前夜の豪雨で、海は荒れていた。ジェイミー・モナハンは、ニューヨーク・ブルックリン橋からコニーアイランドまで12マイル(約19キロメートル)を遠泳する予定だった。けれど、夜明けのニューヨーク湾と大西洋は、風も波も強過ぎた。
遠泳は、8月中旬に行われる過酷な17マイル(約27キロ)レース「ローズ・ピトノフ・スイム(Rose Pitonof Swim)」に向けた週末のトレーニングだった。朝日が昇った後、波と風はだいぶ落ち着いてきたけれど、彼女はこのトレーニングをあきらめた。代わりに、シボウズ(Cibbows=Coney Island Brighton Beach Open Water Swimmersの略称)が運営するブライトンビーチのヨガ教室に出席した。
「潮流、水温、海の生物、天候。オープンウォーター・スイミングでは、その一つ一つが影響する」とモナハンは言った。
モナハンは38歳。これまで10年間にわたって海や川、湖などのオープンウォーターで行われた75以上のメジャーレースを完泳し、冬季でも氷の中で泳いできた。小規模なレースを含めると300を数える。そうして何度も表彰台に立った。冬季のレースでは7度も全米チャンピオンに輝き、今年(2018年)、国際マラソンスイミング殿堂(米フロリダ州)にその名が刻まれた。16年と17年には世界オープンウォーター・スイミング協会(米カリフォルニア州)の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれている。
泳ぎまくって、メダルをたくさん取ることだけにかまけているわけでは決してない。モナハンは世界トップの会計監査・コンサルティング会社デロイトで、人材採用担当としてフルタイムで働いている。
モナハンは、今年8月に行われる16日間で6大陸(6大州)6マラソンスイミングに挑戦し、最速記録でギネス世界記録登録をめざしている。大陸ごとに距離が異なるが、それぞれ最低でも6・2マイル(約10キロ)は泳がなければならない。彼女が挑む最初のレースがローズ・ピトノフ・スイムで、マンハッタンのイースト26ストリートをスタートし、コニーアイランドのスティープルチェース・ピアまで泳ぐ。
そのレースが終わったら、彼女は空港からコロンビアに飛ぶ。それから立て続けにオーストラリア、シンガポール、エジプト、さらにスイスへ。泳いでは飛行機に飛び乗り、また泳ぐ。
けれど、「私は鉄人だなんて思ってもいない」とモナハンは言う。「というより、ペンギンに近いみたい。地上ではぎこちないけれど、水の中なら優雅になれる」
実際、モナハンはこれまでずっと泳ぎ続けてきた。高校、大学時代はバタフライと個人メドレーの選手だった。オープンウォーターへの情熱が芽生えたのは20歳の時、ボーイフレンドのアリク・トーマーレン(41)と一緒にトライアスロンの練習を始めたのがきっかけだった。彼は健康と高等教育に関する事業のファンドレイザーだ。
モナハンはその後、ローズ・ピトノフやリン・コックスに関する本を読みあさった。ピトノフは1911年、10代でマンハッタンからコニーアイランドまで泳いだ女性で、ローズ・ピトノフ・スイムの競技会は彼女が当時泳いだルートで設定されている。コックスは87年にベーリング海峡を横断した女性スイマーとしてよく知られている。この2人に大きな刺激を受けたモナハンは、オープンウォーターにさらに引かれるようになった。カリフォルニアやフロリダで泳いで準備を重ねた後、2009年に21マイル(約34キロ)の英仏海峡(ドーバー海峡)を泳いで横断した。
「ジェイミー(モナハン)はローズ(ピトノフ)の愛と精神を持ち合わせている」と言ったのは、ローズ・ピトノフ・スイムや水質浄化に取り組む企画を運営する団体アーバン・スイムの創設者ディーニー・ドラガーだった。「2人とも快活で、魅力的。それに情熱家です」とドラガーは解説する。
オープンウォーター・スイミングに、世界7大陸で気温カ氏41度(セ氏5度)以下のオープンウォーターをそれぞれ1マイル(1・6キロ)泳ぐという「アイス・セブンス・チャレンジ」がある。モナハンは初めてこのチャレンジを完泳した人物になった。その後、新たな目標が必要になった。それで2年前にマラソンスイムを計画し始めた、という。
デロイトでの仕事のスケジュールが許す限り、彼女はジムやヨガ、そして屋内プールとオープンウォーターで週4回から7回心身を鍛える。週末には集団スイミング、あるいはシボウズが主催する個人遠泳に参加する。
オープンウォーターで長い距離を泳ぐには、相当な準備が必要になる。シボウズの理事会メンバー、カプリ・ジャティアスモロは時々、米沿岸警備隊の許可を取りに行く。ニューヨーク市警の港湾担当に遠泳のルートやスタート時間を伝えなければならない。遠泳の際は、警察のボートも伴走する。
モナハンが遠泳している間、ジャティアスモロは、がっちりしたゴムボートで伴走する。ボートには船長のほかにボーイフレンドのトーマーレンも乗り込んでいる。ジャティアスモロによると、目視だけでなくソナーやレーダーも使って他のボートや水上バイク、漂流物、時には鳥の動きまで監視するという。
モナハンが次に挑戦する6大陸でのマラソンスイミングは、準備に1年以上の歳月がかかった。飛行機や宿泊施設の手配だけでなく、さまざまな国際水域を遠泳するのに各国当局の許可が必要だ。トーマーレンは、レースが行われる各地の状況を調べるのを快く手伝ってきた。彼自身も、伴走用に、折り紙にヒントを得た小さくたためる新型のオーシャンカヤック「オル・カヤク(OruKayak)」を使ってみたい、と興奮気味に語った。
モナハンは真っ白な肌をしている。彼女は8着の水着のほかに、おむつかぶれ治療クリーム「デシティン」を24オンス(約680グラム)持ってゆく。これは日焼け止めの代わりで、たっぷりと塗る。それからエネルギー補給として「カーボプロ」の粉末を携え、遠泳中30分おきに飲むことにしている。
遠泳しているときには、モナハンは頭の中で歌を歌うこともあるが、ほとんどは周りの自然に気をつけている、という。時にはイルカの口笛を聞いたこともある。南極ではペンギンと泳いだ。クラゲや虫はやっかいだけれど、強い精神力で、気にかけないことにしている。オープンウォーターでは急激な水温変化も起こるが、これにうまく対応することも重要だ。モナハンはさまざまな警告などに煩わされないようにしているけれど、マラッカ海峡やシンガポール海峡に海賊が出没することにはトーマーレン同様、気をつけている。
モナハンは、2週間の夏休みを利用して今回の挑戦に向かった。
「会社の同僚から週末は何をしていたのって聞かれるのは、おもしろい。私は時々、地球の反対側で泳いでいた」。モナハンはそう話していた。(抄訳)
(Kaya Laterman)©2018 The New York Times
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