揺れるグリーンランド住民の本音は デンマークに複雑な感情、忍び寄るトランプ氏の影

小船がパタパタとエンジン音を響かせながら、続々と岸辺に戻ってきた。船体には飛び散った魚の血がこびりついている。口ひげが凍りついた男たちはアザラシを食肉用に解体している。
グリーンランドの北極圏にあるイルリサット市(訳注=グリーンランド西岸中部に位置し、人口は約5千人。氷河を観察できる世界遺産「イルリサット・アイスフィヨルド」で知られる)。小さな街のこの港を見下ろす2階建ての建物で、市長を務めるパレ・イエレミアッセンが勤務し、この日は忙しくなった。
吹きすさぶ強風のために氷穴釣りの最適な場所へつながる道がごっそりと寸断されてしまった。漁師たちはこれにいらだち、なかにはホッキョクグマの毛皮でできたズボンをはいたままの足で地団太を踏む男もいた。
この街よりもさらに北にある集落でも、氷が薄すぎて通行できない場所が広がった。グリーンランドの住民はこうした状態を「若い氷」と呼ぶが、こんな真冬にこんなに若いはずではなく、気候の変動に伴う悩ましい現象の一つとされている。
イエレミアッセンが村人たちへ救援物資をヘリコプターで緊急輸送する態勢を早急に整えることができないと、ふだんは雪上車や犬ぞりで移動する村人は食料が欠乏する事態に陥るだろう。
グリーンランド西岸では、氷が生活を支配する。果てしなく広がる雪原に無数の氷の結晶がキラキラ輝く。半ば氷結した海面からそそり立つ氷山はサファイア色の輪郭を風景に刻み込む。
しかし、もっと大きな課題が市長や多くの住民の心に重くのしかかっている。つまるところ、この一語に尽きる。「トランプ」だ。
グリーンランドをかつて植民地化したデンマークは、今も政務の多くを管轄している(訳注=2009年に行政権や資源管理権はグリーンランド自治政府に移譲されたが、外交、軍事、通貨・金融政策などはデンマークが権限を保持している)。ところが、米大統領トランプがグリーンランドを領土として獲得する意向を示し、しかも武力を行使する可能性を排除しなかった。
イエレミアッセンは「彼(トランプ)が来たら、私たちは何をできるだろうか」と自問し、「私たちは米国人にはならないし、ヨーロッパ人にもなりたくない。私たちはグリーンランド人でいたいんだ」と明言した。
ニューヨーク・タイムズの記者たちが、ほぼ2週間にわたって飛行機、船、四輪駆動車、雪上車、犬ぞりで移動しながら、グリーンランド各地の酒場の従業員や漁師から政治を動かす人たちまで数十人の住民に取材すると、これと同じ発言が繰り返された。
トランプの領土に対する欲望と、グリーンランド人について「私たち(米国人)と一緒になりたがっている」と決めつける態度について質問をした回答だ。
島民の意見の一致は明確だった。つまり、グリーンランド人たちの感じていることは、デンマークに支配される期間が長すぎたということと、植民地的な体制を押しつける新たな支配者を望まず、とくにこれまで以上に強大で親分風を吹かせる支配者を拒否したいということだ。
最近の世論調査によると、人口約5万6千人と少ない住民のうち、米国の一部になりたくないという回答が85%を占めた。それでも、米国政府とのより緊密な関係の構築を望む声は多かった。
グリーンランドはその存在がほとんど注目されることがなかった巨大で謎めいた島だった。しかし、米国とのこの相反する緊張関係のために地政学上、自身では制御不能な混乱に陥っている。こうした状況は欧州を根底から揺さぶり、トランプからロシアを抱き込む融和策を突き付けられたことも絡んで、グリーンランドの領域をはるかに超えて影響が広がる可能性が出てきた。
デンマークは決定的な対立に陥る可能性を心配している。米大統領がグリーンランドを武力で奪う可能性を示唆した事態を受けて、欧州各国の首脳はデンマークを支援する方針を表明した。フランスは軍隊を派遣することまで提案した。
米国、ロシア、中国のような超大国は、グリーンランド周辺の北極海航路に関し、軍事面や経済面での利用機会を見定めようと調査し、有利な立場を手に入れようと画策している。
しかも同時に、島内の未開発の鉱物資源に突然、熱い関心が高まっている。トランプの盟友を含む米国の主要な投資家たちは、ニッケル、鉄、レアアース類に期待を寄せている。鉱物資源の大部分は凍土や氷層よりもかなり深い位置に眠っており、氷層の厚さは一部で2マイル(約3.2キロ)にも及ぶのだが。
中国もまたグリーンランドの鉱物資源に狙いを定めている。そして、グリーンランド人は、誰もが自分たちの一部を欲しがっていると感じることに慣れていない。
グリーンランド人はロシア、アラスカ、カナダに広がる大きなイヌイットの共同体の一部であり、多くの住民はアザラシを狩り、時にはクジラも捕獲する伝統的な暮らしを今も続けて、地球上で最も厳しい環境の一つの下で何とか生計を立てている。
