目を終えたのだろうか。
ちょうど桜が満開の2026年4月初め、私はふたたび奥出雲を訪れ、ブルー仁王のプロジェクトを支援している有志グループに会った。25年秋のイベントの時からは、コアメンバーが少し入れ替わっていた。
二澤直子さんは、現在の主要メンバーの1人だ。
「今度は私たちがブルー仁王に魂を入れてあげる番だと思っています」と、イェッケさんからバトンを引き継ぐ覚悟を語る。
二澤さんは松江から奥出雲に嫁ぎ、子育てを通じて出会った地元の仲間たちと、古民家のコミュニティーハウスを運営している。解体されたブルー仁王の木製構造部材は、このコミュニティーハウスの倉庫に保管されている。
大学時代の卒業論文では「芸術による地方再生」を題材にしていたこともあり、早くからこのプロジェクトに魅了され、タイルの絵付けワークショップにも参加していた。
「子供からお年寄りまで、みんなとても楽しそうでした。特に高齢の方々が夢中になっている姿が本当に感動的でした」と、その雰囲気を語ってくれたことがある。
世代間交流の場も生み出す仁王のプロジェクトを、二澤さんはこんな風に見ていた。
「高齢化や人口減少に悩む奥出雲に新しい風を吹き込み、私のような子育て世代も住みやすい、開かれた地域づくりにつながるものだと感じました」
ブルー仁王の今後の活用については、国際的なワークショップやアーティストインレジデンス(アーティストが一定期間滞在し、その地域の文化や環境に触れながら創作やリサーチ活動を行う)などを通して、多くのクリエーターとともに最終的な安置方法を考えていけたら面白いものができるのではないかと提案した。
「地方からも文化の発信はできる」と言う宍戸俊悟さんは、大学と大学院で農業を学んだ。以前、奥出雲町役場に勤め文化財保護を担当していた経験を生かし、今は地元と行政のパイプ役も担っている。
25年、「たたら製鉄を再適用した奥出雲地域の持続可能な水管理及び農林畜産システム」が世界農業遺産の認定を受けるにあたり、その複雑な申請のプロセスを担った人物でもある。
農業遺産を説明する中で、ブルー仁王をこう表現した。
「世界遺産と農業遺産との違いは、静的なものか動的なものかということです。ピラミッドや万里の長城は、今の人が介在しなくてもそこに存在し、むしろ手が加えられないことが望まれる。でも農業遺産は、人の営みによって維持されていく動的な遺産です。人が営みをやめるとなくなってしまう。そういう意味でいえば、ブルー仁王も動的なもの。美術館にハマる作品が静的なアートだとすれば、ブルー仁王は人との関わりによって価値が紡がれていくアート。だから、どこかにドンと置くだけではなく、これを生かして活動していくことで価値が積み重ねられていくんだと思います」
地元で建築事務所を運営する宇田川孝浩さんは、まだ仁王門再建の話が進んでいた時に、その設計やデザインにも関わっていた。
「仁王像は、この小さな町とオランダの皆さんをつないでくれた。その出会いは、平凡な自分の人生に、小さからぬ影響を与えたと思う。この奇跡をくれた仁王像に感謝しています」
そう語る宇田川さんは、元の仁王像を見たことはない。その姿を反映しながらも模倣ではないブルー仁王について、こんな印象を持っていた。
「3次元の立体ではなく2次元だからこそ、イェッケさんと町民の協働のコラージュだからこそ、そこにリアルな仁王を想像する自由が残されているのかもしれません」
仁王門に関しても同じような見方をしている。
「物質として存在するものよりも、空(くう)の状態に存在を認めるという特質が日本人にはあると思う。むしろ見えないものの方に本質を感じる。だから、実際に仁王門を再建するよりも礎石だけが残っているほうが、もっとリアルな仁王門を感じるのではないでしょうか」
そして、ブルー仁王は恒久的に設置するのではなく、普段は保管しておいて、祭りの時にだけ山車のような形で姿を現す存在にしてはどうかと提案した。
彼らの話を聞きながら、私はずいぶん前に、仁王像に関わってきたオランダ人キュレーター、メノー・フィツキさんから聞いた「美術品の伝記」の話が頭に浮かんだ。時代や作品を取り巻く環境の変化と共に、美術品の人生も、章が変わるように書き進められていくというものだ。
例えば、この話の主人公である岩屋寺旧蔵の仁王像。その伝記は、私が知る限りで要約するとこんな感じだ。
作られたのは14世紀前半で、作者は不明。だがメノーさんは、最盛期を過ぎた頃の慶派の仏師によるものと推測している。権力を持った岩屋寺のために作られたこの「仏像」は、戦国時代の度重なる戦禍をくぐりぬけた。
