「すべては天候しだい」。グリーンランドでの過ごし方を標語にすれば、こうなりそうだ。
淡い青色の氷河。氷山がいっぱいのフィヨルド。そして、思わず息をのむほど荒々しい風景。そんな自然に引きつけられて北大西洋のこの島を訪れる人は、すぐにその自然を敬わねばならないことを学ぶ。それで報われることだって、ときにはある。
2022年12月のある寒い日に、筆者は(訳注=グリーンランドの空のハブ)島南西部のカンゲルルススアークの空港にいた。北極圏の少し北側に位置し、かつては米軍基地として使われていたところだ。
出発が遅れたフライトを待っていると、Stale(以下、人名は原文表記)と名乗る親切そうなエア・グリーンランドのパイロットが話しかけてきた。「港までオスのジャコウウシの頭を取りに行くけど、一緒にどう」という誘いだった。いかにもご当地ならではの話だけに、(訳注=「旅」担当の筆者としては)拒めるはずもなかった。
午後のまだ早い時間というのに、もう暗くなろうとしていた。ピックアップ車に飛び乗ると、凍り付いた下り道を長いこと走った。海辺に着くと、Staleは頭を一つ回収した。記念のトロフィーにもなるし、角は彫刻や道具作りの貴重な素材にもなるとのことだった。
帰りは雪におおわれた山道を上った。満月が眼下のフィヨルドを照らし、そこにへばりつく街は月面基地のように見えた。無限とも思える暗い空間に、ちっぽけな人の営みのぬくもりをともしているようだった。
この日、筆者はカンゲルルススアークの空港に早めに着いていた。乗ってきたのはエアバス社の新世代ジェット機A330neo。仏トゥールーズの工場で完成したばかりで、エア・グリーンランドにとっては1号機だった。
大型ジェット機が発着できる長い滑走路は、島内にはわずかしかない。この空港にはその一つがあり、さらに先を目指す旅行者は、ここで小型のターボプロップ機に乗り換えねばならない。筆者が向かう中心都市ヌークや、氷に満ちたフィヨルドがユネスコの世界遺産に登録されている町イルリサットも、例外ではない。
この日のA330neo機には、グリーンランド自治政府(グリーンランドはデンマークの自治領で、ほとんどの内政について自治が認められている)の首相も乗っていた。着陸すると、数百人もが赤と白の自治領旗を振って出迎えた(訳注=カンゲルルススアークの人口は約500)。
新しいジェット旅客機の調達は、島の観光産業を活性化する政策の一環でもある。何億ドルも運輸・交通分野に投入し、ヌークとイルリサットに新たな滑走路とターミナルを建設する計画だ。自治政府の計画通りに進めば、いずれの町にも2024年までには大きなジェット機が直行し、海外からの旅行者を運ぶようになる。
自治政府首相のMúte B.Egede(1987年3月11日生まれ)は、最終的にはデンマークからの独立を目指しており、観光産業を経済的自立の大きな要素として重視している。自治政府は、石油の採掘を全面的に禁じ、増収の可能性がある鉱業の拡充にも慎重だ。レアアースの採掘計画の一つには、ウラン汚染の恐れがあるとして許可を与えていない。
「経済をもっと成長させる必要がある」。A330neo機がカンゲルルススアークに向けて飛び立つ前に取材すると、Egedeはこう強調した。「現在は、現金収入が漁業に偏っている。ほかにも収入源の開拓が必要で、観光はグリーンランドの将来の成長にとって重要なカギの一つになってくる」
まだ珍しい観光客
世界最大の島グリーンランド。面積は米テキサス州の3倍(訳注=日本の5.7倍強)もありながら、人口は5万7千に過ぎない。自治政府の観光局「Visit Greenland」(以下VG)によると、2022年の1月から9月までに島外から訪れた観光客は5万5千人弱。うち3万7千人近くはデンマークからだった。米国からはわずか2430人。直行便があれば、大幅に増えることだろう。
エア・グリーンランドのCEO、Jacob Nitter Sorensenは、「北米就航を視野に入れており、一番の目標はニューヨークへの乗り入れだ」と2022年に筆者に語った。実現すれば、中心都市ヌークへは米東海岸からひとっ飛び4時間のフライトになる。米国の利用者にとっては、いったんデンマークの首都コペンハーゲンに飛んで、折り返す形でしかアクセスできない(現在はグリーンランド便のほとんどがコペンハーゲン経由)という不便さの解消になる。
しかし、問題はそこから先にある。観光客の急増は、脆弱(ぜいじゃく)な観光基盤に大きな負荷をかけるだろう。そればかりか、この島を特別な存在にしている要素にも大きな課題を突きつける。
