災害多発国フィリピンで活動する若者ボランティア アートや音楽も活用
ルソン島のビコール大学は、マヨン山のあるビコール地方アルバイ州にある。ビコール大学の壁には、絵を描くことが許可されていて、地域のアーティストや若者が腕を振るっている。その中に、ひときわ目立つ赤い大きな鳥の絵がある。絵には、
「STAY SAFE AND BE PREPARED」(安全に、備えは万全に)
「WE CAN SAVE MORE LIVES IN LESS TIME」(より速く、より多くの命を救うことができる)
というメッセージが添えられている。
日本、インドネシア、韓国、スリランカ、バングラデシュ、フィリピンの6カ国が協力して、災害対応について学び合い、協力し合う国際機関であるアジアパシフィックアライアンス(A―PAD)。そのA―PADフィリピンで活動する若者ボランティアが描いたものだ。
ジョラム・バロンさんは大学で心理学の勉強をしている28歳。2022年からボランティアに参加している。壁画について「絵画は特に子どもたちの目を引き、興味や好奇心をかきたてます。絵に添えられたメッセージを読み、さらにいろいろ調べるかもしれません」。
バロンさんと一緒に絵を描いたボランティアのエドマー・バサロテさん(34)は公務員だ。彼自身も2006年の台風で家を失い、家族8人で避難した経験がある。バサロテさんは「私たちの目的はアートを通じて若い人たちにもっと災害に対して自覚的になってもらうことです」という。
バサロテさんのように、ボランティアのメンバーには被災した経験がある人も多い。
ポール・アルメンドラルさん(33)も公務員だが、バサロテさんが被災したのと同じ台風で、家族で命からがら自宅の屋根の上に避難して生き延びた。
「寝たきりの祖母を父が背負って、家族5人で屋根に上りました。洪水の水位が屋根ぎりぎりまで上がってきて本当に怖かった。強い風雨でほかの家の屋根や木が飛んでいました。雨が収まるまで4時間以上屋根の上にいなければなりませんでした。この経験が、私のボランティア活動の原動力になっています。被災者に『ありがとう』と言われると本当にやりがいを感じます」
壁画に加えて、ボランティアたちは音楽活動にも力を入れている。筆者がフィリピンを訪れた2026年5月の週末の夜、海辺の公園でギターやマンドリンによる屋外のミニコンサートを開いていた。募金箱やQRコードを使って、マヨン山の噴火による災害支援活動への寄付も呼びかけていた。
マヨン山はこの10年ほど、数年おきに噴火を繰り返している。今年1月からも断続的に噴火して火砕流や溶岩流などが発生し、6月でも3000人以上が自宅を離れて避難生活を強いられている。
大学生のバロンさんはギターを演奏していた。「もっと若い人たちにボランティアに参加してほしい。災害はどんどん大きくなっているし、政府の対応は全く足りていない。音楽はポジティブなエネルギーを生み出し、物語やメッセージを届ける手段になります。絵や音楽を通じて、私たちは人々に、災害への備えは私たちみんなの責任だと訴えたいんです」
もちろん、災害が起きれば、彼らボランティアは被災地に入ってさまざまな支援を行う。マヨン山の噴火でも、支援のための調査をし、食べ物や衛生用品などを配布した。調査を行ったバロンさんは当時のことを振り返る。「火山灰による雪崩で避難をした女性を訪問しました。灰のせいで視界はほとんどなく、しかも夕方でどんどん暗くなってくる。女性に『何も見えなくなる中で何が襲ってくるかわからない恐怖がわかりますか?』と言われました。こうも言われました。『私たちのことを気にかけてくれて、訪問してくれてありがとう』と。彼女は涙を流していました」
マヨン山の噴火で避難所暮らし
マヨン山の噴火では、いまもまだ避難所暮らしを余儀なくされている人たちがいる。1月からの噴火で123家族、433人が避難している小学校を訪れた。
赤ちゃんを抱いたアイリーン・ブリリアンテさん(30)は1月6日に避難してきたという。「1月13日が予定日だったんですが、噴火と避難の騒ぎのなか、産気づいて出産しました。夫は農業をしていましたが、家や畑に戻れる見込みはなく、今は運転手をしています」
噴火の日に生まれた男児、ケイデンブレル君は家で過ごしたことはなく、ずっと避難所暮らしのままだ。