1. HOME
  2. World Now
  3. エリウド・キプチョゲ そのマラソン哲学

エリウド・キプチョゲ そのマラソン哲学

ニューヨークタイムズ 世界の話題
ベルリンマラソンを前にしたエリウド・キプチョゲ=2018年9月12日、Mustafah Abdulaziz/©2018 The New York Times
ベルリンマラソンを前にしたエリウド・キプチョゲ=2018年9月12日、Mustafah Abdulaziz/©2018 The New York Times

マラソン選手で最多のメダルに輝くエリウド・キプチョゲは、計り知れない克己心を備えた人だ。早朝ランニングをするため、午前5時に起床。一日の時間を2カ所に分けて過ごす。ケニアのエルドレットにある自宅と標高8千フィート(約2440メートル)の丘にあるトレーニングキャンプ。自宅では妻と3人の子どもと過ごし、キャンプではチームメートと一緒に雑用をこなす。

ウサイン・ボルトが短距離王者ならキプチョゲはその長距離版といえる。裕福な男だが、今でもトイレ掃除をする。

走るというスポーツに真剣に向き合い始めてから、彼はすべての練習記録をノートに書き留めている。その数は15冊にのぼる。毎年1冊ずつ、世界のひのき舞台に参戦してきた自分の記録の数々。その何千マイルにものぼる膨大な記録が、マラソンランナーとしての頂点に駆り立てている。マラソンランナーという仕事はすでに完成の域に達しているのに、さらにそこから数秒を削り落としていく。その努力を記録ノートが支えている。

キプチョゲ(訳注=1984年11月5日生まれ。2018年11月5日で34歳)の、極度に禁欲的な日々の中で最も独創的といえるのは、彼が決してしないこと、すなわちトレーニングでは自分を限界以上に追い込まないことだ。彼は実力の80%を超えてまでトレーニングをすることはめったにない。トラックでのインターバル練習や25マイル(約40キロメートル)ジョギングをする時も、最高で90%しか出さない。

その代わり、彼は最高の自分、100%のキプチョゲをレース当日にとっておく。マラソンで優勝するため、記録のために。

「私は、リラックスした気持ちで走りたい」。彼はそう言った。

スポーツの「哲人王」キプチョゲは、9月16日のベルリンマラソンに出場を予定している(訳注=記事は9月14日付。16日のベルリンマラソンで、キプチョゲは2時間1分39秒という驚異的な世界新記録で優勝した)。ベルリンではそれまで(訳注=9月14日現在)すでに2度優勝。エントリーした10回(同)のマラソン大会のうち9回優勝している。オリンピックの現マラソン王者でもある。

正確に言うと、とキプチョゲは言った。「私はただ自分のベストの走りをしようとしているだけ。それが世界記録になるなら、私はうれしい。しかし、それは私にとっては自己ベストということ」

身長5フィート6インチ(約168センチ)、体重115ポンド(約52キロ)。解剖図のように引き締まった身体と、心臓血管系機能を最高の状態にもってゆくその身体に、余分なものは1グラムもない。ほおに刻まれた深いしわが年上の風貌(ふうぼう)をみせ、苦労を乗り越えた知恵をうかがわせる。話す時、言葉はゆっくりと、慎重に出る。

世界の話題_キプチョゲ_2
ベルリンマラソンにのぞむエリウド・キプチョゲ=2018年9月12日、Mustafah Abdulaziz/©2018 The New York Times

キプチョゲは、たとえば「生きていくうえで、己に打ち勝てる者だけが自由になれる。もし自己抑制ができないなら、気分や情熱の奴隷になってしまう」とか「木を植えるのに最適な時は25年前だった。2番目に最適な時は今日だ」といったことを話すタイプだ。

もっと言うと、キプチョゲは会話の中に自己流の格言を織り交ぜるため、まじめな印象を与える。彼は熱心な読書家で、本の趣味はアリストテレスからスポーツ人物伝、さらに自己啓発書まで及ぶ。スティーブン・R・コヴィー(米作家、経営コンサルタント)の「The Seven Habits of Highly Effective People」(邦題「完訳 7つの習慣―人格主義の回復」)は愛読書の一つだ。
キプチョゲは読書の時(ケニアのトレーニングキャンプにある図書館でよく本を読む)に、メモをしやすいように手帳型のノートを携えている。