ここを訪れる人は、「最果て体験」を求めてやってくる。島の西海岸を飛んでみよう。無数のフィヨルドと氷河が続き、鳥やトナカイがいるだけだ。観光バスを見かけるより、ザトウクジラや小さな鯨のイッカク、ホッキョクグマやジャコウウシに出会う確率の方が高いだろう。
島民の一部が恐れるのは「アイスランド化」だ。あちらは、この10年で観光スポットとしての人気が爆発的に高まった。押し寄せる人波をさばくのが大問題になっただけではない。物価の上昇にも苦しむようになった。
もっとも、グリーンランドでは今のところ、そんな懸念は遠い先のことのように思える。観光客の姿はまばらで、まだ天候がすべてを左右する。
筆者がヌークにたどり着いたとき、予定していたのは、まず町を出て山中に行き、スノーシュー(訳注=洋式のかんじき)をはいて雪上トレッキングをすることだった。さらに、ボートでフィヨルドを見て回りたかった。もちろん、食事にも期待した。ディナーには、この島ならではの特別メニューを予約。トナカイやクジラ、ジャコウウシの料理が出てくるかもしれず、北極圏のハーブやベリーも味わえそうだった。
しかし、最初からつまずいた。トレッキングは、雪不足で中止。ボートも、風が強くて出せなかった。ディナーは、予約メニューが取りやめになった。特別コースを出すのに十分な客数が集まらなかった、とのことだった。
それでも、予定の一つはまだ生きていた。町はずれの「ガラスのイグルー(訳注=氷のブロックを重ねて造った先住民のドーム状の家)」に1泊する予約を入れていた。自分専用のホットタブ(温水浴槽)とサウナがデッキにあり、近くの入り江と山々の景色を見ながら楽しめる。
空港からタクシーに乗り、予定より数時間遅れでそこに到着した。何と、閉まっているではないか。とても寒かった。通り道はツルツルに凍っていて、危険がいっぱいに見えた。タクシーは、猛スピードで走り去ってしまった。仕方がないので、運営するホステルに電話した。だれも出なかった。
凍り付いた坂道を上り、幹線道路に出れば泊まれるところが見つかるかもしれないと覚悟を決めた。そのとき、1台の車が止まり、イグルーの共同経営者Gerth Paulsenが降りてきた。設備を説明し、ホットタブに湯を入れ、ピーナツ一袋と地元のビールを私に手渡すと、車で夜陰に消えた。
筆者はたった1人、ガラスのイグルーに取り残された。
でも、周りには起伏に富んだ地形がパノラマのように広がり、キャンプをしている感じにもひたることができた。違うのは、暖房がとてもよく利いていたことだ。
開発のバランスをどう保つか
島内の観光基盤は不十分だ。それでも、新しい滑走路とターミナルがヌークとイルリサットにオープンする2024年までには、できるだけ現状を改善することを関係当局は望んでいる。
「ホテルやレストラン、感動的な体験スポットをもっと増やさねばならないという圧力がかなりある」と観光局VGのCEO、Anne Nivíka Grodemは率直に認める。一方で、「グリーンランド固有の価値観に基づいて持続可能な観光開発を確保する必要もある」と指摘する。
例えば、フライトの便数をどこまで増やすか。雪と氷が売り物のところに、地球温暖化の大きな要因とされるジェット旅客機で行く。そのバランスをどう取るかは、難しい選択になるだろう。
その点で、「すべては天候しだい」という言葉が、問題解決の呪文になるのかもしれない。天候に対して無力であることさえ受け入れれば、日程のしばりから解き放たれる。そうすれば、「何でもありの世界」が開けてくる。
筆者の場合は、カンゲルルススアークでの乗り継ぎフライトの遅れが、山にまで行く探検につながった。ヌークに着いてからは、びっしり詰まったお出かけの日程がすっ飛んで、歩き回る時間を作り出してくれた。おかげで、古きよきデンマークがそのままいぶいているようなパブを見つけることができた。ディナーも予約通りにはいかなかったが、びっくりするほど手頃な値段で巨大なズワイガニの脚にありつけた。公立博物館を訪れ、イグルーで自分が享受したような暖房もない厳しい自然の中で、グリーンランドの先住民が千年も前にいかに繁栄していたかを学んだ。
確かに、筆者が立てた計画通りのグリーンランド体験にはならなかった。しかし、心に残る冒険になった。(抄訳)
(Gabriel Leigh)©2023 The New York Times
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