敬称も名前と一体化 姓のないミャンマーで家族の絆はどうなっている?

「朝日新聞の中川です。お忙しいところ、お時間ありがとうございます」「マヘーマーと言います。よろしくお願いいたします」
東京・高田馬場のマンションの一室で、お辞儀をして名刺を交換する。普段なら天気の話でも少しして取材スタートだ。しかし、今回は名刺を脇に置かずに、よく見てみる。
「NPO法人日本ミャンマー・カルチャーセンター 所長 マヘーマー」とある。やはり聞かないと分からない。「それでマヘーマーさん、お名前はどうなっているんでしょう?」
マヘーマーさんの本名は「ヘーマーウィン」。ビルマ語でヘーマーは「冬」、ウィンは父の名前の一部を受け継いだもので「光り輝く」の意味という。「マヘーマー」はビジネスで使う略称だ。
他民族国家のミャンマーで、人口の約7割を占めるビルマ民族の名前を説明してもらった。
ミャンマー人の名付けは伝統的に、生まれた曜日(水曜は午前と午後に分けて八曜になる)を重視し、それとひも付いた文字から始める。「ヘ」は金曜生まれを表す。曜日に関係する文字を最初に含み、好ましい意味を持つ音節を一つ以上使って名前をつくるという。
ただ、これらは「伝統的な原則」で、マヘーマーさんと、夫で法人理事長の落合清司さん(63)によれば、近年は「キラキラネーム」もあるという。日本と違って、読み方が分からないということではなく、音節の多さが一つ目の特徴だ。かなり以前は単音節の名前もざらだったが、今はほぼない。最も一般的なのはヘーマーウィンのような3音節だが、5、6音節の長い名前が存在するという。
もう一つは外来語などの影響で、9月生まれで「セッテンバー」という知人もいるとか。それぞれの音節にはビルマ語としての意味はなく、英語のセプテンバーからの借用だ。音節が少ないと同じ名前の人がたくさんになる。長くしたり、大胆に外来語を入れたりするのは、名前で個性を表現しようとする方法だという。
マヘーマーさんの最初の「マ」は女性への敬称の一つだ。学校で教師から呼ばれるのに始まり、社会人まで幅広く使われるという。年を重ね、社会的地位が高い女性には「ドー」をつける。民主化指導者のアウンサンスーチー氏は、ミャンマーでは「ドースー」と呼ばれる。
敬称を自ら名刺につけるのは不思議に感じるが、ミャンマーではこれらの敬称は年齢や地位と分かちがたい関係を持つため、アイデンティティーの一部になるという。マヘーマーさんは「自分をこう呼んでください、という意味です」と説明する。かつてミャンマー文字の解説本を出版した際、「ドーヘーマー」を使ったが、日本では「ひどいヘマ」と捉えられかねないため、使わなくなったとか。
単音節の名前もあると分かれば想像できるかも知れないが、ビルマ民族は姓を持たない。「ヘーマーウィン」は全てファーストネームだ。日本で「姓」と「名」をどうしても分けて書かなければならない場面では、便宜的に「ヘー」を姓に、「マーウィン」を名に分けて記入している。来日するミャンマー人にとって、よくある「困惑」の一つだという。
ビルマ民族は父方、母方のいずれの血筋も問わない「双系制」で、子々孫々や先祖代々といった物の見方をしない。このため、家や一族を区別する姓を必要としなかったとされる。
だからと言って家族の関係は「ドライ」ではなく、「絆はとても強い」とマヘーマーさんと落合さんは強調する。敬虔(けいけん)な仏教徒が多いことも影響し、「子どもは親に恩返しをしなければならないと教えられて育ちます。親や家族を思う気持ちは日本以上。来日して働いて、自分が食べるのを我慢しても家族や親類にまで仕送りするほどです。今の日本ではなかなかないですよね」と落合さん。
マヘーマーさんは通称として落合姓を使うことはあるが、結婚した際に自分の名前を変えたいとは思わなかった。「同じ名字にしたいという人はそうすればよいと思いますが、私は家族の愛と名字は関係ないと思います」。日本では女性が夫の姓に変えることが圧倒的に多い。これに関しては、「名前に相手の姓が加わるのはよいけれど、自分のもともとの名前の一部がなくなってしまうのは嫌ですね」と言う。
マヘーマーさんは落合さんとの結婚を機に、1996年に来日。日本の大学で学んだ後、2002年にセンターを設立した。以来20年以上、二人三脚で日本人向けのミャンマー語講座や来日したミャンマー人のサポートなどを続けている。2人を「別姓」夫婦と呼んで良いのか分からないが、ミャンマーが様々な困難に見舞われる中、長きにわたって培った関係はとても強いのだろうと想像する。
夫婦別姓議論で「家族の絆が弱まる」「家族の一体感が失われる」という反対論が聞かれる。しかし、そこで言われている「絆」や「一体感」とは、そもそも何なのだろうか?