大きな傷を負い、腕ももげた。幾度もの修復の痕跡を体に深く刻みこみながら、何百年もの間参道に立ち続け、村を守り続けた末に「二束三文」で売却された。
「売り物」としていくつかの手を経て京都の古美術商にたどり着き、キュレーターであるメノーさんの目にとまった。アムステルダム国立美術館が2億円で購入し、オランダに渡ってからは、「美術品」として同館アジア館の目玉作品のひとつとなった。
こんな波瀾(はらん)万丈の運命をたどった仁王像。その「依(よ)り代」であるブルー仁王の伝記も、気がつけば華やかなセレモニーの章を終え、先の見えない「保管」という章に進んでいた。
次なる章を思い描く3人のアイデアは異なる方向性を示してはいたが、どれもブルー仁王の未来にはふさわしく見えた。
2026年4月7日。
日本を旅行していたメノーさんが、岩屋寺に立ち寄った。
7年ぶりだという。
宍戸さんを始め、ブルー仁王プロジェクトの支援者数人と合流して、皆で寺へ行った。
仁王門がなくなってがらんとした参道を見ると、メノーさんは息をのんだ。
残された礎石をしみじみと眺め、深いため息交じりに「諸行無常とは、まさにこのこと」とつぶやいた。
そして気を取り直すように歩き始め、寺へと続く急な階段を一段一段数えながら登った。上までたどり着くと、息を弾ませながら「79段」と言った。
日本を訪れる前にイェッケさんから鍵を預かっていた私が寺の戸を開けると、メノーさんはぼろぼろの堂内を見回してから、残されていた古い仏具を一つ一つ手に取って調べ始めた。ポケットから小さな望遠鏡を取り出し、欄間なども観察した。
「古美術として価値のあるものは何も残っていません」と苦笑いしたあと、「それでも」と地元の人達に向き直った。
「そう遠くはない将来に、寺は倒壊するでしょう。これらの物品を放置しておけば、寺共々がれきの下に埋もれてしまう。その前にどこかへ運び出しておいてはどうでしょう?美術品としての価値はなくとも、寺の歴史を次世代に伝えることには役立つはずです」
すると宍戸さんが、「確かにそうですね。早速寺の持ち主であるオランダ側に確認をとってみます」と答えた。
元をたどれば、この「消えた仁王像」の物語は、メノーさんがその購入を決めたことから始まった。寺から流出して美術館に渡って以来、仁王像は、イェッケさんを筆頭に多くの人々を動かした。
アムステルダムと奥出雲人々の手で、ブルー仁王がつくられた。そのおかげで、長老たちが語る寺や仁王像の記憶に、皆が耳を傾けた。仁王門解体の前には山に祈禱(きとう)が戻り、昨年秋には原像にかわってブルー仁王が参道に戻った。
そしてこの日、一度は地域から見捨てられた古刹(こさつ)で、その歴史を後世に残す方法が話し合われていた。
仁王門跡には、今でも彼岸になると巡礼行者が訪れる。
「札うち」と呼ばれる地域色の濃い信仰で、主に前年に家族が亡くなった人が、死者の冥福を祈って地域の33カ所の「札所」と呼ばれる霊場を巡る。
奥出雲の歴史研究家である高橋一郎さんが記した「奥出雲」によれば、岩屋寺を札所の1番目とする「横田33番札所」を巡る巡礼行は、江戸時代前から広く普及していたと考えられている。明治末期や大正初期には3500人近くが札所を巡っていたというが、現在でも毎年数十人の人々が実践しているらしい。
この巡礼行者のことを、地元の人々は親しみを込めて「札うちさん」と呼ぶ。
そして、岩屋寺本堂に代わって札所となっていた仁王門がなくなった今は、近所に住む人が仁王門跡で待ち、コーヒーなどを振る舞って札うちさんをもてなしている。
寺としての実態はなく、辛うじて目印となっていた仁王門もなくなってしまったのに、なぜ今でも札うちさんは岩屋寺にやってくるのか。
そう地元の長老・森山成夫さんに尋ねてみると、「そりゃぁ、それが信仰心というものだからですよ」という答えが返ってきた。
「何もなくなってしまったけれど、そこが神聖な場所だったという記憶でもって、その神聖性を信じ続けられる気持ちそのものが信仰です」
来年もまた、札うちさんは仁王門跡にやってきて、近所の人がもてなすだろう。
たとえそれが、彼岸だけの、わずか一握りの人のためであっても、寺の衰退と共に失われたかに見えた岩屋寺山の神聖性は消えてはいなかった。
そのことを、ブルー仁王はより多くの人に再発見させた。
そして、そのブルー仁王の物語をこれからも動かし続けるのは、自らはもう二度と故郷の地を踏むことはないアムステルダムの仁王像だ。