彼らは長い間、疎外され軽視されてきたと感じ、かつて宗主国として管理したデンマーク人たちに対する怒りを募らせてきた。デンマーク人たちは1721年に初めて来訪し、現在も外交、防衛、警察権を担っている。
いまやトランプが島を支配する意思を示したことが契機になって、グリーンランドはデンマークからいくつかの主要な譲歩を取り付けている。トランプはデンマーク人をあざけりの対象にしている。
トランプは最近、デンマークのグリーンランドを防衛する取り組みについて、「彼らは2週間前、2台の犬ぞりを設置した。それで防衛できると思ったのだ」と言い放った。
グリーンランド人の多くがトランプのファンではないと明言したが、彼がデンマークを馬鹿にする様子を見て喜ぶ人も多い。取材に対し、グリーンランドは米国にのみ込まれる事態にさえならなければ、これをきっかけにして最終的には自分たちの主権国家を獲得できるのだ、と自信たっぷりに話す人が多かった。主権国家はほかのどのイヌイット共同体も、これまでに達成できなかったことだ。
「私の知り合いはみんな、一連の経緯は爆笑ものでばかげているが、とても結構なことだと言っている」と鉱山会社幹部のスベン・ハーデンバーグが話した。デンマークのネットフリックスで偶然にグリーンランドを取り扱い、人気が急上昇したシリーズで最近、スターになった人物だ。
「あの手この手で私たちを支配しようとする人たちがたくさん出てくる。だから私たちは今、どうしたら自分たちのために最善なのか、米国とデンマークが提案できることをじっくり見定め、はかりにかけなければならない」と述べ、「いまが、まさに私たちにとって大切な時期だ」と言い添えた。
政庁所在地のヌークで2025年1月のある日の午後、自治議会議員のクノ・フェンカーが不満をあらわにした表情で記者会見場から立ち去った。自治政府首相のムテ・ボーロップ・エーエデが独立に関する質問へのコメントを避け、政府が今は独立を目指すべきではないと考える理由を明確に答えるのを拒んだ後のことだ。
フェンカーは、グリーンランドがデンマークから離脱するための交渉を直ちに開始することを求めている。
「なぜ私たちが国際社会の一員になってはいけないのか?」とフェンカーは問う。「国連の一員になることが、なぜ許されないのだろうか。漁業や捕鯨やすべての分野の国際機関のメンバーになることが、なぜできないのだろうか。そうした決定を下すのが、なぜデンマーク人の男女なのだろうか」
多くのグリーンランド人たちと同様に、彼はグリーンランドが独立するべきだと考えている。しかし、それと同じくらい重要なこととして、彼を含む住民の多くが米国と緊密な関係を築くべきだと主張している。米国との関係が密になれば、投資の誘致と貿易の機会を増やせるし、ロシアや中国のような国から難題を突きつけられる事態を防止することができると信じているのだ。
フェンカーのグループが期待している展開は、グリーンランドがデンマークから離脱する際、米国政府と自由連合協定を結ぶことだ。米国がマーシャル諸島、ミクロネシア連邦、パラオと結んだ協定と同様のものだ。南太平洋にあるこの三つの小さな独立国は、米国の軍事防衛力や数百万ドルの援助に深く依存している。
このシナリオは、米国がグリーンランドを単に領有するべきだとしたトランプの主張とは異なる。
彼はグリーンランドの何に固執しているのかを十分に説明してこなかった。1期目にはデンマークからグリーンランドを購入しようとして実現できず、「経済安全保障」や「世界中の自由」のために重要だと言っただけだった。トランプが最終的にどんな種類の取り決めを受け入れるのか、本当のところは誰にも分からない。
現状、グリーンランドは米国によって一定程度防衛されている。北部の小さな米軍基地に約150人が駐留し、ミサイル防衛と宇宙監視に絞った任務を担っている。
しかし、研究者たちによると、北極圏は地球上の他の地域と比べてほぼ4倍の速さで温暖化が進んでいる。極地の氷の融解が進むにつれて、地域全体が立ち入りやすくなり、争いの火種が増えている。ロシアや中国が欲しがっているグリーンランド周辺の航路もその一つだ。
デンマークが強調し続けているのは、グリーンランドには自らの運命を決める権利があるということだ。デンマークとグリーンランドの法律によると、グリーンランドには独立を問う住民投票を実施する権利がある。これまで実施されなかった理由は、わかりやすい。
グリーンランドの経済は規模が小さく、基幹産業はほぼ漁業に限られ、デンマークからの毎年数億ドルの資金援助に依存している。この資金で道路が整備され、安いガスが供給され、質の良い教育や無償の医療も住民に提供される。グリーンランド人が手放したがらないスカンディナビア的な生活水準が保たれているのだ。
「私たちはここにいて幸運だ」。猛烈な風と零下の気温というひどい悪天候だったある日、引退した元会社員フィン・ダムガードは図書館へ行く途中、ヌークの数少ないショッピングセンターのベンチで休憩がてら体を温めていた。
