韓国の徴兵制が超少子化でピンチ 救うべく民間が「老人軍」を設立、正規軍の反応は?

ソウル駅から車で20分。高層オフィスビルの空きテナントが目立つ一角に「シニアアーミー」の看板を掲げた事務所がある。片言の日本語と穏やかな笑顔で迎えてくれた4人の男性たちは、いずれも還暦を超えていた。
元東亜日報記者の団体代表、ユン・スンモさん(63)が、団体のホームページを開いて「シニアアーミーの誓い」と題した9カ条を指し示す。その一節は次のように宣言していた。
「国の人口危機を鑑みて、我々はいつの日か軍の予備役として役立つことができるよう備えます」――。
団体が独立法人として設立されたのは2023年6月。わずか1年半で会員は約2800人に達した。平均年齢約65歳、最高齢84歳。「3、4%」ながら女性会員もいる。元軍人のほかサラリーマンや自営業、医師などバックグラウンドは多岐にわたるという。「若い頃に様々な理由で軍役を免除され、その負い目を晴らすために参加している人もいます」とユンさんは言う。
人生の最終コーナーにさしかかった彼らを奮い立たせたのは、世界でも最速ペースで進む韓国の超少子化だ。北朝鮮の核やミサイルの脅威を常に警戒するこの国は、現在約50万人の現役兵を抱える。その大半は徴兵制で招集された満18歳から28歳までの男性たち。18~21カ月間の兵役義務が終わった後も8年間の予備役がある。その後も40歳まで毎年、民防衛隊の訓練への参加が義務づけられ、有事の際は国防に参加しなくてはならない。
しかし、韓国で2024年に生まれた新生児は25万人に満たなかった。2024年に韓国女性が生涯に産む子供の数が0.75人で、今後も低くなる可能性を考えると、軍の規模縮小は避けられない。このままでは130万人規模の現役兵を要する北朝鮮との兵力格差は開くばかりだ。
「現在の人口資源の不足は親世代が子供を産まないからだが、その親世代である私たちが責任を負わなければならないと考えました。もう十分に長く生きたので、まだ未来のある若い世代にはもっと長生きしてほしいという思いもあります」とユンさんは言う。
意気込みだけではない。シニアアーミーでは、体力の維持・向上を兼ねた「軍事訓練」を年2回行っている。昨年11月には全国7カ所の軍事演習場に計400人以上が集った。休憩を挟んで約4時間に及んだ訓練の山場は「市街地戦闘」と「射撃」。市街地戦闘は軍から貸与されたヘルメットと軍服、軍靴に身を包み、レーザー銃を手にした会員たちが7、8人の2チームに分かれ模擬戦闘を展開。サバイバルゲームよろしく、敵チームの身につけている受光器めがけてレーザー銃を撃ち合う。射撃訓練では数メートル離れたスクリーンに映し出された動く標的をレーザー銃で狙い撃った。
参加したキム・ヨンイルさん(65)は6年前まで正規軍の「大佐」だった。重さ約4キロの装備をつけて60~80歳の会員たちが想像以上に機敏に動き回る姿に驚いたという。「元職業軍人の目で見ても、新兵訓練を終えた一等兵レベルの実力はあると感じました。いつ敵が攻めてきても市街戦で迎え撃つことができます」
当初、団体は2泊3日での実弾訓練を希望したが、韓国軍にやんわり断られたという。軍側の勧めで、訓練場の管理者が見守るなか、傷害保険をかけて訓練に参加する今のスタイルに落ち着いた。今のところ、参加者の中でけが人や途中リタイアした人は一人もいないという。
ユンさんは言う。「一昔前とは違って、今の韓国の60、70代は毎日ハイキングに行くなどとても活動的で、むしろ20代の若者たちよりも健康な人もいるぐらいです。戦闘員でなくても、後方支援など別の形で国や軍の役に立てることもできます」
有事に備えて着々と準備を整える団体の思いとは裏腹に、今のところ国や軍から正式な協力要請がありそうな気配はない。
韓国社会も割れている。韓国メディアの最近の世論調査で、シニアアーミー支持は約56%、反対は約44%だった。支持の理由は「高齢者が若い世代と苦役を分かち合える」(46%)、「女性の兵役が兵員不足を解決する合理的な代替手段ではないから」(22%)など。一方、反対理由は「兵役を終えた男性を再招集するのは不公平だ」(33%)などを挙げた。
専門家はシニアアーミーの存在をどう見ているのか?