「書けば、覚えるから」と彼は言った。

ある時、彼はこんな式を書き留めた。「意欲+克己心=一貫性」。強調マークをつけて記した。
近代以降、彼ほど突出したマラソン選手は出ていない。いかに偉大な長距離ランナーでも筋肉を傷めたり胃の調子を壊したりして、勝利から遠のいていった。キプチョゲは決してそうならなかった。

子どものころ、キプチョゲは一人でひたすら走った。それが学校往復の移動手段だった。いったいどれほど走ったのか。まさかそれがマラソン選手としての基礎になるなんて、当時は考えてもみなかった。育ったのはケニア・ナンディ地区の小村カプシシイワ。母は教師、父は彼が幼少のころに亡くなった。キプチョゲは4人の子の末っ子だった。

「私は写真ばかり見ていた」という。

10代で学校を終えると、キプチョゲは近隣の酪農家から集めたミルクを市場で売り、家計を支えた。それでも彼は走り続けた。尊敬する同郷の先達パトリック・サングに触発されたことも理由の一つだった。サングは故郷を出て米テキサス大学を拠点にオリンピックに出場(1992年バルセロナ五輪)し、3千メートル障害で銀メダルを獲得。その後、カプシシイワに戻ってスポーツイベントを組織した。2001年に開いたイベントで、サングはキプチョゲに出会った。キプチョゲが16歳の時だった。
「私のところにきて練習プログラムを求める子がいた」とサングは最近のインタビューで語っている。「それで、2週間おきに、その子にプログラムを渡した。それが数カ月続いた」と。

そうして、キプチョゲは地域の競技会に出場して優勝した。サングが名前を尋ねたのは、その時が初めてだった。キプチョゲの名を聞いて、サングはびっくりした。

「君のお母さんは僕の幼稚園時代の先生だった」

キプチョゲは腕時計を持っていなかった。そこでサングはタイメックスの腕時計を彼に与えた。以来、2人はほとんど二人三脚で取り組んできた。コーチと選手という以上に、師と弟子という関係だ。

キプチョゲ自身、2人のきずなについて「もし彼と会っていなければ、私の人生は違っていただろう」とはっきり言っている。
キプチョゲは03年、パリ郊外のフランス競技場で開かれた世界陸上・男子5千メートルに出場。王者ヒシャム・エルゲルージを最後に追い抜いて優勝し、世界を驚かせた。モロッコのエルゲルージは当時5千メートルの世界記録保持者で、伝説的なランナーだった。キプチョゲは18歳でその王者を退けたのだった。その後、オリンピックに出場。男子1500メートルで04年のアテネでは銅メダル、08年の北京では銀メダルに輝いた。

マラソンのデビューは13年春のハンブルクだった。2時間5分30秒で優勝した。数カ月後のベルリンマラソンでは2位だったが、その後は16年のリオデジャネイロ五輪を含め、連戦連勝の快挙を成し遂げている。

彼の走りはきわめて効率的だ。優れたランナーでも疲労すると両肩が揺れてくるものだが、彼の両肩はほとんど揺れることがない。軽やかなストライドで、アスファルトを前脚で軽く蹴るようにして走る。

「走っている時には」とキプチョゲ。「私は爽快だ。気持ちがいい。人生を楽しんでいる」と言う。

キプチョゲはドーピング疑惑とも無縁だ。ここ数年、何十人ものケニア人ランナーから禁止されている運動能力向上薬の陽性反応が出ている。しかし、キプチョゲは、ドーピング疑惑がもたれるようなことは常日頃から避けている。

「私はいつも皆さんに、これは本当に単純なことなのだと言っている。つまり、一生懸命働くことだ。一生懸命に働けば、あなたが望んでいることは後からついてくるし、優先課題を正しく設定できる。そうすれば近道などしなくても本領を発揮することができる。近道をしたら、あなたは自由になれない」

苦痛に襲われた時、彼はなぜかほほ笑むという癖がある。彼は、苦痛とは一つの見方に過ぎない、と言う。だから、他の見方、すなわち走ることの喜びとか、前方にあるゴールラインのことを考えて気を紛らす。すると苦痛は和らいでいく。彼はその過程で、走るというスポーツをもっとパフォーマンスアートに似たような形に昇華する優れた能力を証明してみせるのだ。(抄訳)

(Scott Cacciola)©2018 The New York Times

ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから