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ウルトラマラソンランナー尾藤朋美さん 過酷なレースに笑顔で挑む「太陽のような人」

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
ウルトラマラソンランナーの尾藤朋美さん。走るときは笑顔を絶やさない。都心部の練習場所のひとつ、代々木公園で
ウルトラマラソンランナーの尾藤朋美さん。走るときは笑顔を絶やさない。都心部の練習場所のひとつ、代々木公園で=2024年7月23日、関口聡撮影

フルマラソンをはるかに上回る長距離を走るウルトラマラソン。なかでも、サハラ砂漠など厳しい自然の中を走るレースで力を発揮しているのが、尾藤朋美さんだ。なぜ、彼女はきつい環境に身を置き、走るのか。明るい笑顔の裏には、固い決意がある。

レース3日目は、黙禱(もくとう)から始まった。

世界一過酷なマラソン、と言われるレースがある。「Marathon des Sables」。直訳すると、砂のマラソン。アフリカのサハラ砂漠を6日間で250キロ走破するウルトラマラソン(超人レース)だ。

40年近く続くレースの中でも、2021年10月の大会は、とりわけ厳しい条件だった。照りつける日差しのなか、最高気温は50度を超えた。

尾藤朋美さん(34)はこの年、大会に初めて参加していた。足は砂に取られ、思うように進めない。2日目、男性ランナーが体調を崩して亡くなった。スタート前の黙禱は、彼に捧げるものだった。

レースでは、水は補給されるが、期間中に必要な食料などは自分で用意し、バックパックに背負って走らなければならない。寝泊まりは、簡素なテントで雑魚寝。過酷な環境に、最初の晩はキャンプ地でにぎやかだった男性参加者らが、日を重ねるにつれて静かになった。そして、うなるような響きがあちこちから聞こえた。体調を崩したランナーたちが嘔吐(おうと)する音だった。

サハラ砂漠の「砂のマラソン」を走る尾藤朋美さん
サハラ砂漠の「砂のマラソン」を走る尾藤朋美さん=2021年10月、本人提供

尾藤さんも、3日目から食料を受け付けなくなった。

途中の救助ポイントでは、タイムに2時間を加えるペナルティーが科されるが、点滴も受けられる。4日目、夜通しで82.5キロ走る大会最長区間の途中で点滴をお願いしたが、スタッフに「あなたは『点滴を打って』と頼めるから大丈夫。休んでいて」と拒まれた。もっと症状のひどい人たちがいて、点滴が足りなかったのだ。

足にはマメがいくつもできて爪は浮いてはがれ、耳も鼻も口の中も砂だらけになった。

それでも、サハラ砂漠は本当に広大で、走るのは楽しかった。夜に見る満天の星は、とにかく美しかった。

参加した約700人のうち半数ほどが途中棄権したレースで、尾藤さんは女子部門で準優勝した。「これは、普通のマラソンとは違う。単純に走る力だけじゃなくて、生命力も絶対必要なんです」

大学で保育を学んだ尾藤さんは、卒業後、東京都内の保育園に就職した。そのころ、糖質制限のダイエットをして、リバウンドした。数時間ごとに体重計に乗るほど追い詰められた。

「食事制限すれば、体重は減るけれど健康じゃない。ポジティブに健康を伝える人になりたい」と思った。保育士の日々は充実していたが、若いうちにしかできないことをと、トレーナーの養成カリキュラムを学び、2018年にパーソナルトレーナーの仕事を始めた。

「元保育士トレーナー」から転身

トレーナーとしての自分をアピールする材料がほしいと思っていたとき、「推し」のタレントの藤森慎吾さんが初めてのフルマラソン(42.195キロ)で4時間を切る「サブ4」で走ったことが頭に浮かんだ。自分も初マラソンをサブ4で走ったら、仕事にプラスかもしれない。

ウルトラマラソンランナーの尾藤朋美さん
ウルトラマラソンランナーの尾藤朋美さん=2024年7月23日、東京・代々木公園、関口聡撮影

中学時代はソフトテニス部、高校、大学ではチアリーディング部に入っていた。練習で走るのは嫌いではなかったし、高校のとき、マラソン大会で1位になったこともある。初マラソンとなった2018年3月、実際にサブ4で走り切った。

でも、トレーナーの自分には、何も起きなかった。サブ4は、市民ランナーが目指す目標のひとつだが、珍しい記録ではないのだ。

その年の12月、ランナー仲間たちとの忘年会で、サハラ砂漠のマラソンの存在を知った。これだ、と刺激を受けた。同時に、完走しただけでは注目されないと思った。だから、「サハラ砂漠を走って優勝します」と公言し、2020年の大会を狙って練習に打ち込み始めた。

ただ、課題は費用だった。過酷な場所で運営するだけに、このときの参加費は3170ユーロ(約50万円)。日本からの航空券代や前後の滞在費もかかる。もろもろの費用を120万円と設定して、クラウドファンディングで寄付を募り、106万円を集めた。

コロナ禍で、大会は1年半延期されて開催された。海外経験は旅行でグアムや韓国へ行ったくらい。「イェーイ」と「メルシー(フランス語でありがとう)」を連発して乗り切った。

準優勝しても賞金は3000ユーロで、参加費より少なかった。一方で、突然現れた有望ランナーとして、海外の別のレースから声がかかるようになった。

以来、モンゴルのゴビ砂漠、ネパールのヒマラヤの高地、ボリビアのアンデス山脈、スペインのピレネー山脈にタイの熱帯雨林まで、過酷な大自然の中を数日かけて200キロ前後走るレースに参加する日々を続ける。

ウルトラマラソンランナーの尾藤朋美さん。海外レースで日の丸を掲げて走ることも
ウルトラマラソンランナーの尾藤朋美さん。海外レースで日の丸を掲げて走ることも=2024年3月、モロッコ、本人提供

トレーナーの仕事との兼務は難しくなり、2023年からランナーに専念している。アウトドアブランドのメレルなどのスポンサーもつき、プロとしてやっていけるようになっていた。

カメラを片手に、自ら実況

レースでは、携帯型カメラのゴープロを持って実況しながら走り、ユーチューブやインスタグラムで公開している。

「かなりえぐい上り坂です」「(行く先が)倒木やら、やぶやら最悪。脚が傷だらけなんですけど~」。2024年8月にルーマニアの山中250キロを6日間かけて走ったレースの動画は、こんな具合だ。

息を弾ませて走る先には、川やひどいぬかるみもあり、道に迷うこともある。ハプニングの連続だ。尋常ではない状況なのだが、キャンプ地の食事やランナー同士の交流も含め、明るく発信する内容に引き込まれる。

「トラブルを乗り越える強さも、笑顔も素敵」「モチベーションが上がった」。動画には視聴者のこんな書き込みがあふれる。

明るく前向きな姿勢は、天性だ。

意外な友人がいる。ジャズシンガーの綾戸智恵さん(67)。息子が東京・恵比寿の中学校へ転校して慣れなかったとき、親しく声をかけてくれた5人の中で、ただひとりの女子が尾藤さんだった。人なつっこくて面倒見がいい。そんな人柄は当時から変わらないといい、以来、年齢を越えて付き合う。

「ちゃきちゃきして明るい。以前はひっちゃかめっちゃかな印象だったけど、マラソンを始めて、やっとやりたいことを見つけたみたい」(綾戸さん)。息子の話では、中学時代の尾藤さんは多感な思春期でも男女の別なく付き合い、前向き。体育祭でも文化祭でも頑張って目立っていた。だから、同窓生の間で、今の活躍に違和感はないという。

トレーナー仲間の古川杏梨さん(40)は、苦手な有酸素運動のトレーニングを尾藤さんに頼んだことがある。最初は800メートルを2本走るだけでもやっとだったのに、1年後には、フルマラソンのサブ4を達成していた。

「いっしょに走りながら、一歩ずつ進んでいるから大丈夫、と前向きな力で巻き込んで、絶対に楽しいと思わせてくれる。彼女の『大丈夫』は魔法の言葉。太陽みたいな人なんです」

「7大陸7日連続マラソン」に挑戦

尾藤さんが次に挑むのは「ワールド・マラソン・チャレンジ」。2025年1月末から2月に、7大陸(南極、アフリカ、豪州、アジア、欧州、南米、北米)でフルマラソンを7日連続で走る。大陸間はチャーター機で移動する。参加費と渡航費計850万円のうち340万円余りをクラウドファンディングで集めた。

そして、4月、サハラ砂漠のマラソンで念願の優勝を目指す。2023年の2回目の挑戦では3位だった。

ただ、優勝しても、挑戦は終わらない。アタカマ砂漠(チリ)、ゴビ砂漠、ナミブ砂漠(ナミビア)、さらに南極を250キロずつ走るレースにも参加し、発信を続けたいという。

ウルトラマラソンランナーの尾藤朋美さん。「SIEZE YOUR DREAM」(夢をつかめ)と書かれたオリジナルウェアを愛用する
ウルトラマラソンランナーの尾藤朋美さん。「SEIZE YOUR DREAM」(夢をつかめ)と書かれたオリジナルウェアを愛用する=2024年7月23日、東京・代々木公園、関口聡撮影

「私はもともと日本語だけできればよくて、海外に行かなくてもいいと思っていた。でも、サハラに行って衝撃を受けて人生が変わった。海外に目を向けて飛び込んでみることは大事だよ、失敗してもいいんだよと伝えられたら」

走れる年代の今、さらに頑張って「生きる元気と力を届けたい」。その思いを胸に、今日も笑顔で走り続ける。(文中敬称略)