ひんやりした風を切って、ランナーが次々と走り抜けていく。10月の晴れた休日に、ニューヨークのセントラルパークを訪れた。
毎年11月のニューヨークシティーマラソンで最も人気がある靴のブランドがアシックスだと聞き、練習を見にいった。世界最大のマラソン大会で、参加者は4万人を超える。今年は市内のハリケーン被害で直前に中止となってしまったが、この日は大勢が走り込んでいた。
「最初にはいた靴は着地の衝撃が大きくて、エイシックス(アシックス)に変えたの。もう8年になる」。3年ぶり2回目の大会参加の予定だった会社員エミリー・マーチン(27)は水飲み場で、蛍光ピンクの靴を指さした。週6日走る大学生マリー・ダニエルズ(21)は「安定感とクッション性が好み」。アシックスをはいて7年になるのに「日本企業とは知らなかった」。
取材しながらランナーの足元に注目すること約1時間。アシックスの着用率はざっと4人に1人ほどだった。同社が昨年の大会で数えたところ、40キロ地点を通過した人の着用率は約5割。本格志向のランナーほど着用率が高いのだという。1999年の2割から着実に伸びてきた。
海外の売上高は過去10年で3.2倍。全体の売り上げに占める割合も38%から63%に伸び、国内を大きく上回る。
開発・設計は神戸発
人気の秘密は何か。神戸市郊外の丘陵地にあるアシックススポーツ工学研究所へ向かった。8階建て施設に、陸上トラック、プール、テニスコートを併設。ウエア開発も含め70人余りが働く。
所長の西脇剛史(48)の案内で加工試験室に入ると、ゴムのにおいと、プレス機が出す、むんとした熱気に包まれた。隣の体育館では、ひざや足首に小さな反射板をつけた社員が、高速撮影カメラの前を繰り返し走っていた。
研究一筋の西脇は「転機は99年だった」と振り返る。直前まで当期赤字が7年続いていた。それまでは、経験を積んだ社員が感覚で履き心地を判断していたのを、「客観的な数字で示す」ことに切り替えた。対象は屈曲性、安定性、クッション、通気、グリップ、耐久性、フィット性、軽さの8項目。ひざ関節の曲がり具合やかかとの骨が内側に倒れ込む角度など、靴だけでなく、はいた人の動きを分析して数値基準を設けた。
変形の大きい部分と小さい部分で素材や構造を変え、基準をクリアするものだけを商品化。ランニング用「ゲルカヤノ」シリーズなどのヒットに結びつけた。
数値化のノウハウを磨きながら、西脇は内外の学術誌や学会で約90本の論文を発表してきた。時には海外の競合他社や大学から転職を誘う手紙が届く。
技術重視の社風が、全商品を神戸で開発・設計し、中国と東南アジアで量産するスタイルを定着させた。だが、性能を上げても認知されなければ海外で売れない。マイケル・ジョーダンの名を冠した靴が社会現象となったナイキや、サッカーで超一流選手のスポンサーとなるアディダスに比べ、営業予算は乏しい。
経営陣は「走ることは全スポーツの共通言語だ」として営業面ではランニングへの注力を決めた。ゴルフ用品などの不採算部門は整理。ニューヨーク、ロサンゼルス、パリ、ローマなど主要都市のマラソン大会に協賛し、ブランドの浸透を図った。専門店も設け、ロンドンには今夏の五輪直前、海外で最大の直営店を開いた。今後の売れ筋を正確に把握するため、ここ数年で米州、欧州、オセアニアの統括拠点のトップを、日本人から地元に通じた外国人に交代させた。
カジュアル向けが課題
業績の好転に伴い、ランニング以外の分野でも拡大戦略を取り始めた。サッカーに次ぐ競技人口がいるとされるクリケットの場合、日本人デザイナーは「ルールをよく知らない」という。それでも、現地視察と競技のビデオから必要な機能を分析。芝生の上での安定感を高めた専用靴を投入し、豪州では、ファッション誌にも出るトップ選手と契約した。いまでは豪州でのスポーツシューズ全体のシェアでアシックスが1位に躍り出たという。
しかし、世界の壁は厚い。最大手のナイキはもともとアシックスの前身オニツカの代理店だった。創業者フィル・ナイトが1964年、「オニツカタイガー」ブランドの靴を売るため米オレゴン州で開業。その後に独自ブランドとなり、いまではアシックスの約8倍の売上高を誇る。アディダスの売上高もアシックスの5倍超だ。
大手証券アナリストは「経営資源の集中で、マラソンに真剣に取り組む層で大きなシェアを獲得した。だが、(軽いジョギングや通勤など)カジュアルに使われるスポーツシューズこそ大きな市場だ。この点への取り組みが今後の課題になる」と指摘している。
(文中敬称略)