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富士山麓に移住したフリーアナ富永美樹さん 大自然と人生を重ね、マザーツリーに共鳴

World Now 更新日: 公開日:
フリーアナウンサーの富永美樹さんは「40代後半からかな、心に余裕がでてきて、50歳を超えて、人生を折り返したなという感覚があります。自分だけではなく、自分が住んでいる社会や地域、地球にちょっとでも貢献したいと考えるようになっています」と話した=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影
フリーアナウンサーの富永美樹さんは「40代後半からかな、心に余裕がでてきて、50歳を超えて、人生を折り返したなという感覚があります。自分だけではなく、自分が住んでいる社会や地域、地球にちょっとでも貢献したいと考えるようになっています」と話した=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影

森林の木々同士にコミュニケーションがあり、老木のマザーツリーが若木に養分を分け与えている。最新の研究の概念に共鳴しているのが、森林好きのフリーアナウンサーの富永美樹さん(54)だ。11年前から富士山麓に拠点を構え、ガーデニングの会社を立ち上げた富永さんに、マザーツリーへの思いを聞いた。

――なぜ森林にひかれるようになったのですか。  

(フジテレビの)アナウンサーとして働きましたが、結婚し、27歳で専業主婦になりました。子どもを授からず、私自身は当時、葛藤もありました。

結婚して2、3年たったころ、夫がキャンプに行きたいと言い出しました。最初は仕方がないなぁ、一回ぐらい付き合うかと。でも行ってみたら、楽しかった。大自然の中で食べたらおいしいし、たき火して火を見たら癒やされる。空気もきれいで、星空も満点で。森や木があるってすばらしいなと。

世界の大自然をめぐって

そうすると、いろんな大自然を見たくなって、米国とかカナダとか国立公園をまわりだすんです。米国の国立公園には、世界一大きな木があった。世界一大きな「Living Thing」って紹介されていました。80~100メートルくらいの高さがあるんですよ。

神社でご神木を見ると、パワーがもらえる。雷にあたって上が折れたり、焦げたりしても生き続ける。半分死んでも、半分生きている。何千年も生き続けるって、どういうことなんだろう、と。生命力を見習いたいな、と。

(褐色の独特の形をした岩山が立ち並ぶ、昔の西部劇などでもおなじみの)米国西南部のモニュメントバレーに行ったときも、赤い長い石の山が、風で削られて、手袋みたいな形になっていた。どれだけの時間がかかるのだろうか、と。

地球規模で考えれば、自分の人生なんて一瞬です。どんな風に生きて、楽しめるのか。大自然に抱かれるようになってからは、いかに自分の人生を自分らしく全うするかを考えるようになりました。

なぜ森林が好きなのか。フリーアナウンサーの富永美樹さんは「美樹という名前のせいか、子どもの頃から木が好きで。近くにあるクスノキにもよく登っていました」と振り返った=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影
なぜ森林が好きなのか。フリーアナウンサーの富永美樹さんは「美樹という名前のせいか、子どもの頃から木が好きで。近くにあるクスノキにもよく登っていました」と振り返った=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影

――その中で、森林の中で暮らされるようになりました。

木に囲まれている方が、穏やかな気持ちになったり、素直な気持ちになれるんでしょうね。東京と往復する2拠点目を構えて11年になります。住んでいるのは、標高3776メートルの富士山の中腹の1150メートルの森の中です。針葉樹林の独特の香りがあって、気に入りました。標高も高いので、寒くて空気がピンと張りつめた感覚もあって、深呼吸すると、引きずっていた思考がリセットできるんです。

(東京の)アナウンサーの仕事は好きですが、生まれて初めてここに住みたいと思ったところでもあるんです。たぶん私の人生に必要だった。魂が求める場所みたいです。

「隣人」の動物たちから学ぶ

――大自然の中の暮らしのようですね。

冬になると、ご近所さんは動物の方が多いです。もののけ姫にでてくるような鹿も来ます。こっそり伺うように(笑)こちらを見ている。リスもウサギも、タヌキもキツネもいます。

夜、庭に椅子を出してたき火をしながら、待っていると、座布団のように大きいムササビがひゃーっと上を飛んでいく。夜行性だから昼間は見られませんが、いつも飛ぶルートが決まっていて、爪を立てた、ちゃっていう音がする。あっちで聞こえて、こっちで聞こえて、うちの屋根を通り越して、隣の家の木に飛んでいく。

森の生き物たちも必死で生きているじゃないですか。生きているだけで仕事。命って生きているだけでありがたく、素晴らしいんだね、と改めて感じています。

フリーアナウンサーの富永美樹さんは、移住した山梨県でできた友人に声をかけられてガーデニングの店「niwa to ki terrace」を始めた。「地域でちょっとずつ感性の合う人と知り合って、また紹介してもらって同じ価値観をもっている人とつながっていく。そんな広がり方をしています」=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影
フリーアナウンサーの富永美樹さんは、移住した山梨県でできた友人に声をかけられてガーデニングの店「niwa to ki terrace」を始めた。「地域でちょっとずつ感性の合う人と知り合って、また紹介してもらって同じ価値観をもっている人とつながっていく。そんな広がり方をしています」=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影

――ご自身が変化した部分はありましたか。

自然の中で暮らすようになって、より自然の営みを人間社会、人間の人生に重ね合わせながら見るようになりました。桜でも、いろんな桜があって、花の色も、大きさも、高さも、同じ種類でも生えている場所で咲くタイミングも違う。それぞれに順番があるんだねって。それに気づけばいいんだと思いました。

あの人、いまがんばってすごい脚光を浴びている。でも、私のところにはまだ日が当たっていない。でも太陽が動いたら、日があたる。自分も絶対咲く時がくる。同じ大輪じゃないかもしれなくても。もちろん咲いても弱くなっていくものもある。でもそれは順番だから。