書物を読んだりテレビを見たりすることで、米国の貧富の格差の大きさやアラスカ州でのイヌイットの人々に対する処遇を知ったと話し、「良くないことだ」と批判した。
ダムガードも他の人たちと同様、グリーンランドは独立を追求するべきだと信じているが、今がその時だとは思っていない。「私たちはまだ独立の準備が整っていないと思う。収入を増やす手立てを創り出すことが必要だ」
彼はその手立ては「採鉱だ」と断じる。
「グリーンランドは地質学者にとって天国のような所だ」と鉱山技師のクパヌク・オルセンが言った。ほかにSNSのインフルエンサー、母親、ハンター、シャーマンの従者と、多彩な顔を持つ女性だ。「私たちには金や鉄、チタンがある。ダイヤモンドさえ持っている。ルビーやレアアース類に加えて、ウランもある。こんなに多種類の鉱物に恵まれているのだ。しかし、現時点では生産基盤を欠いているために収益性がない」
グリーンランドの港は数少なく、しばしば氷に閉ざされ利用できなくなる。島の全面積は約80万平方マイル(約210万平方キロ)だが、舗装された道の全長は100マイル(約160キロ)に満たない。
有望な鉱物埋蔵地の多くはたどり着くのがかなり難しく、サンプルを掘り出して入手することだけでも非常に困難だ。まして氷山に閉ざされた港から輸送船を出航させるのはさらに難題だ。
それでも、国際的な鉱業会社の一部は事業に挑もうとしている。欧州とカナダの投資会社が所有するルミナは、塗装やガラス繊維に使う灰色がかった斜長岩を掘り出している。
ヌークから北に数百マイルの西岸沖にディスコ島があり、ジェフ・ベゾスやビル・ゲイツら億万長者の出資を受けている新興鉱業会社のコボルドがこの島でニッケルを採鉱してきた。
もう一つの有力企業クリティカル・メタルズはグリーンランド南部にレアアースの鉱床を保有し、ニューヨークの金融企業キャンター・フィッツジェラルドから大型投資を受けてきた。トランプ政権の商務長官ハワード・ラトニックが同社のCEO(最高経営責任者)を長年にわたって務めている。
近年、電気自動車などの新技術に使われるレアアース類の需要が膨大になっている。グリーンランドはレアアースも豊富だ。
中国はもう一つの有望なレアアース鉱山の株式を取得したが、環境に関する懸念のために操業は停止している。
中国政府は数年前、「鉱物資源の大きな可能性」があるとして、グリーンランドの地質学上の調査を委任した。しかし、「可能性」という言葉は今もそのままだ。
オルセンは「グリーンランドは巨大な保管所のようなもので、鉱物資源の価格が劇的に上昇して私たちが売却できる状況になるまで、そこに埋蔵されている」と話した。
2月中旬までの数週間、トランプ政権が監視するなかで、デンマークはグリーンランドが長年要求してきた政策の実施に同意した。たとえば、グリーンランド人がパスポートに記載される正当な国籍になる。また、グリーンランドは魚を海外市場へこれまでよりも容易に輸出できる。
デンマークはまた、北極圏での防衛支出の大幅な増額を発表した。これはグリーンランド人がかなり前から求めていたことだ。
グリーンランドの住民たちはデンマークに対する批判を徐々に強めている。デンマーク本土とその50倍の大きさの島の300年に及ぶ関係について、より広範な解釈の見直しが進んでいるのだ。
インタビューが明らかにしたグリーンランド人たちにとって重要なことは、強固な一体感だ。彼らのルーツは、気候が寒冷だが美しい郷土で数世紀にわたって生き抜いてきた小さな集団にある。
彼らは氷山や、太陽と氷を象徴する赤と白の旗、氷穴釣りや犬ぞりなどの伝統を誇りにしている。歴史の次の章で何が起きるとしても、彼らは自分たちにふさわしい敬意を確実に受けることを望んでいる。
トランプ支持派のSNSインフルエンサーの一団で、ふざけた動画で知られるネルクボーイズが1月にヌークを訪れた際、住民の多くは侮辱されたと感じた。
トランプが唱える「MAGA」(訳注=Make America Great Again〈米国を再び偉大に〉の略)と書かれた赤い帽子とパリパリの100ドル札を彼らが配ると、男性が「お前らは私たちを買えると思っているのか?」と叫び、1枚を真っ二つに割いた。
もしトランプが住民を買収しようとしているのなら、彼の厚かましい語り口は役に立っていない。
「彼が私たちを無価値だと思っていることを、私たちはよく知っている。なぜかというと、つまるところ、彼は取引をしようとするビジネスマンにすぎないのだから」とオルセンは言った。「私たちは備品ではない。植民地の立場をすでにたっぷりと経験し、もうあきあきしている」(抄訳、敬称略)
(Jeffrey Gettleman)©2025 The New York Times
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