ソウルの祥明大学教授で国家安全保障が専門のチェ・ビョンウクさんは、シニアアーミーの軍や国防に対する情熱や献身は尊重されるべきだとしつつ、「実際に軍事組織に適用するには限界があります」と語る。
まず立ちはだかるのは年齢の壁だ。世界的に見ても60歳以上を対象にした徴兵制を採用している国・地域は極めて珍しい。チェさんは、「戦闘に参加するには年齢的に体力面で限界があります。例えば、警備任務を担当するにしても、軍が要求する特定の能力や資格が必要であり、単に意欲があるだけでは不十分です」と指摘。また、長幼の序を重んじる儒教の国で、年配者が若い将校の下で働くことは、軍の効率性の面でも問題が生じる可能性があるとも考えている。
世界各国で今、ジェンダー平等の観点から、これまでの一定年齢の男性への徴兵に加え、女性も志願制ではなく徴兵制に加える動きが出ている。
だがチェさんは、韓国での実現には否定的だ。「女性兵を受け入れるために軍施設の改修など多大なコストが必要になります。さらに少子化対策の観点から妊娠可能な年齢の女性を徴兵することには韓国社会では議論の余地があるでしょう」
ほかに、「超少子化」と「徴兵制」を両立させる妙案はあるのだろうか。
チェさんは一つの方策として、軍の少数精鋭化を唱える。現在、約50万人いる現役兵のうち約30万人が一般兵とされる。「その半分の15万人まで一般兵を削減し、その代わり将校や下士官などの幹部を増やして職業軍人中心の体制に移行させるべきです」と主張。現在200万~300万人といわれる予備兵役についても「規模が大きすぎる。むしろ削減して質を高めることを考えるべきです」と語る。
その一方で、人員削減を補うために欠かせないのが、AI(人工知能)や科学技術を活用した軍組織のハイテク化だ。「例えば昔なら戦車の乗員は4、5人必要ですが、最新機種は2人で対応できます。無人航空機(ドローン)やハイテク兵器を活用することで少ない人員でも高い戦闘力を維持できます」とチェさん。
ロシアが侵攻したウクライナの戦場では、無人機などを使っても結局は肉弾戦になってしまうという指摘がある。だが、チェさんはこう反論する。「ウクライナの広大な戦場と違い、韓国は国土も狭く、北朝鮮と38度線を境に対峙(たいじ)しているので、有事となれば短期決戦になる可能性が高い。北朝鮮も経済的に持久戦に耐えられず、シニアアーミーが訓練したような従来型の市街戦などでソウルが陥落するというシナリオはほぼゼロに近い」
徴兵制は韓国社会ではデリケートな問題だ。世界的なアイドルグループBTS(防弾少年団)ですら、メンバー7人全員が一般の人々と同じように兵役に就いた。
「公平性」が常に社会の話題となり、若者たちに負担を強いる徴兵制を止めて、志願兵を募る公募制などに移行すべきだという声がたびたび持ち上がる。
だが、チェさんは「公募制では必要な人員を確保できる見込みがなく、かえって政治的な公約として利用されるリスクがある」と指摘する。「私自身はむしろ、公募制の方が望ましいと考えています。しかし、あまりにも急激な人口減少が起きている現状では、残念ながら転換は難しい。徴兵制を維持する道を考えるほかないのです」