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蹄の先に国境はない 競走馬を「つくる」町は馬によって「つくられ」てもいる

World Now 更新日: 公開日:
早朝の馬場には、調教される馬たちの息づかいと、規則正しい蹄の音が響いていた=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影
早朝の馬場には、調教される馬たちの息づかいと、規則正しい蹄の音が響いていた=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影

馬の力を見たい。そう思えば、多くの人は競馬場へ向かうでしょう。地を蹴り、弓のように身体をしならせながら疾走する姿は、見る者の血を沸き立たせます。その力はどこで、どのように生み出されているのでしょうか。

日本有数の馬産地、北海道日高地方。昨年テレビドラマ化された小説「ザ・ロイヤルファミリー」の舞台にもなった浦河町で、2月下旬のいてつく朝、デビューを控えた若い馬たちが白い息を吐きながら周回コースを駆けていた。浦河町にあるBTC(軽種馬育成調教センター)は敷地全体で1500ヘクタールに及び、馬の調教用施設だけでも400ヘクタールある。馬の背で手綱を取る乗り手たちを見ていると、すぐに気づくことがある。外国人の多さだ。

「モア・スローリー(もっとゆっくり)」

馬群に声を飛ばしたのは、町内有数の牧場、三嶋牧場の育成マネジャー藤井健太さん(36)。町内の牧場は、BTCが持つ馬のトレーニング施設を使い、馬を鍛える。藤井さんは「乗り手」たちをまとめる。自身も馬に乗り、昨年、宝塚記念(GⅠ)を制したメイショウタバルの育成も担当した。

「競馬がもたらす興奮にひかれる」と話す藤井健太さん=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影
「競馬がもたらす興奮にひかれる」と話す藤井健太さん=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影

この日、調教に出ていた馬の半数近くに外国人スタッフがまたがっていた。

「彼らがいないと、馬産業はもう成り立たないのが現実だ」と藤井さんはいう。

日高の牧場は、バブル崩壊や景気後退を経て、小規模な家族経営が減り、分業化と大規模化が進んだ。業務は早朝から始まり、力仕事やケガのリスクも伴う。若い担い手が減るなか、現場では外国人のスタッフが珍しくなくなった。

なかでも目立つのが、インド出身の「ホースマン」たちだ。人口約1万1000人の浦河町で働くインド人の数は、2025年時点で350人に上る。インドはかつて英国の植民地だった経緯から、競馬が文化として根付いた。そうした地から、馬を育成する技術にたけた人材が、よりよい待遇を求めて浦河町に流れ込んでいる。

インド出身のアブドゥル・ムサグイさん(30)は、サウジアラビアなど中東3カ国を経て日本に来た。自分の馬に乗る技術につく給料が高い国に移り住んできたという。「お金に加え、日本人は私たちに敬意を持って接してくれる。馬がいるところならどこへでも行くが、今のところはここが一番いい」と話す。

町役場で開かれた外国人住民向けの保険・年金説明会に出席した人々=2026年2月18日、北海道浦河町、高久潤撮影
町役場で開かれた外国人住民向けの保険・年金説明会に出席した人々=2026年2月18日、北海道浦河町、高久潤撮影

私が浦河町役場を訪ねた日には、夜に外国人住民向けの保険・年金説明会が開かれた。会場では日本語、英語、ヒンディー語が飛び交った。単身者が多かった時代を経て、いまは家族帯同も増えている。医療、出産、子育て、学校、生活相談。就労の窓口だけでは足りず、町は生活支援にも乗り出している。

地元の人に話を聞くと、「もちろん言葉の壁はあるし、昔のように日本人だけでできたら楽だとは思う」と打ち明ける人もいた。だが、こうも続けた。

馬に乗る技術を武器に、世界を渡り歩く=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影
馬に乗る技術を武器に、世界を渡り歩く=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影

「馬には人間の言葉はわからないから、国境は関係ない。馬づくりをするうえで、外国人の存在はありがたいことはあっても困ることはない」

馬を「つくる」この町は、馬によって「つくられ」てもいる。

ここで見えてくるのは、馬という動物の特殊性だ。人を集め、働かせ、土地の歴史を引き受けながら町のかたちそのものを変えていく。そんな力である。

そもそも、なぜ「馬づくり」が産業になるのか。競馬という、巨大で、華やかで、多額の資金が動く舞台があるからだ。日高で育てられているのは、レースで走るための競走馬、おもにサラブレッドという種類の馬だ。速く走ることを期待され、調教され、売買される。夢が語られ、同時に、はっきりとした経済の論理がある。北海道は国内の競走馬生産の大半を担い、なかでも「日高産」は全国の約8割を占める。

馬の存在が、町の独特な風景を生み出している=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影
馬の存在が、町の独特な風景を生み出している=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影

欧米では、サラブレッドとは別に、障害馬術や馬場馬術など「乗馬」に特化した種の繁殖も盛んだ。対する日本の特徴は、馬をめぐる世界の中心にサラブレッドがいることだ。国内各地の乗馬クラブでは、競走馬を引退したサラブレッドたちが、乗馬用に調教し直されて活躍している例が多い。

種牡馬(しゅぼば)(繁殖用の牡馬)の選定、種付け、出産、育成、セリ。1頭が競馬場にたどり着くまでに、何段階もの工程がある。生産者たちは日夜配合を考え、自分たちの牧場の牝馬(ひんば)が産んだ「よい」馬を、高値で売れるよう育てる。

売れなければ、その先は厳しい。売れたとしても、競馬で結果を残せなければ生き残れない。関係者の言葉を借りれば、馬は「経済動物」でもある。

「子馬が生まれる瞬間が一番緊張する」と辻陽さんは言う=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影
「子馬が生まれる瞬間が一番緊張する」と辻陽さんは言う=2026年2月19日、北海道浦河町、高久潤撮影

家族3人で営む様似共栄牧場を訪れると、経営者の辻陽さん(53)は、「ちょっと誤解される言い方になるかもしれないけれど」と前置きしたうえで、こう話した。

「馬が好きという感覚はない。自分が生まれた時から馬はいるから」

牝馬たちの腹には子馬が宿っている。自分たちの馬が大きなレースで勝つ。その瞬間を夢見て、何年もの手間と金を注ぎ込む。辻は「勝って感動できるのは1分くらいの間ですよ」と笑った。コストパフォーマンス、といった言葉とは無縁の熱が、その言葉にはにじむ。

だが同時に、勝てる馬を育てられなければ未来がないという現実にも、日々向き合っている。こと日高において、そこに生きる人々と馬とは、切っても切り離せない関係にある。