カナダの東海岸にあるニューファンドランド島。風の強いその北端で、考古学者の夫妻が古い入植地の跡を見つけたのは、60年前のことだった。
8棟あった木の構造物は、大西洋を隔てたグリーンランドのバイキングの建物と似ていた。銅製のマントの飾りピンといった工芸品も発掘され、古代スカンディナビア風の特徴をよく残していた。
「ランス・オ・メドー」の名で知られるこの遺跡は、グリーンランドからやってきたバイキングが住んでいたというのが今や定説になっている。アメリカ大陸で、間違いなくバイキングがいたことが確認されているのは、いまだにここしかない。
この遺跡をめぐる謎も多い。入植したのは、実際はどんな人たちだったのか。なぜ、やってきたのか。そして最大の謎は、いつここに住んでいたのかということだった。
時期の特定は難航した。ランス・オ・メドーの出土品を放射性炭素による年代測定で調べても、8世紀の終わりから11世紀にかけてとしか分からなかった。それは、バイキングが活躍したとされる時代全般と重なっているに過ぎなかった。
ところが、この年代の謎を解き明かす研究論文が、2021年10月の英科学誌ネイチャーに掲載された。
手がかりは、遺跡に残されていた木片だった。その年輪には、珍しい太陽嵐(訳注=太陽での大規模な爆発で起きる現象)の痕跡が刻まれていた。そこからこの古代スカンディナビア人たちが、いつニューファンドランド島にいたのかを特定するのに成功した。
それは、1021年。今からちょうど1千年前だった。
いつバイキングがランス・オ・メドーに住んでいたかをより正確に知るのは重要なことだ、とマイケル・ディーは指摘する。オランダ・フローニンゲン大学の地球科学者で、今回の論文を書いた一人だ。
「人類が大西洋を渡ったのは、これが初めてだった」。だから、その時期が分かれば、人類の世界的な移動の歴史の節目を特定することになる、というのだ。
そのために、ディーらの研究陣は、この遺跡で1970年代に発掘されていた三つの木片を分析した。木の種類は、みな違っていた。いずれも樹皮が付いており、おのと見られる金属製の道具できれいに切られていた。
「それは、バイキングが手を加えた証拠でもある」。フローニンゲン大学の考古学者で、今回の研究にも加わったマーゴット・カウテムスはこう説明する。「当時の先住民は、金属製の道具は使っていなかったからだ」
三つの木片を研究室に持ち帰ると、カウテムスはそれぞれの木片を一つの年輪ごとに丹念に切りはがした。1本の髪の毛を切り裂くような細かな作業だった。「手術用のメスを使ったが、それでも刃が厚過ぎることがときどきあった」
木の毎年の成長を示す年輪のこの試料を分析し、そこに含まれている炭素を分離した。もともとは地球の大気中にあったもので、「葉の光合成によって木の内部に取り込まれた」と先のディーは補足する。
大気中の炭素のほとんどは、炭素12が占めている。陽子6個と中性子6個から成る安定同位体だ。極めてまれだが、(訳注=中性子の数が2個多い)放射性同位体の炭素14もあり、「放射性炭素」とも呼ばれている。こちらは、太陽もしくは太陽系の外からもたらされた高エネルギー粒子の宇宙線が、大気中の原子とぶつかり、作用し合うことによってできる。
宇宙線は比較的一定の割合で地球に降り注いでいる、と専門家は見ている。このため、大気中の炭素14と炭素12の比率は、昔から長いことほぼ安定していると考えられていた。
ところが、この見方を変える発見が2012年にあった。日本にある2本の杉(訳注=屋久杉)の年輪を調べたところ、その一部に説明不能なほど高い放射性炭素の比率が見つかったからだ。774年から翌年にかけてのことだった。
放射性炭素比率のこの急上昇は、(訳注=太陽嵐などによって生じるとされる)「三宅事象」として知られている。名古屋大学の宇宙線研究者で准教授の三宅芙沙が発見した。
その後、年輪に刻まれた記録の分析から、この他の年にも三宅事象が観測されているが、極めてまれな事例にとどまっている。「今のところ、過去1万年で三つか四つの時期にしか現れていない」とディーは語る。
その珍しい事象が、バイキング時代の993年にも起きていた。世界中の木が、このころに炭素14の急増を示している。ランス・オ・メドーで見つかった木片も、例外ではなかった。
アメリカ大陸でただ一つ確認されているバイキングの入植の時期は、具体的にはいつだったのか。それを探り出せるのではないかという期待から、ディーの研究陣は年輪年代学と天体物理学の結合に取りかかった。一見、まったく縁のなさそうな学問同士だった。
「これで事態はがらりと変わる」。そんな手応えを感じた、とディーは振り返る。
分析の結果、三つの木片ともに樹皮から28番目の年輪で、放射性炭素の明白な増加を示していた。この年輪こそ、993年にできたに違いない。三宅事象は長い間隔をあけて起きており、この木片ではその年以外にこの事象が刻み込まれることはありえなかった。
木片の内側にある年輪ができた年が分かれば、「あとは外側に向かって刃物が当たった樹皮まで数えるだけ」とディー。三つの木片とも、1021年に切り取られていたという計算になる。
これまでは、ランス・オ・メドーにいつ人がいたのかという時期については、「あいまいな推測」に過ぎなかった――米コーネル大学の考古学者で、コーネル年輪研究所長のスタート・マニング(今回の論文には関わっていない)はこう話す。「ところが、そこに特定の年を示す動かぬ証拠が出てきた」
ただし、ランス・オ・メドーのすべての謎が解けたわけではない。
「住んでいたバイキングについては、まだ分からないことが多い」と古代スカンディナビアで使われた古期ノルド語の文学と文化を研究するコロラド大学の歴史学者マティアス・ノルドビグ(やはり、この論文には関わっていない)は語る。そして、こう自問する。
「この入植地の重要性は当時、どこにあったのか。入植者たちは、ここからいったいどこに行ったのか」(抄訳)
(Katherine Kornei)©2021 The New York Times
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