「世界で最も長い距離を複数の馬で走るレース」――ギネス世界記録がこう呼ぶ「モンゴルダービー」で、70歳のボブ・ロングが完走者の最年長記録を達成した。しかも、1着でゴールインした。
2019年8月15日。ゴールインの直後、ロングはフェイスブックのライブ配信で「何でもないよ」と言ってのけた。「650マイルを馬に乗って死の行進をしただけさ」。
モンゴルダービーは毎年開催され、モンゴルの草原1千キロを走破する。主催者の冒険旅行団体「Adventurists」のウェブサイトによると、モンゴル帝国の創建者チンギス・ハーンの情報伝達ルートをたどって40キロごとに馬を替えて競走する。レースは10日間以上に及ぶという(同サイトによると、Adventuristsはモンゴルダービーのほかに「世界を退屈させないために各地で障害耐久コースを設定している」)。
13年のモンゴルダービーでは、ララ・プライア・パーマー(当時19歳、訳注=英国人)が最年少で女性として初優勝した。彼女は、最近の回顧録「Rough Magic」で、同ダービーを「無名の自転車で走るツール・ド・フランス」と描いている。
今回優勝したロングは、米アイダホ州ボイシ出身のアマチュア騎手で、43人の対戦相手を退けた。彼の計算によると、7日半で計100時間、28頭の馬に乗って優勝した。
Adventuristsでモンゴルダービーを創設したトム・モーガンは、今回のレース担当責任者でもあった。彼は、スタート時点ではロングは優勝候補には挙がっていなかった、と言った。
モーガンによると、彼は毎年、何カ月もかけてルートを設定し、300から400のモンゴル狩猟家族の協力を得て、約1500頭の馬を用意する。そうして集めた馬はレースの参加者を乗せ、高地にある数々の峠や巨大な渓谷、森、川、湿地、砂丘、それに気温が極端に変わる広大な草原を駆け抜ける。
参加費は各人特注の鞍(くら)代、医療チームへのアクセス、馬の診療に当たる獣医師、その他の経費を含めて約1万3700ドルかかる。
「高齢の騎手はこれまでも参加した。彼らはさまざまな理由で悪戦苦闘した」。モーガンは19年8月20日のインタビューでそう語った。
19年のレースでは、鎖骨を折った騎手がいた。肺の一部が突然破れてしまった騎手や肋骨(ろっこつ)を折った騎手も出た(馬のけがはゼロだった)。
「冒険の神髄は、未知の状況が入り込んでくることだ」とモーガン。「最も豊かな体験というのは、完全には準備していない状況下で起きるわずかな混乱から生じる」と言うのだった。
しかし、ロングは今や「レジェンド(伝説的人物)」になった、とモーガンは明言した。
8月20日、モンゴルの首都ウランバートルから長距離フライトを乗り継いでボイシに戻ったばかりのロングに電話で聞いたところ、彼は久しぶりにベッドで寝るのに慣れてきて、胃腸もアメリカの食べ物になじんできている、と言った。
ロングは医療技術会社の最高技術責任者だったが、退職した。モンゴルダービーを追ったドキュメント映画「All the Wild Horses」を見て刺激された、と言った。
「私ならやれる、と15分で即断した」と言った。そもそもできないと考えるのが「嫌だった」とも語った。
ロングはワイオミング州で馬に乗って育った。そこにはモンゴルの草原のような広大な風景が広がっていたという。彼はレースに向けて精神的、身体的な準備をした。「(19年)1月に入ると、もう我慢できなくなってきた」と冗談を言った。
数カ月にわたって彼はモンゴルダービーで優勝した人たちと練習した。1日に4、5頭、馬が走れる限り乗りこなし、効率的に馬を乗り換える方法を身に着けた。この練習がレースで大いに役立ち、若い競走相手にも通用したと彼は話した。
「準備は若さに勝る」。ロングは断言した。
本番のレースでは、中継地にトップで着くたび、彼は乗り換えた馬に自宅から持ってきた青色のリボンを付けた。レース中に滞在した家庭の子どもたちに、いい香りのリップクリームや色鮮やかなステッカー、髪留めを贈った。そして遊牧民に贈るためにポケットナイフとたばこ2本が入った小袋を用意していた。
「私を手助けしようと、彼らが列を作るのに時間はそうかからなかった」とロング。
レース3日目、ロングは近道をして、他の騎手たちを抜いて先頭に出た。
先頭を行くリーダーというのは、気がめいるものだ、と彼は言った。「何もないところでは、正しい決定をしているかどうか確信が持てなくなり、誰かと相談して決めることもできない」
だが、ロングは子どもの頃から荒野でひとりぼっちでいるのに慣れ親しんでいた。
「神の恵みに感謝し、神に話しかける機会を私は得た」と言った。
彼は1969年の米映画「Paint Your Wagon」の挿入歌「There’s a Coach Comin’ In」も歌った。 モンゴルの遊牧民たちは、ほうびとして彼に1頭の馬を贈った。彼の娘はその馬を「ダービー」と命名したがっている。けれど、馬をどう持ち帰ったものか、彼も分からなかった。そこで、彼はその馬を現地で1年間世話してもらいたいと遊牧民に十分なお金を置いていったという。
ロングは、米国防長官のマーク・T・エスパーに接触しようと考えていると言った。というのも、エスパーは今年8月、モンゴル国防相から1頭の馬を贈呈されたからだ。ロングとしては自分の馬も何とか一緒に米国に運んでもらえないかどうか聞いてみたい、と。(抄訳)
(Emily S. Rueb)©2019 The New York Times
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