若い時は、焦りもありました。でも自然の営みを見ていると、いつか自分にも順番がまわってくる。そう信じられるようになった。今は蓄えておけば大丈夫って。いま命を与えられ、何ができるんだろうって謙虚な気持ちにもなりました。

――最近、山梨県でガーデニングの会社を立ち上げられましたね。

コロナで、東京の仕事がほぼ止まったときは、山梨の家でガーデニングをする時間があったので楽しくやっていました。その姿を見た地元の友達が一緒にやらないかと声をかけてくれたんです。

フリーアナウンサーの富永美樹さんが、アナウンサー業を再開したのは36歳だった。8年間の専業主婦時代、テレビを見ていて、いろんなアイディアが広がり、「やっぱり人の話を聞く仕事がしたいと思った」。フジテレビのアナウンサーだった時代はこなすことが精いっぱいだったというが、「いまは試行錯誤のトライアンドエラーを繰り返しつつも、120%がんばって、90点以上は常にとっていきたい」。=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影
フリーアナウンサーの富永美樹さんが、アナウンサー業を再開したのは36歳だった。8年間の専業主婦時代、テレビを見ていて、いろんなアイディアが広がり、「やっぱり人の話を聞く仕事がしたいと思った」。フジテレビのアナウンサーだった時代はこなすことが精いっぱいだったというが、「いまは試行錯誤のトライアンドエラーを繰り返しつつも、120%がんばって、90点以上は常にとっていきたい」。=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影

ガーデニングで貢献したい

庭づくりは、この地域にも、地球環境に少しでも貢献できる仕事だと思っています。庭は外から見えるものなので、このエリアの住環境がよくなれば、世界から来た人が「このエリアすてきだな」って思ってくれるかもしれない。

森や動物たちにもちょっとでも恩返しというか、彼らにありがとうね、私は木を植えていくよ、というような気持ちです。自分がいなくなっても、会社が残って、次の世代の人が庭に木を植えることを続けてくれれば、と。

――素敵なお店ですね。

「niwa to ki terrace」という名前で、「庭と木」という意味も、「庭時」という意味もあります。

身近な小さな命を慈しむ行為は心の豊かさにつながるし、土をさわるようなことは、現代人の癒やしにもなります。植物って、ちょっとした変化なんですよ。寒いのにすごくちっちゃな芽がでているとか、地面も凍るような土地なのに春になったらまた葉っぱを出すんだね、とか。めでてあげないと気がつかないけどその命はいとおしい。みんながんばっているということを感じるだけで励まされる。庭で過ごす豊かな時があると、ものの見え方が変わってくる。そういう時を過ごしてほしいと思ってつけました。

森の暮らしで感じる危機

――温暖化の影響を感じられる面がありますか。

富士山を見ると、びっくりするのですが、この10年でも夏は5合目を超え、上の方まで緑が増えている。冬も、初冠雪が遅くなり、河口湖も凍らなくなった。目に見えてすごく変わっていて、怖いです。ここに生きる動物にとっては死活問題じゃないですか。

(アナウンサーの仕事を通じて)若い人たちと話します。そうすると、気候変動や温暖化は自分事なんですよね。私たちの世代だと、もう(本当の危機は)自分たちが死ぬ頃だと思っているかもしれない。でも20代やその下の世代は、命にかかわることで、地球のこれからに貢献する研究をしている子がすごく多いのです。そうしたことに勇気をもらいながら、私も、ちょっとでもお手伝いができればと思っています。

元フジテレビのアナウンサーといっても、再開は順風満帆ではなかった。TBSの「はなまるマーケット」のリポーター役も一度は断られたというが、みずから直談判しにいって採用されて仕事を広げていった。「除雪車のように(笑)。遠回りし過ぎで、世渡りはうまくないと思います。でも一度決めたら一直線。ちゃんと戦略をたててやっていきます」=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影
元フジテレビのアナウンサーといっても、再開は順風満帆ではなかった。TBSの「はなまるマーケット」のリポーター役も一度は断られたというが、みずから直談判しにいって採用されて仕事を広げていった。「除雪車のように(笑)。遠回りし過ぎで、世渡りはうまくないと思います。でも一度決めたら一直線。ちゃんと戦略をたててやっていきます」=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影

――森林の中のマザーツリーにも注目されているようですね。

3年ぐらい前、番組のロケで、山歩きをしていて「これがマザーツリーですよ」と言われたことがあるんです。この山の木、全部この木の子孫ですよと。素晴らしい木で、ああ、すごいな、木にお母さんがいるのか、とびっくりしました。こんな立派な森になったのはあなたのおかげなんだね、と。自然の営みの素晴らしさを感じました。

木って自分で生んだわけじゃないけど(養分を分け与える形で)マザーになるのか、と。今まで考えたことがなかった。でも人の手が入っていない山は、マザーがいてもおかしくないですよね。

いま富士山麓に住んでいて、樹海にも散歩に行きます。素晴らしい大自然の森で、富士山の溶岩が流れたところとそうではないところで植生が違うため、うっそうとしていた暗い森で、ぷわーっと明るくなるところがあるんです。溶岩が流れる前の当時のままの広葉樹が残っているからです。その中に、すごい太い立派な木が何本かあるんですよ。(マザーツリーを知ってからは)それがマザーなのかな、と。重鎮感があり、迫力がある。

マザーツリーにとって重要なのは根なんです。自分で選んだ土地や場所、仕事や環境で、どれだけしっかり根をはれるかが大事だなって。そして、私も、同じような気候変動の問題の解決をしようとしている次世代の人たちを支えられる、マザーツリーのような存在になりたいと思うようになりました。